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百花繚乱リターンズ:皇室のみやび 三の丸尚蔵館【皇居:旧江戸城】 東京都千代田区

以前都内の某ホテルに勤めていた頃、高齢のお客さんから「キュージョーまでタクシーをお願いします」と言われました。よく聞き取れなかったので聞き直すと「キュージョーです」と。「後楽園ですか?」と確認すると「あー皇居です」とのお返事。あとで先輩に確認すると、皇居で叙勲を受ける人はそういう呼び方をすると初めて知ります。確かに礼服をお召し。
宮城きゅうじょうは、みやぎではなく戦前の皇居の呼称。そのホテルでの担当部署はワンオペかつ一人OJT(マニュアルなし)だったので、こういうケースは多々ありました。発見も多く楽しい経験でしたが。
今やアメリカと戦争した過去さえ知らない人もいて、皇居の古い呼び名を知らなくても致し方ない(言い訳)。ただし戦前を経験された方々には、天皇という存在が現在の人とは受け止め方が違うのもまた事実。


東京の中心にあって自然豊かな公園のようですが、ちょっと背筋が伸びる気がする皇居。警察官も警視庁と皇宮警察がミックスしています。インバウンドが増えて言葉とかどう対応してるのかなと余計な心配も。
そんな皇居内にある超一流のモノばかり収蔵・展示するミュージアムがリニューアルしています。

高麗門

現代も機能を維持している大手門桝形前の高麗門、荷物チェックあり。

大手門渡櫓

大手門は大名用の正門で1967年の再建。
大手門をくぐってすぐの所に三の丸尚蔵館は見えてきますが、一旦スルー。

百人番所

甲賀、伊賀、根来ねごろ、二十五騎と4組の鉄砲百人組が交代で詰めた警備オフィス。二十五騎以外は、きな臭くてなにやら戦闘力の高そうな名称。ハットリくんやケムマキ氏の御先祖たちでしょうか。各組は20人の与力(旗本の補佐)と100人の同心(足軽格)から編成されたチーム。


天守台

天守は1657年の明暦の大火で焼失しますが、以後再建されず。観光の目玉としてでしょうか、再建運動を時々耳にします。
雅楽師の東儀秀樹とうぎ ひできさんは天守台あたりでスケボーしていたそうですが、まさかココ?


本丸にある資料室内の天守模型は、天守台に建っていたモノ。再建されても現代ではあまり周囲は見渡せなさそう。宮殿を見下ろすのは不敬というのが反対派の常套句。

大手門方向へ戻って尚蔵館へ

尚蔵館は同心番所の隣

外国人観光客が熱心に解説を読んでいた同心番所。英語ではガードハウスと表現されていて、同心はロー・ランキング・サムライ。百人番所は100メン・ガードハウスでした。何だか微妙。


三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵館は上皇陛下とその母香淳皇后から寄贈された美術品を研究・公開のため1993年に開館。後に旧秩父宮家や旧高松宮家からの遺贈品、三笠宮家からの寄贈品も加わっています。2023年からは運営・管理が宮内庁から国立文化財機構(4つの国立博物館と同じく)に。

新 尚蔵館

2023年に新しくなった尚蔵館。まだ一部開館で、全面開館は2026年の予定。確かにエントランス部分は仮設っぽい。設計は日建設計、施工は清水建設。


旧 尚蔵館

こちらは今はなくなった1993年に開館の尚蔵館。建物の前にあった三の丸尚蔵館と記された石碑が、新館のスロープ脇に取って付けたように設置。

東京都千代田区千代田1-8


パンフ 旧 尚蔵館版
 
パンフ 2023年版
 


新しくなって大きく変わったのは予約制になったコト。入館者数管理に気を遣うのは仕方がない気はしますが、気軽に行くカンジではなくなりました。そして有料化は時代の流れでしょうか(無料から¥1,000はパンチ効きすぎ)。またリニューアル直後は、国宝だらけで若冲人気もあってか予約が取りにくかったコトも驚きました。人混みは避けて第1期には行けず。
展示品が明治以降の新しめだった第2期(1月4日~3月3日)は一転して比較的予約が取り易く(人の流れも変化?)。
3期はスルーして、1期と似た雰囲気の4期(5月21日~6月23日)へ再び足を運びました。


開館記念展 総合(1~4期)チラシ
2023年11月-2024年6月 三の丸尚蔵館
 
第4期 チラシ
2024年5月-6月

とにかくインバウンドの多い皇居。警備の警察官の話では、平日はほとんど外国人! まあ皇居は無料だし。ただし尚蔵館のお客さんはほとんど日本人(予約制だから?)。展示室は基本撮影可能。

綺羅星のごとく並ぶ逸品を、個人的趣味によるチョイスで制作年次の古い作品から

萬国絵図屏風(重要文化財)

王侯騎馬図と二十八都市図

右隻は各国の騎乗した王様とヨーロッパを中心に世界の28都市の図。

世界地図と諸国人物図

左隻は世界地図と42種の人物図(日本人もいます)。驚いたのは、この屏風の作者が日本人と考えられている点。西洋スタイルですが、日本のイエズス会セミナリオで学んだ人とされています。南蛮渡来の献上品といわれても納得してしまうクオリティ。


狩野永徳プラス

唐獅子からじし図屏風(国宝)

右隻は狩野永徳かのう えいとく(1543-1590)による桃山時代の作品。屏風右端下の極書は永徳の孫探幽たんゆう守信もりのぶ:1602-1674)によるもの。

左隻は狩野常信つねのぶ(1636-1713)により江戸時代に描かれたもの。常信は探幽の弟尚信なおのぶの子で木挽町狩野家の人。永徳の曾孫。

唐獅子図は長州藩14代毛利元徳もとのり(1839-1896)からの献上品。雪舟さんだけでなく永徳さんのスゴイのも持ってたんですね。

実はトーハクで唐獅子図のコピーが展示されていました。キャノンによる高精細複製品で尚蔵館での原本展示に連動していたものと思われます。その解説文にさりげなくあった尚蔵館の案内。


伊藤若冲

伊藤若冲じゃくちゅう(1716-1800)は京都の富裕な青物問屋の人。
鮮やかな色彩と詳細な描写力が映えます。また多彩な画法を見せる発想の豊かな人。若冲といえば鶏が代名詞、庭に数十羽を飼い、観察し、写生したそうです。もはや家族。

動植綵絵どうしょくさいえ(国宝)
若冲が京都の相国寺に寄進した30幅の花鳥画で、制作にかかった年数は約10年。明治に入り廃仏毀釈で疲弊した相国寺が明治天皇に献上したモノ。2006年に6年かけて修復・調査されています。

諸芙蓉双鶏図

衆鱗図的な1幅。タコの伸ばした足には子ダコがチョコンと。

芙蓉双鶏図

アクロバティックな鶏、どういう態勢?


蓮池遊漁図

一匹だけ異分子が。


老松孔雀図

若冲は孔雀を見たコトがあったのでしょうか?

動植綵絵 図録
発行:2006年 65ページ 菊葉文化協会
編集:宮内庁三の丸尚蔵館

修復後の展示で発行された図録。全30幅を掲載、若冲の超絶テクニックや修理で得られた知見が解説されています。


(参考)双鶏 @熱田神宮(愛知県名古屋市)

熱田神宮でよく見られる鶏たち。境内を割とアクティブに活動しています。神鶏と表現される方もいますが、よく分かりません。動植綵絵にはいないタイプの柄、名古屋コーチン?

若冲の前から人がいなくなるコトはありませんでした。激写する人は多い。


酒井抱一

花鳥十二ヶ月図

2月 菜花に雲雀図
 
3月 桜に雉子図
 
10月 柿に小禽図
 
11月 芦に白鷺図
 

酒井抱一さかい ほういつ忠因ただなお1761-1829)、江戸琳派の人。姫路藩初代酒井忠恭ただずみ(1710-1772)の孫。兄忠以ただざね(1756-1790)は姫路2代藩主で茶人宗雅そうがとして知られています。
抱一さんは江戸の文化人と交流し、多くの足跡を残しています。尾形光琳おがた こうりん(1658-1716)に傾倒し研究にも熱心で、自ら光琳の図録も発行しています。ちなみに光琳は抱一さんの酒井雅楽頭うたのかみ家に、かつて召し抱えられていたコトも。
抱一さんのお墓はなぜか東京の築地本願寺に。
 

光琳百図 @足立区立郷土博物館 寄託

抱一さんが光琳百回忌法要を営んだ時に発行した図録。抱一から谷文晁たに ぶんちょうへ渡されたとされる初版本(抱一印アリ)。足立区に伝わっています。
 

抱一さんのお墓 @築地本願寺

交通量の多い新大橋通り側に地味にあります。伊東忠太いとう ちゅうた設計のお寺(重要文化財)が派手過ぎて、コチラに興味を示す人はあまりいません。大名家の人で浄土真宗にお墓があるのは珍しい気がします。

抱一の絵には華やかさだけでなく、枯れたというか哀しみを内包しているかのような雰囲気がよい。


近代の作家たち

七宝四季花鳥図しっぽうしきかちょうず花瓶(1899年)

どこが正面なのか分かりませんがグルーっと1周すると景色がガラッと変わる構成が面白い。よく見ると小鳥もチョロチョロ。図柄は若冲の延長線上にあるような進化系!

並河靖之なみかわ やすゆき(1845-1927)は七宝の人。作品を目の当たりにするとスゴイ人(語彙力の不足)としか言いようがない(笑) 


朝陽霊峰ちょうよう れいほう(1927)

横山大観たいかん(1868-1958)は、近代美術館系でよく見る人(雑) 

富士山と太陽は第2期にも日出処日本ひいずるところにほん(1940)


三の丸尚蔵館は皇室ゆかり品々や献上品というコトもあり、華やかさが溢れています。国宝というキーワードも、美術に詳しくなくても展示品の価値は理解しやすい。トーハクの名品コーナーをより蒸留したかのような濃密さ。

頭をカラッポにして見ても普通ではないスゴさが伝わってきますが、モノの背景を知ればストーリーがつながります。作品の解説が淡泊なのがややもったいない気がします。有料化されたのを機に充実した解説パンフでもあればと(ピンポイントの超簡易版はある)。展示替えやシリーズ展示のケースでは次回へのフックにも。


帰りも大手門と高麗門から下城。皇居宮殿パレスを見下ろすのはパレスビルとパレスホテル。

パレスホテルの前を通って丸の内方面に向かうとなにやら違和感。

和田倉噴水公園

前川國男さんは消滅していました。

時代の流れとはいえチョット残念。



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