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絵文字の切れ目は、縁の切れ目

昨晩、全く眠くなくて(それもそのはず、夕方に3時間もうたた寝をした)、かと言って本を読んだり、何かをインプットする気も起きず、ひたすらにLINEのトーク履歴を溯っていた。

なんだか少しの苦味と、じんわりとした熱さが残る、そんな不思議な感覚があった。

間違いなく私はLINEで言葉のやり取りをしているのに、相手の名前を見ても、どんな人だったか、全く思い出せない。

合コンの日付だけがグループ名になったLINEグループもあって、そこにいたはずの、一緒に乾杯したはずの相手を、誰一人として、思い出せない。

2、3年前はよく遊んでいたのに、ちょっとした出来事で疎遠になってしまった(私が意図的に、疎遠になったケースもある)人もいた。その人とのLINEのやり取りは、私が打っているはずなのに、私じゃないみたいだった。

昔一緒に働いていた人も、そう。あー、こんな感じのこと、LINEで相談してたなー、とか思い出したりして。でもそのうちの一人はもう会社を辞めてしまって、LINEグループからいつの間にか退出していた。

自分がよく使う絵文字やスタンプも、変わっていく。こんな絵文字使ってたなんて、私じゃないみたい。でも、私なんだよなぁ。


付き合っていく人も友達も同僚も、いろんな環境が変わって、世の中にはいろんなツールも生まれて、その中で、いつだってLINEのトーク一覧で上の方に並んでいる人たちを、とてつもなく愛おしく思う。

ものすごい難関をくぐり抜けて、今も繋がっている気がする。疎遠になるタイミングなんて、きっといくらでもあった。どっちかが、「そろそろ会おうよ」とか「元気してる?」とか「こんなことがあってさ」とか連絡しなければ、なくなってしまう。そんなもので、そんなものだからこそ、ものすごく貴重で、大事にしたいなと心から思う。

この人たちさえいてくれれば、それでいい。この人たちさえ、いろんなことを共有できれば。報告できれば。楽しめれば。

決して多くはない。何かあると、「あ、報告しよ」と、ふわっと頭の上あたりに浮かんでくる人たち。

電話帳をスクロールしなくたって、LINE友だち一覧から探さなくたって、すぐに連絡を取れちゃうその人たちがいれば、私は幸せ!その人たちのことは、どんな手を使ってでも、たとえ地球の裏側にいたとしても、大切にする所存なのである。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。