問題を作りたがる癖を手放し、真の自己の道を歩む

ばふー。
この7月は他の月に比べると記事が多く書けていて、シリーズ化していた「生存と働くこと、豊かさ」についての記事※も7月中にフィニッシュ! のつもりでいた。ひとまずの最終回となる、究極的な内容を書こうと思っていたんだよね。

……が、この数日私は突然「スローーーダウン」した模様だ。予想通りにはならなかった。
前回の記事◆「虫 led me to a new world. 自分のことをわかってなんかない。」も、少し前におおかた下書きしてあったからこそ、あのタイミングで公開できた。

※印の解説……生きることと働くこと、豊かさなどをテーマに今年は講座を開催する予定だったのが、講座を行わずにnoteの記事としてその内容を織り込んだシリーズを指す。
特に同テーマが中心に据えられている記事を挙げておくと、以下の通り。
「外向きな『日常』から目を向け直す【あなたの人生を生きることと、内なる力】」
「得ると失うはワンセット。エゴの視点を超越した創造者でいるには」
「生存と働くこと、豊かさへの根本姿勢」
「受け取ることの大切さ。存在の豊かさと調和した世界」
「内的指針はひとつ【すべての苦しみの原因は】」

――これらの記事は、あなたがその都度心惹かれるものを単体の記事として読んでもらうこともできるし、相互に関連した記事として読んでもらうこともできる。
記事で提供するというスタイルは、開催日時を決めて特定の場に体を持ってきてもらう(集まってもらう)講座と違い、それぞれに自由なタイミングで読んでもらえることが利点だ。また、一度読んで終わりでなく、必要なときに繰り返し読み、学びを深めることもできる。あなたのペースに沿って活用してほしい。
なお、この記事もそのテーマの一端を担っている。

……話を戻すと、今月に入ってから、ぎっしりと充電されているような特殊な感覚を伴う期間が長く続いた。
圧倒的に押し寄せる素晴らしいエネルギーがあって、このときまでに何年もかけてあらかじめ自分の器を広げておかなかったとしたら、受け止めきれずに調子を崩したりしたのかもしれない、と思うほどパワフルだった。

徐々に「受容器」となる自分のことを調節、拡大してきたのはこのためかと感じる、深い納得を伴った。

それは心地よいエネルギー充電状態で、活力が不足しないので、睡眠時間も普段より要らずに短くなっていた。
といって、ハイになる状態とは異なる。
何かに焚きつけられたような一時的アッパー状態ではなく、静かでバランスのとれたよろこびの状態にあった。

それが、この数日はまた「新しいものへの準備が進行中!」という感じで、水面下での「残滓をとことん整理する動き」を感じている。
揺さぶり、と表現することもできる。

たとえば、日中には何ひとつ心当たりがなかったのに、私は昨日眠っている間に突然ぽろぽろと涙をこぼした。意外すぎて印象に残っている。
私は泣いている自分と、悲しみの感情に驚き、半ば目を覚まして「え……、悲しみ? どうした?」と、理由がわからず戸惑っていた。

そのとき見ていた夢の前後のストーリーやテイストには、理由になりそうな要因がなかったのだ。
ただ、涙したときのピンポイントのシーンでは、私が夢を記憶している限りでは、猫らしき動物が私の元から去っていくという映像を見ていた。

そして、これは完全に「象徴としての猫」なのだ。

まず、私は猫を飼ったことがない。
また、今年の春あたりまでは個人的にいつか猫と暮らしてみたいという望みがあったのだが、なんやかんやで虫を愛するという新しい方向へ大躍進してしまい、愛する生物の範囲がぐんと広がったため、猫への特別な思い入れはすでになくなっていた。

この夢を逆算して思い当たったのは、この日眠る前に私が、
「私の今抱いている生物への愛も、結局は、表層的な事象への執着になるのかもしれない。手放さなければならないのかもしれない。多様な生物という現れに注目してないで、もっと私は深層を見つめるべきなのでは」
と、変に深刻に熟慮していたことだ。

そのとき、実を言うと途方に暮れるような思いがした。
私は間違っているのだろうか……自分の見ているような形での様々な生物に対する関心は、本質を掴めていないのかもしれないと焦っていた。

これを元に私の夢を読み解けば、猫も生物なので「生物の象徴」と捉えると、私の夢の中で私は、生物への関心を手放そうとした(猫が去る)。
しかし、それを見て、私は押し寄せる悲しみに耐えられず、泣いた。

ぽろぽろと涙をこぼす(眠っている肉体の方でも、どうしてこんなに? と思うほど泣いていた)自分に驚き、「悲しみ? なんで?」と戸惑っていたのだが、私は自分の心を把握できていない部分があったのに違いない。
それは手放すべきものではなく、大切なものだったのだ。
(☆後日追記……この夢には、およそ1ヶ月後に続きがあった。こちら↓
「生物を精霊と見る・アニマルコミュニケーションの新段階」

愛しくて愛しくて、どうしても消えてなくならないもの。
それはあなたの魂の道だ。真の自己による導きだ。

むしろ自分の道を歩むときに茶々を入れてくる小理屈や恐れ、私が眠る前にこねくり回していたような「自分は間違っているのでは」という疑念の思考こそが、手放す必要のあるものだったのだ。

問題を作りたがる習性を、今こそ手放そう!

悲しみは、何かが間違っているサインである。
万事順調に行っているときですら、私たち人間は問題を作りたがる。
まるで、問題発生こそが自然の摂理で、それがないほうが「異常だ」というように。

私は(具体的には虫たちをはじめとする色々な生物を通して訪れた)新しい発見や関心に、胸ときめかせていた。愛しいものが増え、未知に対し子どものように興奮し、何かに飛び込んでいた。

そこに、分別顔の大人の私が警鐘を鳴らした。
それはまるで、こんな感じだ。

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