予想外の満足に心を開こう!
新しいパソコンがとても自分に合っていて、毎日電源を入れるのが楽しみ。仕事もしやすい!
このパソコンを見てもふれてもうれしくワクワクしてしまうのだが、新しい道具をこんなにも私が完全に気に入るのは珍しい方だ。
「モノ」として手に入れる前に、自分のエネルギーをクリアーにする時間と経験があったのがよかったんだと思う。
買って短期間で手放した、前のパソコンにも感謝だ。
理想に沿わない経験をしたことが心の「あぶり出し」の役目を果たし、自分が何を望んでいるのかを表層で意識していたより一歩も二歩も進めて明確に認識させてくれた(そのエピソードは前回◆「新PCを手放し、別のPCを購入した話【今の自分のエネルギーに揃えること】」をどうぞ)。
それがなければ、今の自分と波長の合う製品が何なのかを、結局判別できなかったかもしれない。
前回から私の仕事道具、いわゆる「製品」との相性を取り上げてきたけれど、その本質は、人との関係でも何でも共通して言えることだ。
たとえば、あなたは「自分はこの人とは相性が悪いな!」と感じる出来事があったとき、相手に原因があると考えたことがないだろうか。
相手との関わりから感じたことについて、責任の全部を相手に被せることはなかったとしても、自分に半分、相手にも半分というように「お互いに原因があって合わないんだ」と、結論づけたことはないだろうか。
スピリチュアリティーの観点からは、相手(対象)は原因になりえない。
原因のある場所はたったひとつ、自分の内側のみなのだ。
「私ではない」あの人、あの状況、あのモノに原因があるのではない。
しかし、「自分以外の何か」に原因があると錯覚してしまうと、あなた自身では解決不可能な問題があるということになり、自分ではどうにもできないと思い込むので、絶望したり無力感を深めたりして苦しむ。
いつだって「あなた自身」の内を変えることで、あなたの現実を変えることができるのだということを、私は繰り返しお伝えしたい。
あなたにとって大きなことから、日常の些細なことまで、すべてがそうだ。
自分で自分をよく知っている……は間違いかもしれないと気づくこと
私の今回のケースに話を戻せば、今手にして使っているパソコンに対してもまた、前回同様、事前に予想できなかった様々な感想を抱いた。
けれども前回購入した製品と違うのは、それが全部予想外のよろこびだったという点である。
実物を手にして初めて、「なるほど、自分はこういう感じが好きなのか」と、今度は自分の好みを発見することに繋がった。
これは、知れば知るほど満足が深まる体験だ。
すでに手放した前のパソコンを使用した際に実物を経験することで、これは自分にとっては望ましくないんだなと「望まない要素」を特定できたおかげで、今回はあらかじめ留意して選択した事柄が以下のようにあった。
■13インチのディスプレイでは小さく感じたので、今度は14インチを。
■ディスプレイがどんなにきれいでも、光沢があって光が反射するディスプレイは使い勝手が悪かったので、次はノングレアにすることを決意。
→今使っているアンチグレアディスプレイは本当に快適! パソコンの画面反射で目が疲れるという自覚がある人ならばぜひ、ノングレアタイプを選ぶことをお勧めしたい(私はこれまでは、近年のほとんどのパソコンの傾向であるとしてあきらめてグレア画面を使っていた)。
■前パソコンのポートが少なすぎて不便だったので、普段よく使うUSBやLANケーブルなどをそのまま差し込んで使用できる機種を。
■キーボードが打ちづらいと負担が大きいとわかったので、自分にとってのキーボードの感触は重視。
■故障時の対応や保証内容といった企業の規定が、私個人の感覚でいいなと思えるかどうか。
……など。
こうしたことは全部、前のパソコンで苦労したことを逆から見ることで望みを抽出することができ、次の製品選びに役立ったのだった。
一方で、今のパソコンを使って初めて、良さを発見したこともある。
まずひとつは、これは本体というよりOSの話だが、Windowsが使いやすくなっていたこと!
Windows7ユーザーで、サポート終了とともにMacに移っていた身としては、初めて使う10の使い勝手の良さに驚いた(笑 多くの人がとっくに10を使っているだろうにね)。
あれ? 案外、Windows、悪くない。というか、使いやすい! と。
以前書いたように私はWindowsのファンでもMacのファンでもないという、どちらかに肩入れする気持ちは持っていない者なのだが、現在の自分の感覚と使い方で比べるなら、今はWindowsに軍配が上がるのではと思わずにいられない。これは、まったく予想外のうれしい出来事だった。時代は進化しているのだ……。
それから、私が購入したパソコンは法人向け製品で(法人以外に個人事業主も一台から購入OK)、ブランド的にもビジネスユースの印象があり、外観がどうこうというのは優先していなかったのだが、実際手にしてみると、このパソコンの外観も思った以上に自分は気に入っていることに気がついた。
机の上に置いていてもウキウキする。嫌なところが全然なく、むしろ素材やデザイン、触り心地を私は好きなのだ。
そして、驚くほど軽い。
私の機種は14インチと大きめな上、ディスクドライブ付きのモデルだというのに、こんなに軽いとはひたすら感心してしまった。
また、マウスを使ってもいいやという気持ちで全然期待していなかったホイールパッド(円形のタッチパッド)も使いやすく、今のところすべての作業がマウスなしで間に合ってしまっている。
今回の製品で「こればっかりは、望めないんだろうな」とあきらめることにしていたのは、本体のスピーカーの音質だ。
私はパソコンに限らず、音を再生する製品全般で、音質をけっこう重視するタイプだ。Macの前のメイン機であったWindows7のパソコンも、音の良いスピーカーが内蔵されているものを選んでいた。
とはいえ、自分の仕事に直接の影響が出るかどうかを考えると、オンラインの講座やセッションを行う際に私はヘッドセットを使用するのが常なので、スピーカーは譲ってもいい条件だと思えた。
あとは、上記の用途以外で音を鳴らすとき、どれだけ自分が嫌だと思わずに使用できるかだが、あまりに耐えられない音だったら、外付けのスピーカーを購入したっていい。そんな風に想定していた。
ところがだ。
結果として、音質が良い製品と感じていたMacbookシリーズを使っていた頃よりもなぜか、今の方が頻繁にネットラジオを流したりしている。
機械との相性がいいと、そんな気分になれてしまうということなのかもしれない。
予想通りこのパソコンの音質は良くない(というか、ごく標準のパソコンの内臓スピーカーで、それ以上でもそれ以下でもない感じの音)のだが、意外とあたたかみのある響き方をするというか、自分にとってそう嫌いではない音だったのだ。良く言えば、昔のラジオみたいな懐かしい感じ。
近年当たり前になった立体感や厚みを感じさせる音ではないが、四角い本体からややこもって鳴る音には冷たいシャカシャカ感が思ったよりも少なく、エコーはスッとしててきれいだと感じるくらいだ。
ただし、YouTubeなどの動画で「人の声、しゃべり」を聴くことを目的に、どうしてもスピーカーをそのままで使いたい人にはおすすめしない。設定やイコライザをいじろうと、人の声の自然な音質にははるかに遠く、違和感のある音しか再生できない。
解決策は、それなりの音を再現できる仕様のヘッドセットやヘッドフォン、イヤフォンなどを使うことだ。そして今のWindowsに標準装備の「立体音響(Windows Sonic for headphones)」をオンにすると、Bass Boostなど選ぶことができ、音楽や動画はかなり満足いく音で楽しむことができる。
だから私も、音質を重視したいときにはヘッドフォンを使用することにしたのだが、予想外にこのスピーカーで鳴らす音も嫌いでなかったので(Macの頃はApple Music内にiTunesの中身を移してあったにも関わらず、音楽をパソコンでほとんど聴かなくなっていたのだが)、しばらく訪問していなかったアメリカのネットラジオ「Dash Radio」を小さな音で部屋に流しつつ、作業したりもしている。
仕事中のBGMは不要派の私でも、休憩中にそうしてぼーっと音楽を聴いて、たまにはこういう形もいいもんだなと新鮮に感じている。
★2017年に「Dash Radio」を紹介したブログ記事はこちら★
◆「感涙!リル・ウェインを堪能できるYoung Money Radio!」
(注: 現在はLil WayneのYoung Money Radioの局はApple Musicに移り、Dash Radioの中には存在しなくなっている)
Dash Radio内の便利機能について書いた記事はこちら。
◆「音楽好きにはDash Radioが楽しいおもちゃすぎる。」
今の私は、このラジオ内のジャンル「HIP HOP」の中の「Southside」か、R&Bチャンネルを選んでよく流している。
今更ながら、海外のラジオをこうしてリアルタイムで聴けるなんて、ネットってすごいなぁと思ってしまうね(昔、聴きたいラジオ局が地域によっては受信できなかった経験からそう思うのだ。アナログラジオの頃ね)。
歴代のパソコンを買い替える度、移行に手を焼いてきたiTunes(それは私がたくさんの曲を入れていて、容量が大きいからなんだけど)が今のところ、不要かもとすら感じているくらいだ。
聴きたい曲もあるのでいずれは入れると思うけどね。
このように今回は、実際に使ってわかったことまでもが、私にはぴったりと合う、うれしいことばかりだったのだ。
あなたの現実の創造の拠点は、内!
自分の経験するどんな現実も、その創造の拠点は自己の内にある。
このことを常時思い出すようにすることは、この世という「夢」あるいは「バーチャル・リアリティー」の外に存在する者の目線を保つということである。
何か劇的なこと、たとえば人生の明らかな転機や命に関わる場面などでその認識を持つことは、衝撃度の大きさに対する反作用という意味で、安易なのではないかと思う。
非日常度が高いほど「真の自己」に思いを馳せやすい、ということだ。
けれども私は日常のつまらないこと、ごく実際的に思える事柄などについてこそ、「創造の拠点」を意識するようにおすすめする。
卑近な例にも、私たちの心の姿勢は表現され、しっかり見つめれば、そこに素晴らしい洞察が宿っているのだ。
自分の思い描く望みの限界を超えた素晴らしさを受け入れる
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