夢の目的を保持することと、状況全体の選択(ただ見ていたいpart2)

外は紅葉が美しいね……と思っている間に、どんどん落ち葉が増えてきて、カサカサ鳴る音や感触も楽しい季節。
周囲の鳥さんや虫さんたちの様子にも相変わらず胸ときめかせているけれど、日々感じている自然への愛を記事に綴る機会が減っていたのは全生命の根本、この世界についての理解の「核」を伝えたかったから。
私が会得したことの息吹を、新鮮なうちに文字化したかったから。

今回の記事のタイトルに「夢の目的を保持する」とつけた。
この場合の「夢」とは、あなたが「目を覚まして、起きて活動している」と思っている間の現実を指している。

この現実はあなたの意識の創っている夢であり、あなたが夢を見ている者、「夢主」だということだ。

そう気づいたからといって夢が消えてしまうわけではないし、夢(この現実)の経験に価値がなくなるわけでもない。
むしろあなたは、これは自分の夢であるという自覚を完全に持つことによって、あなた自身の夢を幸福な夢、愛に基づいた最高の夢として創造することができる。

どこかで苦しみ、葛藤し、分離した者同士がお互いを恐れる世界という夢ではなくて。

夢の目的は、行動・行為に依存しない

前回の記事◆「夢の完成に向けて」を含め、私が記事で「目的」という言葉を使うとき、それが一般的に考えられている目的とは異なるかもしれない、ということを先に説明しておこう。

私の言っている目的とは、「分離した個人だと思っている自己」の「行動、行為」には依存しないのだ。

たとえばあなたは「今日これをしたい」とか、「どこどこへ行きたい」とか肉体を使って行う色々なことを思い、それらを短期的な「目的」と捉え、中でも長期的に達成していくような内容は、人生内の折々の「目的」と考えるかもしれない。

しかしそれらは、私の意図している「目的」ではない。

あなたという存在は「物理的世界の中にある、動きの焦点を意味する個別の体」ではないからだ。

自分とは何であるかの前提が間違っていたら、目的も間違ってしまう。

この現実を、霊的存在(物理的現象に依存しない存在)の創造する夢と見たときに、目的とは何を意味するかというそのことと、前回記事内で言及した、私が十年ほど前に、人生や生きることについて他の願望を持つことなく「ただ見ていたい」という気持ちになっていたこととは、同じところに端を発している。

また、それは先月の記事◆「Doer(行為する者)からの脱却」で伝えたこととも関連している。

これから説明することを「実感として理解」するためには、あなたが日常、眠っている間に経験している夢を思い出してもらうといい。
なぜなら、その夢と、この夢は、何も違わないからだ。
本質的に同じものなので、そこでできることはこちらでもできる。

時間や空間についての理解も、そうだ。

ただ、あなたにとって、こちらの(物理的な経験をしている)現実の方が「ルールに固く縛られている」ように、自分自身が思い込んでいるだけだ。
合意した現実は破れないと自分で信じるようになっただけだ。

自分で決めたことなら、変えられる。

夢を見ている者の立場とは。状況全体の選択、時空の使用法を理解する

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