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あの遊びの名前を僕は知らない。

「ぐりこ」
「ちよこれいと」
「ぱいなつぷる」
「ばいばい」

8月31日。夏の終わり日が暮れる頃。少年たちがそう言いながら家路につく。薄い水色だった空は、オレンジや紫やピンクに染まっていった。

ヒグラシの鳴き声は、もう聴こえない。代わりにスズムシたちの合唱が聴こえるようになった。夏らしさが少しずつ消えてく。

窓から入る風は冷たくて、あんなに待ち遠しかった夏はいつの間にか僕を追い越していたみたいだ。

毎年、時間の進むスピードが上がる感覚。去年の夏の出来事が実は一昨年の出来事だったり、君と別れたのがいつだったのかわからなかったり、夏の記憶は曖昧だ。

僕がかつて幸せだと思っていた時間の中に今の僕は生きていなくて、幸せそのものだった君は今違う形をした幸せの中にいる。

夢を叶えたとか、結婚したとか、子供ができたとか、飲み過ぎたとか、起業したとか、気がつけばそんな年齢になってる。

いつのまにか後輩ができて部下ができて、偉そうに指示を出したり助言したりして。これはもう「大人」の部類に入るのだろうか。

僕が幼い頃に見ていた高校生や大学生は、もっとずっと大人だと思ってた。実際、自分がその立場になってみると全然「大人だ」って感覚なんてなくて。

成人式を迎えたって自分のことを大人だなんて思えたことはなかった。成人式に馬鹿騒ぎして、迷惑かけるような奴らよりは大人だったとは思うよ。いずれにせよ人間って意外と変わらないもんだ。

昔よりも空気を読んだり「大人の事情」を理解できるようになったり、どうしようもないことや自分一人では生きていけないことを知った。

生きることが楽しいことばかりじゃないこと。時に辛いことや悲しいことが起こること。見えない何かに負けそうになって自分が壊されてしまうこと。新しい命が生まれること。そしていつか命は燃え尽きてしまうこと。

人を傷つけて喜ぶ人。人を蹴落として昇ろうとする人。考えを押し付ける人。マウントを取ろうとする人。

優しい人。一緒に手を取り合ってくれる人。理解してくれる人。黙って寄り添ってくれる人。

今日という日が「ぐりこ」の日もある。
明日は「ぱいなつぷる」かもしれない。
「ちよこれいと」だったりもするだろう。

進む距離は短ろうが長かろうが、今日を過ごし明日が来て過去を作るというのは、間違いなく前進だ。だって生きてる。

あの遊びの名前を僕は知らない。

だけど進んで立ち止まって、遠くに行ける時もあれば思うように進めない時もあって、まるで人生みたいだと思った。

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