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黒田家と松永耳庵と現代アート  福岡市美術館【前川國男】

そういえばあそこにあるなと気付いていても、なかなか行かないことが多いのが公立の美術館。一方、博物館や資料館はとりあえず行ってみようかなとなります。興味の対象とオーバーラップする部分はあるものの、ややズレがあるからでしょうか。
ところが時間が空いたのでちょっと寄ってみたりすると、急に視界が開けたりします。福岡でのコト。
 



福岡市は人口が1,645,000人と九州最大の都市です。古くからアジアへの玄関口として機能し、権力者にとっては貿易の権限をめぐり、重要拠点だった博多は争奪の対象。荒廃していた博多の町を復興したのは豊臣秀吉。
江戸時代以降は那珂川を挟んで、西に武士の町福岡(黒田長政の命名)と東に町人の町博多があり、現在の福岡市のベースになっています。那珂川には後のTHE繁華街・中州が。
市制への移行時には、名前を福岡市にするのか博多市にするかモメたそうですが、市の名前は福岡、駅名を博多にすることで決着。
個人的には福岡は県名のイメージが強く、街は博多。

そして歴史オタクには黒田家伝来の大名道具類は、福岡市博物館に行けば見られるものとずーっと思い込んでいました(実際相当に充実しています)。美術系が福岡市美術館にも所蔵されていることには気がつかず、美術館に足を運んだのは過去に1度くらい。
美術館のある大濠公園は、1周2kmのジョギングコースになっています。以前知り合いがこの近くに住んでいたので、時々遊びに行って走っていました。福岡国際マラソンの時期には、出場選手と思しき人が調整なのかスゴいスピードで走っているのを何度か見た事があります(スタートの平和台陸上競技場はすぐ近く)。

まずは美術館ではなく、この一帯にあった黒田家の福岡城跡について。


福岡城跡と黒田家


福岡城は1601年黒田長政くろだ ながまさ(1568-1623)により築城され、明治時代まで黒田家の居城。現在の大濠公園は城の外堀に相当します。

伝潮見櫓(右)と下之橋御門

潮見櫓と伝わる櫓(最近の調査で別のモノと明らかに 黒田家別邸からの移築)と2008年に復元された下之橋御門(2000年に被災)。
 

多聞櫓(重要文化財)

江戸時代から現存の櫓で、内部は通常非公開。
 

名島門

名島門は、黒田家以前の筑前領主小早川家の居城だった名島城の遺構。名島城は毛利元就もうり もとなり(1497-1571)の三男小早川隆景こばやかわ たかかげ(1533-1597)による築城。

名島門は何度か移築され現在地に落ち着いていますが、立ち位置がなんとも不自然。

母里太兵衛邸 長屋門

福岡市天神から移築された門。母里太兵衛もり たへえ(友信:1556-1615)は黒田二十四騎と呼ばれたツワモノの1人(18,000石の大名級)。
そして酒は呑め吞めと福島正則ふくしま まさのり(1561-1624)から名槍日本号をゲットした人。この門も不自然な場所に。
 

大身槍 日本号 福岡市博物館蔵

呑み取った全長3m21cmで槍の穂(刃長)は79cmもある槍。重さは2.8kg。
もとは帝の御物。正親町おおぎまち天皇(1517-1593)から室町将軍足利義昭あしかが よしあき(1537-1597)、そして豊臣秀吉(1537-1598)、福島正則へと伝来。とにかく刃がデカイ。


天守台からの眺め(2009年)

この写真だけずいぶん昔のモノです。福岡タワーに福岡ドームとホテル(今はヒルトン)。ドームが開いてます。昔はホークスが勝つとドームが開いて花火が上がっていましたが、今は分からん。
  

忍者のようなネコが

立派な石垣が張り巡らされ、現在は大濠と併せて自然豊かな公園になっています。福岡市美術館は、その公園内南側にあります。

高低差がなくフラットなので走りやすいジョギングコース


福岡市美術館

前を何度も通り過ぎていた美術館に足を運んだのは10年ぶりくらい。

福岡県福岡市中央区大濠公園1-6


バリー・フラナガン「三日月と鐘の上を跳ぶ野うさぎ」

お洒落な標識かと思ったら違いました。
  

インカ・ショニバレCBE「ウィンド・スカルプチャー(SG)Ⅱ」
 

福岡市美術館は1979年の開館で、設計は前川國男。
薬王密寺東光院の仏像・什宝類に、松永安左ェ門(耳庵)さんの茶道具や仏教美術類、石村善右さん(石村萬盛堂:福岡の老舗菓子屋)や三宅酒壺洞(安太郎)さん収集の仙厓コレクション、そして筑前藩主だった黒田家伝来の道具類等々、多数の一括寄贈されたコレクションを所蔵しています。

1990年には新規開館した福岡市博物館へ、金印や大身槍日本号を含む黒田コレクションの一部が移管されています。
2019年にリニューアルオープン。動線が変わっているそうですが、以前がどうだったのか記憶なし。
  

中ハシ 克シゲ「Nippon Cha Cha Cha」 なぜ小錦?
 
 
福岡ゆかりの禅僧 仙厓さんがズラリ

福岡市美術館の仙厓コレクションは、永青文庫(東京都文京区)や出光美術館(東京都千代田区)と甲乙つけがたい。そういえば、それぞれ熊本県立美術館や門司に別館があります。仙厓義梵せんがい ぎぼん(1750-1837)は九州を終の住処にした臨済宗のお坊さん。
 

(参考)仙厓義梵 南泉斬猫図 永青文庫蔵

禅僧・南泉が弟子になぞかけして猫を殺すお話。マンガのようなゆるーいタッチですが内容はシリアス。仙厓さんの賛には「猫と共に弟子も南泉も切り捨ててしまえ!」となかなかのブラック。仙厓ワールド炸裂。


ここからは黒田家コレクション(博物館で展示されたモノあり)

福岡市美術館蔵

波文螺鈿鞍なみもん らでんくら(重要文化財)は鎌倉時代のモノで黒田家伝来品。
 

梨子地三葉葵紋載金鞍なしじ みつばあおいもん きりかねくらあぶみ
福岡市美術館蔵

筑前藩初代黒田長政(1568-1623)が関ヶ原での褒美として徳川家康から与えられたモノ。
 

唐物茶入 博多文琳 福岡市美術館蔵

もとは博多の豪商神屋宗湛かみや そうたん(1551-1635)の所持。2代藩主忠之ただゆき(1602-1654)が黄金2,000両、知行500石で召し上げたモノ。九州征伐時に豊臣秀吉が宗湛にこの茶入れを所望しましたが、「日本の半分となら交換しましょう」と返答され断念しています。


古瀬戸肩衝茶入 夏山 福岡市美術館蔵

小堀遠州こぼり えんしゅう正一まさかず:1579-1647)が黒田忠之に贈った茶入。忠之は謝礼として黄金100枚(銀1,000枚)を送りましたが、遠州は不満だったそうです。

博多文琳の価値と忠之の人物像がなんとなく理解できる茶入2点。


雪舟 寿老図(重要美術品) 福岡市美術館蔵

3代藩主光之みつゆき(1628-1707)が入手した水墨画。家宝帳には左右に山水図を伴う3幅対として記されているそうですが、山水図は払い下げられアメリカで現存。
 

(参考)黒田家の美術 展 図録
発行:2014年 128ページ 福岡市美術館

この特別展(大河ドラマ連動)には行けませんでしたが、図録は後日入手。黒田家コレクションは常設展でも見ることができます。

福岡市博物館に一部移管された黒田家コレクション。鎧や刀が博物館で鐙や鞍は美術館。美術的価値と博物的価値の境界線はどこなのでしょう?


堀内正和「三本の直方体A」 奥に見える館内壁面には・・・


地元福岡の人、KYNEの《Untitled》。期間限定展示だったようです。
江口寿史をシンプルにしたようなカンジ。


前川國男とは

中庭に見える四重石塔(室町期)は松永コレクション

美術館の設計者前川國男まえかわ くにお(1905-1986)は、ル・コルビュジェ(1887-1965)やアントニン・レーモンド(1888-1976)に師事した建築家で、多くの近代建築作品を残しています。打ち込みタイルの人。
 

前川作品3選

熊本県立美術館(熊本県熊本市)


埼玉県立歴史と民俗の博物館(埼玉県さいたま市大宮区)


前川國男邸:江戸たてもの園(東京都小金井市)

日本各地にミュージアム系公共建築(共通のデザイン文脈)が残っています。面白いのは江戸たてもの園に移築・現存している自邸。木造ですが、室内はモダンでキッチンやバスルームは洋風。
 

福岡のお隣の話


福岡市美術館に戻ります。

草間彌生「南瓜」

南瓜はタイルとのマッチングがいいカンジ。触るとFRP(強化プラスチック)なので質感は良くありません。

そして別のコレクションの軸を


松永耳庵という人

松永安左エ門まつなが やすざえもん耳庵:1875-1971)、長崎は壱岐の生まれ。電力事業の経営に携わり、太平洋戦争後のアメリカ占領下で電気事業の再編を敢行し、「電力の鬼」と呼ばれます。需要が増す電力事業に赤字の補填を続ける国と電気料金の値上げに反対する国民をリセット(事業自立化への転換)できるのは松永耳庵しかいないと。
60才を過ぎてから茶の湯にハマり、一流の茶道具を蒐集し数寄者のトビラを開く。戦後にはコレクションの一部を東京国立博物館に寄贈。そして耳庵没後には遺族により一部が福岡市へ寄贈。
尋常じゃないエネルギーとゆるぎない信念に加え、超一流の審美眼を持っていた人。

福岡市美術館のコレクション展示室には松永記念館室が設けられています。
 

松永耳庵コレクション 展 図録
発行:2001年 248ページ
福岡市美術館 東京国立博物館

ショップで入手した耳庵没後30周年記念のかなり古い図録。耳庵についての論考が30ページほど掲載されています。電力再編についても触れられていますが、難しすぎて頭に入ってきません(笑)。20年以上前の図録にしては写真もきれいで、バランスよくまとめられています。
耳庵さんの名前は茶人、数寄者として茶の湯系の展示でよく目にします。何よりトーハクの常設展示で「松永安左エ門氏寄贈」と明記された逸品は数知れず。上記の図録ではトーハクと福岡市美術館所蔵で分類され、モノによっては解説に入手額も記されています。

ここではトーハクコレクションとなっている茶道具の逸品たちを

大井戸茶碗 有楽  トーハク蔵

有楽織田有楽斎おだ うらくさい(長益:1547-1622)所蔵の茶碗。1937年に藤田家の入札で益田鈍翁ますだ どんのう(孝:1848-1938)と競り合い、¥135,000で落札。当時は庭付き一戸建が¥1,500~2,000の時代。金額の桁に間違いはありません(笑)
 

長次郎 尼寺  トーハク蔵

楽家初代による茶碗。トーハクではよく見ることができます。 


薩摩文琳茶入 望月  トーハク蔵

1940年に¥5,000で入手。福岡は高取焼(黒田藩御用窯)が知られていますが、耳庵のお眼鏡にかなった薩摩焼。


唐物文琳茶入 宇治  トーハク蔵

1934年に¥8,500で入手。肥前平戸4代藩主だった松浦鎮信まつら しげのぶ(鎮信流の祖:1622-1703)が石州流の祖片桐貞昌かたぎり さだまさ(石州:1605-1673)から遺品として譲られたモノ。箱書きは千利休
 

蒲生氏郷作 茶杓  トーハク蔵

1937年の高橋蓬庵の入札において¥16,000で落札。片桐石州旧蔵。有楽井戸とのペアでよく使われていたそうです。
 

本阿弥光悦 蓮下絵和歌巻切 トーハク蔵

大倉喜八郎旧蔵で関東大震災で被災し断簡に。1934年に¥2,600で入手したものとみられています。
 

有楽井戸の落札額が突出しています! トーハクと福岡市美術館の松永コレクションは構成が似ているそうで、耳庵さんの蒐集には明確な基準や全体像があったようです。彼に見えていたモノは何だったのでしょうか? そのおかげで楽しめています。
一方、点在する現代アートはよく分かりませんでした。コレクション展の所蔵品も含め、福岡との文脈を感じられれば楽しめるかと。
 

そして市美術館の隣には県立美術館が2029年に移転予定です。ずいぶん先の話ですが。

なんだか知らないうちに勢いが増してきている博多・・・じゃなくて福岡



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