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人を悪く言ってばっかの人は自分の良いところ言えない説

普段から、割とどうしようもないこととか一人哲学を頭の中でぐるぐる考えることが多いねんけど、最近ふと思ったのがタイトルのやつ。

インターネットの世界って画面の向こう側から口撃してくる人多いやん。特に著名人なんかは、叩かれてるの見るん多い。

顔も名前も分からん人が誹謗中傷してくるのは、それだけでもタチ悪いけど、内容ちゃんと理解してなくて自分の頭の中で勝手に情報変換して誹謗中傷してくんのもっとタチ悪い。

発信側からしたら「いやそんなん言ってへんし」ってなるし、日本語をちゃんと理解できへん人に言い返すのも正直「めんどくさ……」ってなる。

なんていうか、正しいことを書いていたとしても、必死に粗探ししてくる人も多いと思うねんな。そこに何の生産性があんねんって感じやけど。

そういう人の粗探しして悪いことばっか言ってる人は、逆に自分の良いところ言えるんかなってふと思った。

自分の良いところ言える人は、相手の良いところも見つけられる人やと思う。でも悪いところばかり言う人は、自分の良いところも悪いところも分かってないんちゃうかな。

たくさん褒められて自己肯定感高まるのは良いけど、人を貶して自分を肯定しようとしても、何の意味もない。相手を否定することで自分を肯定するって、そこには虚しさしか残らへんのちゃう?

人それぞれ家族関係も生活環境も考え方も価値観も何もかも違って当然やねんから、否定したって何も始まらへんよな。俺のこの考え方も「人を否定する人を否定」してるんかもしらんけど、それ考え始めるとキリないからやめとこ。

「類は友を呼ぶ」ってほんまにそうやと思ってて、人の悪口ばっか言ってる人には、人の悪口を言う人が集まってきて、人の話で盛り上がる。人が話す「人の悪口」を聞いて、自分もさらに人に「人の悪口」を話す。そういう話ばっか聞いてるとめっちゃしんどいし疲れてくる。

「もうええやん、楽しい話しよや」ってなる。

話変わるけど、みんなは人を好きになる時、次のどっちのタイプ好きなる?

・自分と似てる部分がある人
・自分にはない部分がある人

この話どっかでもしたかもやけど、「自分と似てる部分がある人」を好きになるのがで、「自分にはない部分がある人」を好きになるのがらしい。

俺は、この話を聞いて「なるほどなぁ」って納得した。たしかに自分にない部分を受け入れられるって愛やなぁと思うねん。

相手の好きなことが自分の興味のないことやった場合、「興味ないし、つまんね。」って、相手に歩み寄ろうとすらしない人おるやん。

でも「そういうのが好きなんやなぁ」って思って、「自分でもいろいろ調べてみよ」って興味持ってみると、案外楽しかったりするし、相手との会話も弾むようになる。

相手もきっと「自分のこと理解してくれようと努力してくれてるんやな」って嬉しくなると思うし。別に相手関係なく、新しい世界とか感性を知れただけで、それってすごく良いことやと思うねんな。

新しいことを取り入れるのって人生で結構大事やし、プライベートとか仕事で活きてくる場面もどこかで来るかもしらんし。

だから相手のことをよく知らずに否定するのは、なんかちょっとちゃうよな。知ってたとしても、否定するのはちゃうけどさ。

まずは相手の好きなことに興味持ってみたり、良いところを探してみたりすることを意識してみると、逆に相手も自分の好きなことに興味持って良いところを見つけてくれたりすると思う。

そしたら自分の好きな部分を自分でも見つけられるようになってくるんちゃうかな。

日本人って自分で自分のこと優しいとか言うと、「え、それ自分で言う?w」みたいに小馬鹿にする風潮あるけど、全然自分で言っちゃって良いと思う。

だって周りの人が「優しいよな」って言ってくれんねんもん。じゃあきっと自分は優しいんやろなで良いと思うねん。だから前も言ったけど、人に褒められたことは素直に受け止めたらいい。もっと自分に自信持って生きていきたいよな。

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