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詩 『蝶』

作:悠冴紀

私は羽ばたく者
変化を拒まず受け容れる者

飛び出す勇気を持てない君の分まで
高く舞おうと 大きく羽を広げ
出し得る力を 出し尽くす

ほかならぬ君がそう求めた
私はいつも 君の生の代役だった

私は共に飛びたかったのに

ジレンマが二人を裂き
とうとう私は飛びたった

二人分の重みを背に
二人分の羽ばたきで
二人分のエネルギーを消耗して

私は今
かめ覗き色の空を舞う
君と私 二人分の願望を胸に
この命を削りながら

いつの日か
私の鱗粉りんぷんが君のまゆに降りかかり
君が澄み渡る空を見上げることを
──

いつの日か
君がその狭い殻から顔を出し
二人で成し遂げた羽ばたきを目にすることを
──

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※2005年(28歳当時)の作品。

予告通り、この詩は前回投稿したさなぎという詩のセット作品です。本作の主役は私自身ですが、作中の「君」というのは『蛹』のときと同じで、幼馴染の親友Sを指しています。まゆの中に閉じ籠った『蛹』のまま時計の針を止め、人生にふたをしてしまった半身・分身としての親友と、だからこそその後、相手の人生まで背負うつもりで代わりに自分が羽化する道を選んだ私との、二人の生き様を一本の線で繋ぎ合わせて初めて成立した羽ばたき、という意味での、一続きのセット作品なのです。ちなみにこの関係性は、私の処女作である純文学系小説『クルイロ ~翼~』(絶版本ですが)のモチーフとしても活かされています。

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かつて、立ち止まることを許されない背後事情のために、猛スピードで疾走していく「生き急ぎ型」の人生を送っていた私と、歩くより遅いスピードで恐る恐る慎重に生きていくタイプの親友Sとの間で、互いの経験値の差はアッと言う間に広がっていき、気付けば親友がはるか後方にいて、今にも視界から消えてしまいそうになっていました。

はじめのうちは、経験するまで何も真には学べず、試行錯誤の過程で取り返しのつかないことばかりやらかしてしまう粗忽な私の眼には、自分とは対照的に、いつも経験する前から結果を想定でき、自分の行動に対する責任意識のゆえに安易な行動も決して取らない親友の慎重さが、見習うべき賢明さと映っていたのですが、他人の経験から産み出される本で得た知識と、頭の中の賢明さだけで人生を紡ぎ上げていくには、やはり限界がある。人間の現実的な成長や前進には、たとえ自分自身や周囲に対してリスクを負うことになろうとも、許容範囲で多少は行動を起こし、自分の足で歩いていく必要があったのでしょう。

あまりに幼いうちから知識ばかり大量に取り込み、頭でっかちになってしまっていたSは、自意識や理屈ばかり過剰になり、矛盾に満ち溢れた現実世界での行動という行動すべてが、無意味に思えてきたようでした。結果、年々ますます身動きできなくなって重度の引きこもり状態に……。(元はと言えば、高望みのしすぎで受験の失敗を繰り返して進学しそびれたのを引き金として、自分の現状を恥じ、世間体を気にするあまり外に出られなくなっていった、というのが彼女の引きこもりの実態でしたが💧)

そんなSを見て、私は当初、敢えて自分の時間を一時停止し、人間としての成長を意図的に止めてまで、彼女が再び歩き出すのを待とうとしました。互いの経験値や成長速度に差ができすぎて、彼女を失ってしまうようなことにならないように。当時の私の望みはただ一つ、それまで通りの横並びの友達関係を続けていくことだけでしたから。

でも彼女はどこかの時点で完全に歩くのをやめ、自分には無理、あれもできない、これもできない、あなたのように強い人間ではないから勇気が出ない、と人生を放棄し、むしろ永久に引きこもり続けようとしていた。

(👆簡単に「あなたは強いから」とか言う人に、これまで一人ならず出くわしてきましたが、当時は私もまだ20代前半の若者。強くならねば生き延びられないような壮絶な日々に押しやられ、なるべくしてそうなったのであって、産まれたときから「強い人間」と「弱い人間」なんていう区別があるわけでは決してない。それなのに、私の背後事情を誰よりもよく知っているはずのあんたが、血の滲む思いで必死に強くなろうと努力してきた私に「強いあなたなら平気だろうけど」なんて無神経なことを、面と向かって言うの?💢と、こちら側にもSを責める気持ちがフツフツと沸き起こってきて、このあたりから泥沼化していきました。唯一の理解者と信じていた相手への甘えからくる激しい怒りで、互いを責め合い、感情的になって。本当にガキでしたね、今振り返ると💧)

それでも何年かの間、待てるだけ待ってみた私でしたが、動き止むことのないこの世界では、どこかで区切りを付けて前に進むほかありませんでした。そもそも、何もしなくてもご飯を食べさせてもらえ、生かしてもらえる環境のあった彼女とは違い、家庭事情が劣悪すぎて逃げ込む場のなかった私の場合、怒涛どとうのように押し寄せてくるトラブルの数々(主には近親者からの実害系の猛攻撃)に追い立てられ、目まぐるしい状況の変化に対処して生き伸びるためには、一所にじっとしてなどいられなかった。その手の戦場において立ち止まることは、すなわち死を意味していたから。

結局のところ、その環境の違いが私たちを分け隔てた。引きこもること、何もせずただそこに存在することを許されたSと、それすら許されないため身を刷り削りながら走り続けるしかなかった私。そんな二人が隣り合って生き続けることなど、現実的に不可能だったのです。

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ちなみに私が、本当ならもっと早くに縁を切って立ち去りたかった実家に、それでも二十代中頃までは機会を見て度々帰っていたのは、ひとえに、同じ町のすぐ近くにSが暮らしていたからでした。そして、自分の執筆作品を広く世に発信したいという意欲や願望が、それまで全くと言っていいほど沸き起こらなかったのも、身近に得た一番の読者であるSに読んでもらうことで、満足しきっていたからでした。顔も知らない世界中の何百人、何千人に読んでもらうより、S一人に喜ばれ、認められる作品を書き続ける方が、当時の私には幸せだったから。

そんな唯一無二の親友を人生から切り離した私には、もはや自分を繋ぎとめる大地も里も存在しなくなった。

そうやって私は、皮肉にも、かつてなく自由で身軽な存在になったのでした。地上に留まり続けていても、どのみちSと生きる道はないのだから、いっそ過去もない未踏の空に舞い上がろう。そんな思いで。

私がここ大阪に亡命してきたのは、確か26~27歳ぐらいのとき。親と親友それぞれに対し、縁切り宣言のメモを残して、この身一つで去りました。

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☝️余談ですが、私は親友Sに影響を受け始めるまでの間(小中学生頃まで)は、趣味の範囲で漫画や風景画を描いたり、模型制作に耽ったりしていた芸術肌の素人クリエイターでした🎨(←つまりクリエイティブな遊びごと全般が好きなだけの、何の展望もないただのガキんちょだった💧) 読書というと、せいぜい教科書の中の文学作品止まり。そんな私の創作物(特に長編の漫画作品)の中から、詩的・哲学的な側面や、論の強さやストーリー性といった部分に目を付け、『文学性の種』とも言うべきものを発掘・抽出して、私を執筆ライフへと導いたのが、まさに親友Sでした。

Sから「この物語は漫画にしておくには重すぎる。むしろ小説にした方がより活かせる内容だと思う」と言われたのを機に、よちよち歩きの粗削りな物書きとしてコトバを綴り始めた私に、Sは作品に対する妥協なき視点で、手加減なしに国語的な指導を施し、腕を磨き上げてくれました。この世で最初の校正者・編集者として、また世界で一番の愛読者として。

そんな、出版社のプロも顔負けなくらい完璧な国語力と的確な鑑識眼を持っているにもかかわらず、他人に評価されるのを恐れるあまり、独自の作品を生み出すタイプにはなれない親友と、勉強不足で国語的な知識に乏しい代わりに、幼少の頃から何かとオリジナルのもの(ストーリー性のあるもの)を創作するのが好きで、常々何かをアウトプットしていないと生きていけない私とは、パズルのピースのようにピタリとはまり、見事に互いを補い合えたのです。まさに二人で一つの二人三脚でスタートした創作ライフでした。

今回の詩作品の最後の一節『二人で成し遂げた羽ばたき』というのは、そんな日々を踏まえて出てきた表現です。私はSと離れて独りになった後もずっとずっと、自分の仕上げる作品という作品を、半分は彼女のおかげと見なし、二人で共に手掛ける合作のようなものだと思い続けていましたから。

たぶん、あの親友との別離がなければ、私が自分の作品を世に出し、本を出版するなどという日は、永久に来なかっただろうと思います。拳と罵声で存在価値を全否定される日常に慣れすぎて、自分をまんまと能なしのクズと思い込み、野心も大志も夢も希望も抱いたためしのなかった私が、後に(Sと完全に離れ里を捨てたあとで)重い腰を上げて、出版社から本を出すという思いきった行動に出たのは、結局のところ、どこにいるとも知れないSに、今後とも作品だけは見てもらいたかったからです。「自分は何もできなかった、机上の空論ばかりで現実世界に羽ばたいていくことができなかった」という無力感で、自分に価値を見出せなくなってしまったSに、「そんなことはない」と示すため。二人で能力をあわせたからこそ生み出すことができるようになった文学作品たちが、今ではこうして世に羽ばたいているんだから、と。

聞けば実に個人的で子ぢんまりとした動機ですが😅、私の場合は、そんな思いがバネになってのデビューでした。私自身が何度「好きで書いているだけ。私はそんな器じゃないから」と首を横に振っても、いや本を出すべきだ、あなたの書くものにはその価値が充分にある! と強くプッシュしてきたのは、Sの方でしたしね。かねてからのSの望みを叶えて、自信の源にしてほしかったのです。(もちろん、作品を書くこと自体の動機や原動力は、それとは別にありますけどね。これはあくまで、知人友人だけを読者として自己満足のうちに書いていた状態から、本という形で世に出すに至った心境の変化を説明したものです。)

そのあたりの背景まで改めて振り返ってみると、真の「蝶」とは、ひょっとすると私でもSでもなく、離ればなれになって尚も生み出されていく、とうに独立した作品たちの方なのかもしれませんね。どんなになっても本なしには生きられない活字中毒のSが、どこかでそれらの「蝶」を見つけて手に取り、読んでくれていればいいのですが──。

注)シェア・拡散は歓迎します。ただし、私の言葉を一部でも引用・転載する場合は、必ず「悠冴紀著」と明記するか、リンクを貼るなどして、著作者が私であることがわかるようにしてください。自作であるかのように公開・発表するのは、著作権の侵害に当たります!

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📓 詩集A(十代の頃の旧い作品群)
📓 詩集B(二十代の頃の作品群)
📓 詩集C(三十代以降の最新の作品群)

※小説家 悠冴紀の公式ホームページはこちら

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