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入口はポンポン 群馬県立館林美術館【高橋 靗一】群馬県館林市

群馬県には県立美術館が2館あります。1つは県中部の高崎市に1974年に開館した群馬県近代美術館。もう1つが県東部に2001年に開館した群馬県立館林美術館。正直素人にはどういう住み分けなのかが分かりません(笑)
地域文化の違いやら何か特別な理由があったのでしょうか?

初めての館林美術館へは、理由があって足を運んだわけではありませんが、妙に気になる彫刻に出会い、そこから思いもよらない展開となりました。


群馬県の人口分布は、中部にあるオーバー30万人都市の前橋市と高崎市のツートップに集中しています。
一方、館林市は人口73,000人と県内では規模の小さい方の市。地図で見ると、東部といっても栃木県に食い込んだような変わった形をしています。

戦国好きなら徳川家康(1543-1616)が関東移封時に、ご存じ徳川四天王の1人榊原康政さかきばら やすまさ(1548-1606)を配置した北関東の要所。当然のように、館林市第一資料館は要チェックのミュージアム。

小平太です(模本) @トーハク

現地に足を運んでみると、図書館に併設された小規模のミュージアム。展示内容的には初めて知るローカルネタも多く、数年に一度のペースで興味深い企画展が開催されています。
ちなみに康政以降の館林は、3代将軍家光いえみつ(1604-1651)の子綱吉つなよし(5代将軍:1680-1709)や6代将軍家宣いえのぶ(1662-1712)の弟松平清武まつだいら きよたけ(越智松平家:1663-1724)の所領にもなっていて、幕府もこの地を重要視していたコトが分かります。

現地で情報を集めてみると、館林は里山ならぬ里沼をアピールしています。確かに第一資料館のある館林城跡は城沼のそば。そしてもう1つの大きな多々良沼も公園化され、その近くにあったのが県立美術館。
初回はショップを見て回る程度でしたが、シロクマがなんだかカッコよくて頭の隅っこに残りました。平日だったので人もまばらで、よくある地方都市に見られるミュージアムの風景。
調べてみるとシロクマの父・ポンポンさんのアトリエが再現され、日本屈指のコレクションをお持ちとか。



群馬県立館林美術館

群馬県館林市日向町2003

周囲には田畑が広がり、美術館が建ったのがなんとなく理解できるロケーション。ただし交通の便は不明(HP上では良くはなさそう)。


パンフ 2021年版
パンフ別館編 2021年版
パンフ建築編 2021年版
子供向け 2021年版

パンフレットも充実しています。そして参考に建築図面を2種。

平面図 @国立近現代建築資料館
左側が建物で右側は駐車場
立面図 @国立近現代建築資料館


高橋靗一

@国立近現代建築資料館

美術館の設計は高橋靗一ていいち(1924-2016)。他の作品には佐賀県立図書館や佐賀県立博物館(共に内田祥哉と共同設計:佐賀県佐賀市)、パークドーム熊本(熊本県民総合運動公園:熊本市東区)。そしてくまもとアートポリスの2代目コミッショナー(初代は磯崎新いそざき あらた、現3代目は伊東豊雄いとう とよお)にも。

佐賀県立博物館 左は美術館(佐賀県佐賀市)


ちなみに上記の館林美術館の図面は、国立近現代建築資料館で展示されていたモノです。プロもオタクも素人にも勉強になる面白いミュージアム。

日本の近現代建築家たち 図録
発行:文化庁 2023年 72ページ
編集:国立近現代建築資料館

この図録は無料配布されていました。ストックがあれば建築資料館で入手可能です。過去にも興味深い展示が多数、そういう展示に限って図録は絶版!
また下記サイトからPDF版のDLも可。


館林に戻って本題へ

ポンポン展

フランソワ・ポンポン 展
2021年11月-2022年1月 館林美術館
(左)2021年9月-11月 名古屋市美術館
(右)2022年2月-3月 佐倉市立美術館

初訪問から機会を待った2019年。ポンポン展は日本各地を巡回していました(他には京都や山梨も)。仕事の関係で名古屋で予定が合いそうでしたが、せっかくだからと日本では聖地と思われる館林に。ちなみに佐倉でも遭遇。なかなか機会に恵まれなかったのに、見れるときはそういうモノ。
チラシはイノシシが躍動する名古屋版が好み。

展示室内は撮影不可。別館のポンポンのアトリエは撮影可。

主役はやはりシロクマ。素材違いやサイズ違いが各種あり、フォルムが微妙に違います。思いのほか手足が太く頭が小さいのが特徴です(毛皮のせい?)。禅問答のような黒いシロクマがいたり、ポーズ違いの黒いシロクマかと思ったらヒグマ。さらには白いヒグマ(笑)

イノシシの躍動感はハンパありません。跳んでます。天翔けるイノシシ。実際のイノシシは結構なサイズなので、あれが跳んだらヤバすぎですけど。

自然界には余計なディテールは無いモノと思っていましたが、ここまで削ぎ落としてもポンポンさんが表現すると生き物そのもの。

 フランソワ・ポンポンを知る 図録
発行:2021年 103ページ
群馬県立館林美術館

ポンポン展の図録は別にありましたが(おそらく巡回展共通)、館林美術館のコレクション図録を悩んだ末にチョイス。群馬展チラシと同じデザインで、よくわかるポンポンの伝記的な一冊。

窓の外に唯一撮影可能だった作品が。


こちらは別棟で再現されたアトリエ。

作品たちも復元されています


ポンポンという人

フランソワ・ポンポン(1855-1933)は、オーギュスト・ロダン(1840-1917)の工房や他の彫刻家の仕事を請け負いながら腕を磨き、動物彫刻の世界で独自のスタイルを確立した人。
同じくロダン工房に在籍したコンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)は「大樹の陰では何も育たない」と2ヶ月で見切りをつけたそうですが、ロダンの才能のスゴさを物語るエピソードです。
ブランクーシの作品も、結果的にポンポンさんと同じくデザインを洗練させていく方向に舵を切っていったのがヒジョーに興味深いポイント(ブランクーシは最近知ったけど)。

ポンポンさんは動物園に足しげく通い、動物をよく観察していたそうです。動物の方も「ポンポンさんが来た!」と認識するほどだったとか。展示にはポンポンさんが収集したハガキに雑誌や新聞の写真切り抜きコレクションも(館林美術館蔵、図録にも掲載)。見ていて頭に浮かんだのは伊藤若冲(1716-1800)。時代はオーバーラップしていませんが、洋の東西を問わずやるコトは同じ。観察の末に見えるものすべてを盛り込んだ人と極限まで削ぎ落とした人。2人の視点は背中合わせ。


ポンポン作品はコレクション展示でも楽しめます。


そして展示の中でポンポンさんにパリで作品をオーダーした日本人がいたコトを知ります。ポンポンさんはきっちり帳簿(館林美術館蔵)を付けていた人で、シロクマとバン(水鳥)を注文した日本人が前田利為としなり。何か真珠がどうとか目黒でやってたなーと記憶が。

新たなトビラのが開きます。


里沼は渡り鳥の飛来地



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