階段落ちからノースリッパ生活へ。気づいたメリットと全一性

家の階段から落ちた。
降りるときに、大きすぎるスリッパが脱げかけたか滑ったかして、気づいたらドドドドドッと腰を打ちつけながら、下まで落ちていた。

落下の音と、落ちている最中に思わずあげた私の悲鳴とで、家族がすっとんできた。
座り込んだまま、ジンジンと痛む背面、腰のあたりを感じながら、階段から落ちたのが家族の他の誰かでなくて私でよかった……と思うのと同時に、
「尾てい骨を派手に打ちつけたな。第一チャクラの活性化かしら?」
なんて思うところは平常運転。

暑い日だったのと、お風呂に向かうところだったのとで、ここ最近の中ではダントツの薄着をしていたため、肌に擦り傷を作り、血もにじんだ。
「ズボンだったら擦りむけなかったかもね」と家族が言い、今月に入ってもまだ肌寒い日は冬の延長で裏起毛のズボンをはいていたので、確かに、その格好のときだったら擦り傷にはならなくて済んだだろうと思った。

そもそも、数日前から「予感」はあった。
先に書いた通り、スリッパが大きすぎて気になっていたのだ。

昨年末、両親が買い物に行ったときに見つけてきたやや大ぶりの冬用スリッパは、温かそうなので妹が正月に来たときに履かせ、その後、私のスリッパがちょうど劣化していたのでそれを私が履くことにした。
少し大きいな……とは感じていたのだが、冬の厚めの靴下を履いていれば、あまりガポガポせずに歩けていたのだ。

しかし春から初夏の陽気になってきた昨今、そのスリッパは新品のときより使用感が出てきたのと相まってますます脱げやすくなってきていて、そろそろ取り替えの必要を感じていた。
階段落ちの前日にもそれを思い、ネットで、スリッパや室内履きの検索などしていたのである。

また、思い返せばその数日前、かすかにではあるが、階段を降りようとした瞬間「主人公が階段から落ちるシーン」が出てくる小説がふっと思い浮かんだりもしていた。

ところで、新しいスリッパを購入しなかった理由がある……私はこの数年、しっくりくるスリッパに巡り合えない体験をしていたからだ。
いわば、「スリッパ難民」。

スリッパ難民と、個人的ライフスタイルの変化

いつからだろう、底の一部に凹凸のあるスリッパが増えた。
ただのまっすぐで固い底よりも、その方が足にフィットするという考えなのだろうか、値段の安いの高いの、クッション性のあるもの、畳風で固い素材のもの、色々試したが、それぞれに底面にあしらわれているカーブや膨らみがあり、それが私には負担で履けなくなっていたのだ。
自分の足裏の凹凸とスリッパのそれとがフィットしないので、履いていると不快な刺激になり、脱がずにいられない。

思えば子どもの頃はスリッパなしの環境で生活していたし、スリッパを日常的に履くようになってからも、昔はもっと無雑作にスリッパを選んでいたものだ。
見かけの色や模様の好みが大体OKで、サイズさえ無理でなければ、ほとんどこだわりはなかった。
色んな価格帯の色んな店のスリッパを、色んな流れで買ったことがあったが、最後に気に入っていたのは、雑貨屋さんで200円だか300円だったかのごく普通のスリッパ。消耗したら替えられるよう色違いで複数買ったくらいだったが、それもいつのまにか素材やデザインが私の苦手なタイプのものに変わってしまっていた。見かけだけは、かなり似ているのだが。

それ以降のことだったと思う、私がスリッパ難民になったのは。
デパートなどで売っている見るからに質の良いスリッパであろうと、百均のスリッパであろうと、合わないものは合わないのだった。

たとえば一人暮らしの時であるとか、住んでいる部屋の条件次第では、総合的に見てスリッパのニーズはもっと低くなると思う。私も、なければないでよしとしただろう。
でも現在のように木造、フローリング(床暖房などはなし)で暮らしていると、冬は底冷えするので履き物の必要性を感じる。家全体の掃除の観点からも、裸足でペタペタ生活するのが適していない。

しかしだ。
そうした中でも、今回の階段落ちで私は「スリッパなしの方向で」暮らしを考えてみることにした。

思えば、2016年の秋頃から劇的に、ライフスタイルを徐々に「あまり一般的でないものに」変えてきた。
シャンプーなどの洗浄剤を使わない、スキンケア用品を何も使わない、ヘナをする、下着への違和感から、かわいい現代風ふんどしがあることを知って愛用し始める……などなど、ドミノ式に次から次と「何が自分に合うか、心惹かれるか」に気づく度、実行してきた。
昨年以降はセルフカット(自分で髪を切ること)も始め、長年満足感の薄かった「髪の手入れは定期的に美容室で」という固定観念からも離れた。

☆そうした軌跡はブログのカテゴリー★日常風景・ライフスタイル★の過去記事をどうぞ。カテゴリー内の一覧は新しい日付順になっているので、古いページに進んでご覧ください。
noteでは★日常生活★というマガジン内に、同種の話題も収録中。☆

結果としてこうした暮らしぶりは、現在の、ウィルス対策によって平常通りにはいかない社会状況の中でも役立っている。

そうした流れが先にあった上で、スリッパについての違和感という以前からの感触あっての、階段落ち。
なるほど、これは怪我の功名だ。

私がかつて「より体に優しい製品」「より自分に合った美容室」などを探し求めていたこと、それは問題の「形」をあれこれ入れ替えるだけで根本解決にならなかったことを思えば、これもまた「より自分に合ったスリッパ」を選ぶという呼びかけではないのだと思い当たった。

先に書いたように、寒い時期にぜひとも履くものが必要だと感じるのに我慢して「何も履かない」ということを実行するわけではない。どなたかのお宅に行って、差し出されたスリッパを断るというような行為でもない。
私の実行するライフスタイルは、特定のルールや教義を決めて形を守るためのものではないのだ。

自分がそうしたいと感じるから、その方が心地いいから実行する。
形がどうであるかはひとりひとり違っていいし、そのときどきで様々な柔軟性があっていいのだ。
特定の形式や方法が体にいいのだとか、あなたの生活にもおすすめしようと言う意図はない。私自身の体験を語ることで、あなたの心地良さも見つめてもらえたらうれしいだけだ。

それを理解して、以下の話を読んでもらいたい。

スリッパをやめてみて感じたメリット

スリッパをやめてみて私が感じた、
■感覚面でのメリット
■体の重心面でのメリット
■心を通じて表れるメリット
をそれぞれ紹介する。
この3つは、どれもが繋がり合っている。

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