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Noteを書くにあたって決めたこと(まじめ)
自分の経験に基づく、自分なりの意見を書く
長いのか短いのかはわかりませんが、もう15年以上、職種を変えながらも子どもに分類される人を対象に福祉の現場で働いてきました。最近は、特に幼児期の子どもたちに作業療法士として関わっています。
幼児期の子どもが自分で自分の困りごとを表現したり、訴えたりすることはとても少ないです。そのため、作業療法を行う上で主訴として伝えられるのは主に子どもたちに関わる保護者
どんな人も、誰かや何かを害することがなければ、その人がしたいことをして好きにすごしていいと思っている。なのに、対自分には特別な何かを期待して、時に普通という名のもとに人を否定することを言いたくなってしまうのは何故なんだろう。これがきっと自分の中にある偏見で、差別の元なんだな。
ずっと新鮮な気持ちで
初めて出来てガッツポーズするほど喜んだこと、わかったり知ったりして飛び上がるほど嬉しかったこと、心を震わせた数々の瞬間が、今まで少なからずあったはずなのに。
今はもう、多くのものに見慣れて、見飽きてしまった。このままでいいのかと、これでいいのかと、新しいことに踏み出す勇気もないくせに。漠然とした不安や焦燥感に駆られる瞬間がある。
一方で、初めてのことに不安で立ちすくんだことや、わからなくて知らな
偏食のこと(その前に・まとめ
その前が続いてしまうのですが、なぜこんなに「その前に」で書くことがあるのかなあ、と自分なりに考えてみました。
偏食に対して何かをするということは、結果として食べる量や食べられるものが増えることが目的だと思うのですが、その目的はあくまでも、食べることそのものの目的が果たされていることが大前提だと思います。ただ、偏食に対する目的(食べる量、食べられるものが増える)にフォーカスを当てすぎると、その前に
偏食のこと(その前に・2
好きな食べ物はなんですか?
私は小さい頃から好き嫌いがなく、むしろ兄弟のものを取って食べるような食いしん坊だったと親からは思われているのですが、記憶をよく辿ってみると、何か好きじゃなくて噛まずに飲み込んでいたものがあった気がします。
好き嫌いをするのは悪いこと、なんでも食べられるのがいい子、という大人からのプレッシャーがありました。そんな時代の生まれです。
偏食対応の条件を書いていこうかと思っ
先生(私)との関係だから、出来るんだと思います(学校で苦手なタイプの先生に当たったら難しいかも)と保護者に言われることがあります。ジェスチャーやサインは誰もが使ってくれるわけじゃないから使わないという支援者もいます。
誰とでも出来ることじゃないと、意味がないと思いますか?
別れの季節。いつも終わりの時間が来るとさっと帰る子が、誰から言われたわけでもないのに「一年間、ありがとうございました」と言い、泣き出した。もっと何かしたいとか、これは嫌だとか、あまり出てこない子だったのに。 感情はどこから生まれてくるのだろう。
偏食のこと(その前に
朝ごはん、何を食べていますか?
偏食対応の条件について話す前に、食事について、もうちょっと深く考えたいと思います。
食事は文化だなあと、つくづく思うのです。
かつて、先輩のOTに一般家庭の朝食の写真を集めた、写真集?のようなものを見せられて、「朝ごはんひとつとっても、家によって全然違うんだよ」と言われたことがあります。今でこそ、SNSで「うちの朝ごはん」を載せてくれるものを見ることができるけれど
みんなが主役。脇役の人も必要。どちらも同じこと。私は主役になろうと思っていた時は苦しかったから、誰かの人生の脇役である今の自分が好き。自己顕示欲が全く無いのかと聞かれたら、無いとは言えないけど。自分の支援内容をフォーカスされるよりその結果、子どもが"らしく"育つ方が嬉しい。
言っても無駄だ、という経験を重ねることほど苦しいことはない。でも、人と違えば違うほど、そういう経験は多くなる。不平不満を抱えて生きていたくないから、建設的に解決できるようにしたいのに。言ってわかってもらうことは難しすぎて。言っても無駄だという言葉が浮かんでくる。
子どもを守るということは、行動を制限したり何かを禁止したりすることだけではなくて、困ったときにいつでも助けてくれると子どもに思われる大人でいること