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曜変天目茶碗【 2/3 】  藤田美術館 大阪

唐物と呼ばれる中国から海を越えてきた茶碗。その中でも曜変天目茶碗は世界にたった3碗といわれ、何故かすべて日本にあります。その1つを所蔵している東京の静嘉堂文庫美術館に続き、関西で年に1回ペースで展示される美術館を。
 


関西には実業家によるコレクションを源流とする個性的なミュージアムがいくつかあります。その中でも新しくなったモダンな建物が印象的な藤田美術館。大阪は水の都といわれますが、美術館はその言葉が実感できる旧淀川と寝屋川の合流点近くにあります。


藤田美術館

藤田美術館は明治期の実業家藤田傳三郎ふじた でんざぶろう(1841-1912)とその子平太郎へいたろう(1869-1940)、徳次郎とくじろう(1880-1935)によって蒐集された美術品を展示・収蔵するため1954に開館(所蔵品は国宝9件、重要文化財52件を含む数千点)。建物は藤田邸の蔵を改装したもので、太平洋戦争時の大阪空襲の生き残り(邸宅は一部焼失)でした。2017年に一時長期休館して建て替えられ、2022年にリニューアルオープンしました。設計・施工は大手ゼネコンの大成建設、傳三郎さんが会社の源流に関わっています。

美術館は大阪城の北側、旧淀川沿いにあり、藤田邸跡公園に隣接しています。東側には旧太閤園(旧傳三郎淀川邸で、後に宴会、結婚式場に)。

美術館のHPにある藤田家の系図を見ると、現在の館長、さん(1978- )は傳三郎さんの玄孫で、かつ徳川慶喜よしのぶの玄孫。


スッキリしたデザイン


大阪府大阪市都島区網島10-32



パンフ2016年版

こちらは古いパンフ。建て替え前の展示室外観と室内が。
 

桃山から江戸へ 展 チラシ
2016年9月-12月 藤田美術館
 

一時休館が近いと聞いて足を運んだ展示。曜変天目には出会えず。空襲を乗り越えた展示室(蔵)はこの時でお別れ。

リニューアル後に足を運んだのは2022年6月。支払いはキャッシュレス(当時は現金も可)を推奨。年配の方はキャッシュレスと展示品案内のためのアプリ?(使ってないので不明)、ダウンロード用のWifi設定で苦戦。対応されるスタッフも1人だったので、余計な渋滞が発生していました。
また照明の照度が低いのに加え、出口(自動ドア)が分からずウロウロされてる方も多数。
個人的にはパンフやチラシ類がペーパーレスになっているのは不満なポイント。つまりチケットも何もない(笑)。

思い切って削れるトコロは削ってみようというスタンス。新しい試みは全然否定しませんが、かなり振り切ったスタイルも多様性の時代でしょうか。
2年経過して現在では馴染んでいるのかもしれません。 またそのうち足を運ぶでしょう。でもチラシやパンフは欲しいぞ!


藤田傳三郎という人

傳三郎は江戸時代の終わり、長門の国(山口県)で酒造を営む商家に生まれます。明治期に大阪で実業家を志し、長州藩の武器払い下げの請負により財を成します。そして軍靴の製造に始まり、藤田財閥の中核となった鉱山事業(現DOWAホールディングス)に土木建築や干拓事業(岡山県児島湾)、鉄道、電気といった国のインフラとなる事業を手掛けます。
創業期には多くの職人を束ねて率い、財力や行動力はもちろん交渉力にも秀でた能力を持った方だったようです。
同時代の実業家系数寄者の益田孝ますだ たかし(鈍翁:1848-1938)の傳三郎評は、
「頭脳明晰にして何事にも秩序整然」「好んで他人の説を傾聴すること」の2点。後者は現代においても大切なコトですね。コミュニケーションとは聞くコトから始まります(意外と出来ません)。そして聞いているだけでもいけません。

一方、傳三郎は明治維新による社会の急激な変化の中で、旧権力層(大名家、公家、寺社)が生活に窮したために伝来の美術品を手放し、それらが海外へ流出する状況を危惧しています。そこで国の重要な美術品が散逸しないように、自ら蒐集を始めます。
こういった考え方は益田孝など他の明治初期の実業家たちにも共通しています。伝統と革新は表裏一体といったトコロでしょうか。


大阪の曜変天目

かなり昔に大阪で曜変天目を一度見ていますが、記憶は彼方へ。
下は10年ほど前の東京のサントリー美術館での展示。大阪から出張してくるのは珍しいケースだったようです。
当時は「曜変天目スゲー」ぐらいのカンジでしたが。
 

国宝 曜変天目茶碗と日本の美 展 チラシ2種 (左) A4、(右) A3:2つ折り
2015年8月-9月  サントリー美術館(東京都港区)


国宝 曜変天目茶碗と日本の美 図録 絶版?
発行:2015年 235ページ 朝日新聞社
編集:藤田美術館、サントリー美術館
福岡市美術館、朝日新聞社

図録は藤田美術館所蔵品から選抜された逸品を収録。コラムも多彩。今読み返してみると目からウロコ的な内容(それなりに成長してるコトを実感)。曜変天目についても詳しいコラムがあります。
コラムの執筆者には出川哲朗さん(当時の大阪市立東洋陶磁美術館 館長、ヤバいよの人ではない)の名前も。藤田美、サントリー美、東洋陶磁美に朝日新聞と大阪色が全開。
巻頭数ページの撮影は写真家の三好和義さん(徳島の人)によるもの。
曜変天目を青の楽園ととらえ、阿波藍に重ね合わせています。なるほどー!


美術館のHPには、現代作家で曜変天目の再現に取組まれている長江惣吉ながえ そうきち(1963- )さんと館長さんの対談があります。代々の当主は惣吉を名乗り、この方は9代目。
ミュージアムのコンテンツとして収蔵品の解説だけでなく、現代の継承者、関係者とのお話は興味深い。
 


(参考)曜変・長江惣吉展 チラシ
2017年6月-7月 瀬戸市美術館 

この展示はかなり興味がありましたが行けず(泣)
チラシで見る限り、曜変天目にしか見えません。

話を大阪に戻します。
館内は撮影可能です。国宝や重要文化財を多数所蔵する古美術系のミュージアムでは貴重。
 

展示室への入口

元展示室だった蔵からキャリーオーバーされた入口。前出の図録には当時の写真が掲載されています。入口はそのまま。


展示室ごとにテーマを一文字で表現。3つのテーマをそれぞれ1か月ほどずらして入れ替えているようです。2024年の曜変天目は6月からの予定。


 

曜変天目茶碗

藤田美術館の曜変天目は徳川家康(1543-1616)から末子頼房よりふさ(1603-1661)へと渡り、そのまま水戸徳川家に伝来したモノ。明治期の水戸家の売立てで平太郎が入手し、藤田美術館の所蔵品に。

まさに小宇宙です。展示室はそれほど込み合うことはなく、ジックリ見るコトができました。


仏功徳蒔絵経箱
 

平安時代に製作された国宝の経箱。美しい細かい蒔絵は写真では分かりにくい。800年前の技術とは思えません。


桜狩蒔絵硯箱

文字さえ書かなくなりつつある現代人には無用の長物か、尾形光琳おがた こうりん(1658-1716)の硯箱。
人の手による超絶技術にため息。和歌の素養が無い自分が悲しい(泣)。
 

唐物茶入 盧庵 セット
 

茶入れと仕覆や蓋一式での展示は好み。付属品は傳三郎さんが趣向を凝らし新調したと前出の図録にあります。


茶入・在中庵付属の小堀遠州消息 と仕覆たち


村田珠光作の茶杓

珠光作のスプーンのような茶杓。茶さじ?


千利休作の茶杓 東方朔
  
出口は入口と同じ?
  
こちらも蔵からのキャリーオーバーでしょうか
悟りの窓的な
  
  
多宝塔

出口から外に出ると、高野山の光台院から移築された多宝塔が。妙に馴染んでいます。


展示室入口前の空間と一体化していた茶室は、外から見ると別の建物でした。


藤田美術館は2017年に所蔵品の一部をニューヨークのクリスティーズ・オークションで売却しています。その売却額は約300億円!予想落札額を大幅に超えた金額だったそうです。美術館のコレクション売却にはネガティブなイメージを持つ方もいるそうですが、現在のコレクションを補完したり拡張のための新規導入や新しい取り組みに期待です。

そして美術館の東に隣接する太閤園(レストラン、結婚式場)は売却され閉鎖しています。売却先は創価学会。前オーナーの藤田観光(ワシントンホテルブランドや東京の椿山荘を運営)は、コロナ渦でのダメージが甚大で苦渋の選択と。その売却益は報道によると約330億円。敷居の高そうなトコロでしたが、コーヒーぐらい飲んでおくべきでした(美術館に入館すると割引券をもらえました:当時¥915→¥700 いいお値段)。
 

門を閉じた太閤園
 


新生藤田美術館はモダンでシンプルな建物になり、併設した茶屋が目立ってミュージアム感が薄い気がします。パッと見は普通にカフェ。外からでもお客さんの姿が認識できるので、敷居は低くなったのではないでしょうか。
 

茶屋にはずーっとお客さんが



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