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Ⅰ章 彼の場合①


 夜の9時を回った頃、彼は大きなビルから出て携帯を確認する。
いくつかの連絡が来ていることを見て、その中の一つに返信をすると帰宅経路とは逆の方向へと脚を向けて歩き出す。
橋を渡り、しばらく歩きながら今日の出来事を思い出す。


———— 新しく入ってきた子、使えないな……。


 現在、通常の業務を減らしてもらう代わりに先日、配属された新人社員に業務指導をしている。彼自身は社内の人間関係で特に問題があったことはない。

ただ、彼は自然と相手を値踏みしてしまう。
それは上司や同僚、後輩だけでなく友人、親、過去の恋人でさえもである。
そうしたきらいがあることは自覚している。

————要領は悪いが教えれば、その分だけ吸収する子ではあるか……。

 道中のコンビニで銀の缶ビールを2つとナッツ、あとは適当なつまみを買って目的地のエントランスへ辿り着き、ロック付きのドアの前で部屋の番号を入力する。

「うん。着いたから開けて」

 簡単なやりとりが終わるとドアが開いた。
彼は慣れた足取りでエレベーターへ入る。
ふぅと息を吐きながら、彼はいつもの「作業」が来るのだと自分の中で確認する。

「いらっしゃい」

 ドアが開いてから自分より少しばかり年上の女性から掛けられた声にうん、とだけ反応すると同時に彼は部屋の灯りの中に溶けていく。
閉まったドアがそこに残したものは黒い闇だった。




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