見出し画像

本を閉じても続く世界☆

小2になる息子が自分からは本を読まないので、自分で読みたいと思えるまでは私が本を読むことにしました。(小学校に上がっても読み聞かせは続けて!というのを読んだことがあるので)

選書するにしても未だに好みがつかめないのは、娘の時に比べて読み聞かせが少ないからなのかなぁという思いもあり、(「エルマーのぼうけん」はこわそうにしてた(笑))今回借りてみたのが中川李枝子さんの「たんたのたんけん」
実はわたしも読んだことはないので、ワクワクと。

「たんたのたんけん」50周年改訂版・キッズ文学館

お誕生日を迎えた男の子の探検なんだけれど、この探検にすぐに出てくるのが男の子の隣にいる、ヒョウの子「バリバリ・バリヒ」
もうこの名前だけで息子に大ウケ!
わたしも読みながら、え?バリバリバリヒ?このヒョウの子は一体何なんだろう??どういう存在??と。
わたしの疑問は解消しないまま(笑)、どんどんお話は進んでいきます。
そして「バリヒ」ってなかなかクセになる音!
読んでいて楽しいのだけど、そのうち、こんなに仲良くなったけれど、いつこのヒョウの子「バリヒ」の謎が解けるんだろう?
この魔法にかかったような時間がとけたらこの男の子はどうなっちゃうんだろう?今お話を聞いているわたしの息子はどんな反応をするだろう?
とだんだん読みながら、不安になってきた・・・。
(長いので章ごとに休憩を入れつつ続きが気になるので、どんどん読んだ気がします)

このお話、おぼえていますか??
なんと!なんと!
なんだ、けっこう家近かったね~なんて、ゆるやかに、なごやかに終わるのです(笑)。
息子も”このヒョウの子はなんだったの?”なんて聞いてきません。

そこで「ああ、わたしは大人になってしまったんだなぁ」と気がつきました。

バリバリバリヒがこの男の子の空想だったら、
いつかは現実の世界にもどるもの、と思ってた。

本の世界に入り込むこと。想像の世界で遊ぶこと。
本を読んでいる間、魔法はとける必要なんてないんだということをすっかりと忘れてしまっていた。

それでも大人は本を閉じたら終わり・・・?
本を閉じても続く世界は子ども時代の特権かもしれない。

子どもがちゃんと子どもでいられること。

今って、子どもでもきちんとした態度を求められがち。
わたしもつい「子どもっぽいな~」と感じて「ああ!まだ子どもだった!」と思うことがしばしば・・・。

子どもの時代って本当にわずかな時間。
大切にしてあげたいなぁと思う。
だけどすぐに忘れちゃう。だからこそ「読み聞かせ」は大事なんだ。
大人になって臆病になってしまったわたしにも。

中川李枝子さんて、本当にすごいんだなぁ。

そして息子は本は読まないけれど、国語の教科書を読むのは好き(笑)。
先日まだ授業で習う前のおはなしを
「かーちゃん、ちょっとこれ読んで。」と持ってきたので、普段じぶんで読んでいるのに何かこれはあるな・・・と思い、すぐに読んであげました。

あまんきみこさんの「名前を見てちょうだい」
女の子の飛ばされた赤い帽子をめぐるお話。
読み進めるとすぐに理由が分かった。
途中で”大男”が出てくるのだ。読みながら息子の顔をちらっと見ると顔が強ばっている。(そうか、ここからきっと怖くて読めなくなったんだなと)
でも読み進めると、この主人公の女の子は勇気があって(それくらい大事な帽子!)、大男はみるみるうちにしぼんでいってしまう。それと同時に息子の顔もみるみるうちに安心した表情へ変わっていくのが見えました♪
そしてお話が終わるとうれしそうに教科書を持って戻っていきました。


就学前の子育て支援センターへ行っていた頃に、読み聞かせに来ていた男性の方に教えていただいたのが、
「こわいはなしをこわく読まないこと」「こわい話はそれだけで十分こわいのだから」と。
これを聞いてなるほどと思いました!わたし自身こわい話は苦手だから、ぜったい嫌だなと。なのでふつうの本もあまり抑揚はつけずに淡々と読んであげます。
それよりも大事にしているのは、読む速度と
子どもが絵本のすみずみまで観察する時間や文を咀嚼する時間、そういうのを表情を見ながらゆっくりと読んでいきます。

そういえば一年生の教科書であっという間に息子が暗唱していたのが「スイミー」
教科書だと挿絵が少ないので、もっとこの綺麗な絵を見せてあげたいと図書館で借りてみたら、表紙の裏にこの本を訳された谷川俊太郎さんの言葉が載っていました。

翻訳にあたっては、原本のもつ視覚的な美しさを損わぬことを、まず第一に心がけました。
文章のレイアウトを、できるだけ原本どおりにするために、その内容の一部を省略せざるを得ない場合もありましたが、これは俳句的な凝縮された表現を好む日本人には、かえってふさわしいと考えています。

訳、谷川俊太郎さんの言葉

文のリズムが絶妙で、スイミーの悲しみ、少しずつ元気をとりもどしていくところ、強くなっていくところ、子どもが暗唱をしているのを聴いている私の方にもぐっと心に迫るものがありました。

「にじいろのゼリーのようなくらげ」
「すいちゅうブルドーザーみたいないせえび」
「みたこともないさかなたち みえないいとでひっぱられている」
「ドロップみたいないわからはえてる こんぶやわかめのはやし」
「うなぎ。かおをみるころには、しっぽをわすれてるほどながい」
「そして、かぜにゆれるももいろのやしのきみたいないそぎんちゃく」

レオ=レオニ「スイミー」より


何気なく過ぎていくものにも、大人たちから子どもたちへ祈りのような想いがこめられている。
そしてそれは「何気ない」ほど良いんだと思う。


この記事が参加している募集

子どもの成長記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?