驚きと思考と夢(内的環境と外的環境、真実があなたに贈るもの)

自分の見ている夢の中で、あまりにびっくりすることがあると、意識が体に戻ってきて目が覚めてしまうことが多い。
ああ、今回お話ししているのは通常の意味での「夢」、眠っている間に見る夢のことだ(記事によっては、この現実のことも「夢」と説明している)。

以前からその経験はあったが、特に最近それが顕著だ。
その「びっくり」とは、うれしい驚きが主なのだけど、普段の(起きている間と同様の感性の)自分の発想外だったり、夢のシナリオ上、そんな展開になるとは予想できていなかったりして、心底驚いてしまう。

そして、その驚きで目が覚めた後も、「ええっ……」と、エコーがかかったようにしばし想定外のドキドキ、あっけにとられた余韻を味わうのだ。

夢は、私の意識の中にあるというのに、これは興味深いではないか。
どこかには、それを「知っている」部分があるに違いないのに、私は本当にびっくりしているのだから……。

驚く、とは「知っている自己」から離れている、自分で自分を忘れている状態だから、分離を前提とした自分(日常意識)に戻ってきてしまうというのは、道理だ。

こんな構造が可能だからこそ、この現実(起きて活動している間の現実)でも、自分の意識の創造でありながら「びっくり」が味わえるんだなぁと納得する。

「びっくり」で目が覚めてしまう現象は、明晰夢のときにも共通だ。
明晰夢とは、夢の中で夢だということを自覚しながら活動できる状態なのだが、それを維持する際にはいくらかのコツがある。

すでに挙げた「驚き」のほかに、考え込むこと、思考に入りすぎることも、あなたを明晰夢の状態からはじき出してしまう。

明晰夢で得たヒント。過剰な思考と物質世界

明晰夢では、日常(体が起きている間)の自己意識を持ったまま、夢の中で「これは夢だという自覚を持って」活動できるのだが、このときの意識状態は完全に日常と同じだというわけではない。

前述の通り、明晰夢の中で活動しながらあまりに思考に入り込みすぎると、物理的現実に意識の焦点が合って目が覚めてしまうのだ。

これは、明晰夢の中で思考を持てないという意味ではない。思考を働かせていても平気なのだが、思考と同一化するほどどっぷり自己を投入してはいけない。この適度な加減がある。

そして、私は明晰夢のこうした経験からヒントを得て、「思考に入り込む」ということが、私たちにとって「自然な状態ではない」とともに、「物理的現実に自己を縛り付ける作用を持つ」のだと気づいた。

この一見強固な物質世界の中にある「肉体、イコール私」という観念の中に自分を幽閉しておくためには、心を既存の思いでいっぱいにしておき、それ以外のアイディアが片時も入らないようにしておく必要があるようだ。

ところで、こんな疑問が浮かばないだろうか。
あなたが普段暮らしているとき、どんなに自分の思考にどっぷり浸かったとしても、この夢(物理的現実)の「外に」出ることはないではないか、と。

あなたの内的状態の変化に伴って、さっきまで部屋の中にいたはずなのに、急に見知らぬ空間にいた! ということは起こらない(明晰夢など他の次元では、自身の内の状態と外の環境は、よりわかりやすく連動する)。
こうした「一見、安定していて継続して見える物理的現実の景色」のおかげで、自分の放っているエネルギーがどのように変化しているかを、あなたは明確に自覚していないかもしれない。

けれども、あなたの内の状態は、確実に環境に反映されている。

様々な環境問題しかり、それが世界規模であれ個人規模であれ、外的環境を良くしたいのなら、自分の内の環境を整える必要があるということだ。

あなたの内的環境は、外的環境

物質というのも概念だ。
どっしり安定して見える物質があったとしても、それは「この世界」の合意に基づいて「固く結ばれたように見える」考えなのだ。

私たちにとって「水」が固体であるとき、液体であるとき、気体であるときに異なる体験になるように、ある物質も、あなたが意識フォーカスを変えれば異なる姿、たとえばより柔軟な姿を見せる。

思考は、あなたがそれを信じる限り、あなた自身を「物理的な壁」のように固く阻み、その中に閉じ込めることができる。これは比喩でもなんでもない。
「この現実」の中であなたは、様々な(あなたのシナリオにとって不自然ではない)物理的現象として、自分の思考を体験する。

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