優柔不断をやめるには【人生の時とタイミング】

私が直接関わっていることではないので、あくまで「ネットごしに観察していて抱いた感想」の話になるのだが、最近「ああ、この人、時のタイミングを大幅に逃しているなぁ……」と思う出来事があった。

傍観者ながらもこの体験が、時の要素と後述のテーマを執筆するきっかけになった。


ちなみにその当事者とは知り合いでもなんでもなく、具体的詳細を出したいわけじゃないのでそこは省いて、どんな状況だったかざっくり説明すると、こうだ。
ある特定の状況内のみで注目されている情報を持っている人がいて、公に出すと予告しつつ、実行を引き延ばしていた。公開が延びている理由は、その人の発信内容によれば複数あった様子だ。

ひとつは、危険を想定し、先回りして対策して、慎重に慎重にことを進めているから。
「石橋を叩いて渡る」の、「石橋を叩いて、叩いて、叩いて……」のプロセスがかなりかかっているように見えた。

本人からだいぶ以前に発せられた予告を真に受けて、日々情報をチェックしながら待っている人たちの関心がさすがに薄れていくほど展開が遅かった。
私自身その人の状況に興味を持ち、どちらかというと応援の心情で見守っていたから、「普通より好意的に眺めている人でもダレて、どうでもよくなってくる」だけの時間が経ったことは確かだと思える。

ふたつめの理由は、外部の人に任せすぎているから。
自分で発信できる手段上では安全な範囲内にとどめ、リスクを含むものは外部の人の名のもとで、外部の人の監修や制作で出すという形を選んでいた。
すると当然、他者のペースや都合も絡んでくるし、他者主体の進行になっているようだった。

これらは最終的には当人の判断こそが適しているだろうし、まして私が本当には知りもしないことなので、実際、感想を述べるのも余計なお世話だ。
ただ、この出来事をモデルとし、私の観点からのケーススタディとして続きを語っていきたい。

さて、ひとつめの「慎重さ」についてだが、慎重さは社会の中で評価されることも多々あるものの、人生、ときには「今だ!」という、先のことまで固めない状態での思い切りも必要になる。
というのも、「時」の要素が絡んでくる場合があるからだ。

あなたも覚えはないだろうか。
「あの時言われたらおつきあいしたかもしれないけど、今はもうないな」
「あの頃だったら喜んで一緒に仕事しただろうけど、今は無理だよ」
など、ある時は確かにピークに達するほどの心の接点があったのだが、それを最後に関わりの動機自体が薄れ、完全に消えていくことを。

私が今回見ていたケースでも「ああ、惜しい機を逃したな。関心が高まっているあの熱量があるうちに、それ相応の情報を公開すればよかったのに」と、感じさせられたのだ。

ふたつめの、外部の人に任せすぎるという点も、そうしていいときと、力が入りすぎて外を巻き込んでいるときとがある。
時の要素を重視するなら、「今この時に!」という新鮮な状態で情報をサッと出すことが望ましい場合がある。
発信の仕上がりを練りすぎたり、かっこつけたりは二の次にした方がいいことがあるのだ。優先すべきは必要な時に出すことで、仕上がりにこだわるのは自己満足である、というような。

機を読む・人生における時の要素

私の人生では「機を読む」ことは、おおげさな何かではなく、日常から実践している。
簡単に言えば「今」という時に自分は何がしたいか、何を感じているかに気をつけて、なるべく実行する習性があるだけなのだが、そうしてキャッチしている感覚が純粋であれば、それが機を読むことになる。

とはいえ、自分のタイミングにこだわりすぎる必要はない。
自分が、この時! と感じても、他者の都合や諸々で物理的にそれが可能でない場合、固執せずこだわりを捨てることも大切だ。
なぜなら、なぜそうなっているのかの全体的な理由や、未来がわかっているわけでも、最善を知っているわけでもないからだ。

いずれにしても、人生には必ず「時」の要素が絡んでくる。
時間は人生という立体的な各シーンの一部を決定する要素で、これを抜きにシーンは完成しない。

人によっては癖になっている「優柔不断」も、実は人生の時やタイミングをむしばむ可能性があると、あなたは意識したことはあるかな?

優柔不断をやめるには

私は年を重ねるとともに「優柔不断」というものが好きでなくなって、優柔不断は度を越すと無益だと感じているのだが、昔は優柔不断な状態をふんだんに経験したからこそ、なぜそんな風になるのかのマインドも理解できる。

優柔不断が好きでなくなったというのは、私自身がその状態を長引かせないという意味で、誰かが優柔不断だからといってイライラしたりはしないし、本人が納得するまで好きなだけ迷っても気にはしない。
ただ、もしあなたが優柔不断の状態から抜けたいと思っているならば、以下を読むといい。

優柔不断が度を越すと無益なのはなぜか? と、優柔不断の背景にあるものの説明をするので、これを理解すれば優柔不断から抜けられる。
その後も、癖で優柔不断になってしまったら、その度にこの内容を思い出すといい。

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