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【夢日記】<下③>鳴かず飛ばず
※前回の内容
【前回の終わり部分を引用】
曲がりなりにも、場数をこなしていったことによって、”慣れ”、というよりも、”心身の限界”、によるものも大きいと推測されるものの、結果として、肩の力が抜けた(≒肩の力が入らなかった)状態へ、徐々に近づくことが出来ていったのだ。
かくして、肩の力対策として行われた「アポ無しGO!」は、”成功”、と言っても良いぐらいの成果をもたらしたのである。
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礼二さんは、肩の力対策は概ねクリア出来たとみなし、次のステップとして、不器用対策に乗り出そうじゃないか、と僕に言ってきた。
これまで述べて来たように、僕の不器用さは、複合的な要因が絡んでいるがゆえに、器用さが求められる作業が、てんでダメだったわけだが、だからといって、単純な手先の器用さという点だけを切り取っても、やはり、器用か不器用かで言えば、誰の目から見ても不器用に属する人間であることは、疑いようのない事実だった。
そこで、まず前段階として、肩の力が入り過ぎてしまう悪癖を矯正して、器用さを高める作業に集中しやすい状態にした上で、不器用対策に乗り出した方が、結果的に上達スピードは速くなるであろうと、はじめから考えていたらしかった。
この不器用対策は、名付けるならば「針の糸通し ~糸通しオジサンに頼るな!~」とでも言うべきものだった。
ここでは「糸通しオジサン」という呼び名で通すことにするが、僕は、子どもの頃からお世話になりっぱなしだったにもかかわらず、裁縫道具に入っている、富豪そうなオジサンの顔がプリントされた、針に糸を通しやすくさせる道具の正式名称を、皆目見当が付かないぐらいに、知らない。
というか、今まで生きて来て、「糸通しオジサン」という用語で、他者とのコミュニケーションが成り立っていたので、正式名称を知る必要性すら感じていなかったのが実情だ。まったく、恩知らずも甚だしい・・・。糸通しオジサン、ごめんなさい。
言うまでもないだろうが、僕は、針に糸を通す作業は、滅法苦手だった。どれぐらい苦手だったのかを指すエピソードとして、長く、語り継がれている話があるので、それを今回も披露してみたい。
確か、小学校5年生だっただろうか、家庭科の授業で、初めて裁縫道具を扱うことになったのだが、この時は、みんな不慣れということもあって、まずは基礎的な部分を、実際に触りながら覚えて行きましょう、という流れで、授業が行われた。
僕が通っていた小学校では、家庭科の授業は、2時間連続して行われることとなっていた。確か、僕の記憶が正しければ、3時間目と4時間目に入っていることが多かった。
調理実習をした際に、そのまんまの流れで、給食の時間に自分達が作ったものを食べたり・・・っていうことがあった気がするので、たぶん、そうだと思う。時間割を組み立てる際に、こういう時に都合が良いからココに割り振って~、とか、話し合いながら、決められているのかしら?
だとしたら、小学校、中間休み終わりの体育の授業って、どうなのかなって、僕は思う。このタイミングの体育って、予鈴が鳴ってから、運動場から教室に戻ろうとすると、普通に遅刻しそうになるから。アレは、好きじゃなかったなぁ・・・。
その話で思い出したけど、以前、中間休み終わりのプールの授業で、遅れそうになりながら、急いで、プールバッグを取ろうと教室のドアを開けたら、既に、僕のクラスが女子更衣室に変わっていて(男子はプールの更衣室を利用する)、阿鼻叫喚地獄を受けるハメになったって、どっかの記事で書いた覚えがあるなぁ・・・。
これは、時間割を作成した側に問題があるとして、糸通しオジサンにはごめんなさいだけど、ちゃんと予鈴で帰った僕に責任は無いと判断し、ごめんなさいはしないことにしよう。(十八番の責任転嫁)
で、確か、最初から、糸通しオジサンを利用して、針に糸を通しやすくすることに慣れてしまわずに、まずは、時間がかかって良いから、自力で、針に糸を通してみましょう、っていう流れになったと思うんだ。
で、各々、苦戦しつつも、「針に糸を通せた~!」なんて声が、至る所で起きては、先生が「よく頑張ったね~!」なんて返していたんだけれども、僕は、とにかく、とにかく、針に糸が通らなかったのだ。
あれって、針に糸を通そうとするも通らなかった、っていうのが続くと、糸の先が、ヨレヨレ(?)になるというのか、ますます通りにくくなっちゃうんだよね。で、それを戻すために、先端を尖らせたような形に整え直して、再度トライするんだけど、やっぱりダメで・・・。その繰り返し。
そんなことを延々とやっていたら、3時間目の終わりを告げるチャイムが鳴るわけ。おそらく、針に糸が通せていないのは、僕だけ。あの時は、教室の席が、一番左上だったから、みんなの状況を眺めることは出来なかったけど、多分、そう。そんな空気感だった。
で、3時間目と4時間目の間の休み時間中も、僕は、何者かに憑りつかれたかの如く、真顔で、ひたすら、針に糸を通そうとしているんだけれども、半ばヤケになっているのも手伝ってか、全く、通る気配はナシ。
ココで先生も、痺れを切らしたように、「糸通し使おうか(苦笑)」と言ってきて、僕は、「ようやくプロレスリングにタオルを投げ込んでくれたか・・・。」と思いながら、糸通しオジサンを使って、めでたく、針に糸を通すことが出来たのだった。
僕は、そもそも、3時間目の前半ぐらいから、こうなるんだろうなぁ、ということは、予測が付いていた。けれど、はじめに、「自力で針に糸を通してみましょう~!」って、先生が言ったから、僕は、自力で、悪戦苦闘しながら、針と糸に、対峙していたのだ。
そういうところが、僕にはある。これは、アラサーになった今現在も、そう。「〇〇しなさい」と言われたら、第三者の方から見れば「ちょっとアイツおかしいじゃないの?」と言われるような状況下に置かれても、「〇〇しなさいと言われたからやっているんだ」と言わんばかりに、ひたすら、言われたことを続ける傾向が有ると、内心では、自覚している。
有り体な表現で言えば「融通がきかない」と言った感じであろうか。
ただ、個人的な見立てとしては、(これは差別的な意図は孕んでいないと断った上で)発達障害に関する知識を有した頃から、自分は自閉症状があるのではないだろうかと、思っている。
こういう発言を他者に投げかけると、カッコ書きで記したように、自分は差別的な意味合いを孕んでいないとしても、他者が発達障害に対して抱く価値
観などで、受け取り方はいかようにも変わってくるし、さらに言えば、「そうやって自分で決め付けるから物事がドンドン悪い方向へ~」などと言った風に、説法を唱えて来る人も居たりするので、僕はあんまり、この類いの話は、しないことにしている。(しないことになった、の方が正しいか?)
無論、僕は専門家でもなんでもないので、一個人の意見として受け取ってもらえれば良いのだが、何事にもポジティブな面とネガティブな面の両面が潜んでいる、と考える傾向のある僕としては、”臭い物に蓋をする”、といった対応をされたり、”自虐ネタの一つ”、として受け取られることに、モヤモヤを抱えることが多いのは、紛う方無き事実なのである。
・・・。
失礼。「針の糸通し」から、話が飛躍して、夢日記ではなく、昔のエピソードトークになってしまった。文字数的に、今回はココまでにする。”だからこそ夢にも出て来たんだな”、と思ってもらえると、筆者としては、凄く助かる。申し訳ない・・・。
~「下④へ続く」~
【P.S.】
せっかくの機会なので、糸通しオジサンの正式名称を調べてみました。「スレダー」って言うらしいです。一説には、イギリスのエリザベス女王をモチーフにしていると言われているらしいです。性別も間違えていました。重ねて、お詫び申し上げます・・・。
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