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【心理学】第344弾 ”無知である”とは知識不足のことではない?

※この記事は3分で読めます。


こんにちは!
今日も読んで頂きありがとうございます( ´ ▽ ` )

少し風邪気味のさびちゃんです、、
休みながら無理せずいきたいと思います(´∀`*)

さて、今日の記事は、
”無知である”とは知識不足のことではない?
について書いていきたいと思います。

無知という言葉には強い印象を受けます。
無知という言葉を聞くと無知の知が思い浮かぶものですが、今日はソクラテスさんとは関連のない
お話しでございます٩( 'ω' )و



⭐︎

【無知とは何なのか?】

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無知と聞くと物事をあまり知らない人(知識不足の人)を思い浮かべてしまうものです。一般的に知られているような事を知らず過ごしていると、周囲からも「あの人は何も知らない」とレッテルを貼られてしまう事もあります。しかし、物事を何でも詳しく知っているように思える人も全てを知り尽くしている訳ではないのです。

物知りであるように見える人もそう見えるだけで完璧ではない。
無知の事を”物事をあまり知らない人”とするならば、曖昧な基準になってしまうし実際のところみんな無知だということになってしまうのかも知れないね( ̄▽ ̄;)

【真の無知とは知識の欠如ではない?】

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あるイギリスの哲学者は真の無知とは知識の欠如ではなく学習の拒絶であると言ったそうです。物事を知っているか知らないかよりも、学習に対しての向き合い方に価値をおく考え方です。無知である事を知識の欠如ではなく学習の拒絶であると考えると無知に対する考え方がガラッと変わってきます。

自分が物事をあまり知らないと感じていたとしてもそれが無知な訳ではないと考えられれば学ぼうという意欲が湧いてくる。結果的にその意欲が知識にも繋がっていくのかも知れないね( ´ ▽ ` )!

【知識があっても無知である可能性も?】

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知識が豊富にあったとしても自分の知識に酔って傲慢になったり人の話を聞かず、ひとりよがりになってしまう人もいます。そのような人も無知であると言えるのではないでしょうか。

周りの人の考え方や新しい視点を受け入れられないという点では、ある意味学習の拒絶をしていると言えるのかもしれません。

自分の持っている知識を自慢しようとして、視野が狭くなってしまうこともある。それもある意味無知であると言えるのかも知れないね(^^;ホホ


【知識量よりどのような意識で過ごしているか】

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いま自分が持っているもので自分の価値を判断してしまう事は多くあります。しかし、どのような意識で過ごしているかの方が価値があると言えるのではないでしょうか。

うまくいかない事が目の前にあったとしても、その事実に対し自分がどう向き合おうとしているのかの方が大切という事です。

全てを現状で判断するのではなく、変化を見据えた上で少し自分に期待してあげても良いのかも知れません。


【今日のまとめ】

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”無知である”とは知識不足のことではない?

①無知とは学習の拒絶を意味するのではないか。

②自分の持っている知識量より
どのような意識を持っているのかに価値がある。



最後まで読んで頂きありがとうございました!
明日からまた素敵な1日になりますように、、
(^人^)



つづく


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