助けを受ける「資格」という誤解

この物理的現実の体験、人生という「夢」には、「夢の外からの導き手」が絶対に必要だということがわかった。これは、「あれば助けになる」という話じゃない。ないと、必ず迷子になる。
そしてその「導き手」とは、あなたの内側に在るんだよと◆「ここからは、二人で【夢の外からの導き手】」という記事で、すでにお話しした。
つまり、それなしでこの人生を経験している人は誰もいない。

なぜなら、ある言い方をすれば、「この世界の中で生きていると思っている私」を自己の一部分とすると、その導き手の側が「本体」だからだ。
どのようにしても、あなたとそれは切り離せない。常にともにある。

ところで、この夢(物理的現実の経験、人生)の中で、自分がどれだけ簡単に夢の中で自己を見失うかは、面白いほどだ。

前回の記事◆「驚きと思考と夢(内的環境と外的環境、真実があなたに贈るもの)」明晰夢について言及したが、この点で、この現実の中で「いかにこれが夢であると覚えていられるか」の訓練は、明晰夢に対する態度と全く同じなのだ。

あなたが夢の中でアイデンティティーを見失い、偽の自分(分離した状態を信じているエゴ)を自分だと思い込み、夢に捕まってしまわないよう、これから語る注意点を折にふれ、思い出そう。

夢(この現実)の中には、いかなる問題に対する解決もない

ごめん、笑わないでね。でも、これは本当のこと。

「夢の中には、いかなる問題に対する解決もない」

確認のためもう一度書くけど、この記事で言っている「夢」とは、この物理的経験、人生、「この現実」だ。
問題が存在している世界の中で、問題を解決しようとすると、問題の存在をより一層強化することになる、と言い換えてもいいかな。

もう気づいている人もいるのではないだろうか。
夢の中でのルール(観念)に則って思考すると、ますます夢に捕まるということを。
それは、この世界で身につけた思考、採用した観念の有効性を信じるなら、それこそが問題を作った材料だから、同じ問題を維持する選択をすることになるということだ。

だから、私たちはそのリアリティーの中にいない「夢の外からの導き手」に教えてもらう必要がある。

あなたが今、「自分と世界との関係」をどう見なしていようと、この世界はあなたの意識の中にあり、あなたの信じた世界だ。
あなたの信じたことを現実にして経験しているのだから、あなたがその夢の「中の」あり方で考えるということは、同じ観念が地続きとなっている延長上に留まっているわけで、そこから何かを根本解決することは、どうしてもできない。

シンプルだ。問題がリアルな世界の中からの発想で、根本的な解決は決してできない。

これを十分自覚すると、夢(今経験しているリアリティー)の「外」からの導き手あなたの内(夢ではない、実在のありか)から導いてくれることに心を開くという「正しい解決法」が理解できるのだが、

ここで、私たちが「作りがちな罠」がある。

それは、「助けを受ける資格」という誤解だ。

助けを受ける資格を設け、それを満たそうと努力するという誤解

私たちってクリエイティブだよね。
そこにもまた、観念を作るか! という驚きの構造。

私は、助けを受ける資格があるか。
ふさわしい状態になっているか。
準備はできているか?(笑)

……どれも要らない。

でも、自分がそうと決めたら、あなたなりに方程式を設定して、助けを得るためにはこうあるべきだと信じたら、それがあなたの現実になり、あなたは自分の内の「無条件にあなたを愛している導き手」からの助けを受け入れるためにすら、「自分を何か別のものに高めなければならない、変えなければいけない」と思うのだ。

資格を得るために。
助けられるのに「ふさわしい自分」になるために。

そして、そのために努力もする……「まだ、十分じゃない」「自分には何かが足りない」と思いながら。
贈り物は、差し出されているのに!

このように、夢の外からの導き手による助けは、誰にでもいつでも与えられており、「助けを受ける資格」は何も必要ない。
ただ、あなたが助けに「気づくためにできること」はある。また、受け取った助けをあなたの世界に「適用するためにできること」はある。

それを、大きく3つに分けてお伝えしよう。
あなたが自分自身で、実用できるように。

内からの助けに気づき、あなたの世界に適用するには

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