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余白者の所感 Vol.3

しばらく無理して書いても仕方ない。ことが、わかった。

他の人でもそうなのだから、自分だってそう。
無理して「書かなきゃ」になっていて、本当の意味での「書きたい」にはなっていない。でも、待っていても書くことはできない。
何かを「決める」「覚悟する」「決意する」必要がある。

それは今回のイベントに向けてという意味でもそうだった。
ハシゴを外して、飛ぶしかない状況に置いて、環境を変えて挑むこと。
やらなければ死ぬなら、やるしか生きる道はない。そうして絞り出すこと。
創作とは、クリエイティブとは、どこかそういうことも無くはないと思うこともある。もちろん本来ならその逆で「追い込んだところで創造的にはなれない」「文章は降りてこないと書けない」というのも事実なのは理解した上で、あえてそういう言葉を並べている。

環境づくりは大事だと思う。
みんな環境の変化に振り回されて、環境が変わるたびにゼロスタートになる。
環境をある種、常に挑むために一定にすれば、いつどんな時でも挑まなければならない状況になっていて、それが自分の「いつもの」になっていて、ずっとそこから歩き続けているから環境や状況を整えるという必要を無くすことは、ある種大事なのではないか。大きな道の一歩なのではないか。
常にどんな時でも「考える」ことを自分のいつもの「環境」にしていたからこそ、自分にとって「思考する」ことはいつものことになっているのと、同じように考えていい。


友人の写真家さんの言っている「え、休みを必要としている仕事してるの?」も、まさにソレに当たる。
休みを必要としない仕事を自分の「いつもの環境」にすることで、ずっと動き続けて止まらない自分をまさに「創っている」ということ。意図的なのか、感覚的なのかは写真家さんにしかわからないけれど。
でも、たぶんその写真家さんは言語化できる。
いま自分が書いたような言葉がきっと返ってくる。

僕は頭では理解できる。
ただ、これを実際にやるとなると、またハードルは全然変わってくる。それをわかっているから、できない。頭でわかっていても「行動」がついてこない。「ハート」もついてこない。難しいけれど、どこかのタイミングでココを超えていかなければ、いわゆる「飛び越えた先の世界」には届かないんだと思う。

自分は本を作って、ホップができたと思う。
次はステップ。その先にジャンプが待っている。
どうなるか全く見えない。わからないし、想像つかないし、マイナスなイメージという不安も当然ついてまわる。ここから先、どうしていくか。どうしたいか。どう在りたいか。改めて問われるし、自分に問う必要がある。
自分なりの何かが見出せればいい。見出していくしかない。

考え続けて、思考し続けて、問い続けて、行動し続けるしかない。
それ以外にない。それがみんなできない。
それができれば、超えられる、必ず。

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