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【夢日記】<下④>鳴かず飛ばず

※前回の内容

【前回の内容を引用】

礼二さんは、肩の力対策は概ねクリア出来たとみなし、次のステップとして、不器用対策に乗り出そうじゃないか、と僕に言ってきた。

これまで述べて来たように、僕の不器用さは、複合的な要因が絡んでいるがゆえに、器用さが求められる作業が、てんでダメだったわけだが、だからといって、単純な手先の器用さという点だけを切り取っても、やはり、器用か不器用かで言えば、誰の目から見ても不器用に属する人間であることは、疑いようのない事実だった。

そこで、まず前段階として、肩の力が入り過ぎてしまう悪癖を矯正して、器用さを高める作業に集中しやすい状態にした上で、不器用対策に乗り出した方が、結果的に上達スピードは速くなるであろうと、はじめから考えていたらしかった。

この不器用対策は、名付けるならば「針の糸通し ~糸通しオジサンに頼るな!~」とでも言うべきものだった。

前回は、この後、一人語りモードに突入してしまったので、夢の内容自体は、ココでストップしてしまった。ゆえに、全文を引用することにした。今見返してみても、我ながら、なかなかにひどい夢日記になってしまったと思う。改めて、お詫び申し上げる。

ちなみに「糸通しオジサン」の正式名称は「スレダー」なのだが、夢の内容では「糸通しオジサン」と呼ばれていたので、そのまま通すことにする。あらかじめご了承いただきたい。

また、スレダーにプリントされている人物は、そこら辺に居るオジサンではなく、イギリスのエリザベス女王をモチーフにしていることも踏まえれば、正式名称の認知度の低さを考慮して俗称で呼ぶにしても「糸通しオバサン」あるいは女王へのリスペクトの念を込めて「糸通し妃殿下」と呼んだ方が良いと思われる。

注釈

~~~

僕は、糸通しの経験は、学校の家庭科の授業で、裁縫を行なった時ぐらいしか無いし、その時も、糸通しオジサンに頼らなければ、針に糸が通る気配が無く、すぐ糸の先がほつれてしまって、先っぽだけを糸切りバサミで切って、またトライするも、やはりほつれてしまう・・・といった具合に、苦戦の連続だった。

そんな負の記憶がフラッシュバックしてきた僕は、途端に及び腰になって、「礼二さん、それだけはちょっと・・・。『不器用対策』って、別に何も、糸通しに限ったことではないでしょう?」と、内容の変更を求めてみた。

しかし、礼二さんは、「前にも言ったじゃないか。一朝一夕ではなんともならないことは『だから諦める』と考えるのでなくて『だからこそ克服出来れば新たな道が開ける』と考えれば、未来がパァッと明るくなるんだ」と、聞く耳を持ってくれなかった。

いや、”聞く耳を持たない”、というよりも、”はじめから嫌がることを想定した上で僕に提案してきた”、といった方が、正しいであろうか。

礼二さんは、肩の力対策の「アポ無しGO!」と言い、不器用対策の「糸通しオジサンに頼るな!」と言い、僕が、まず独力であればトライしないであろうことを、ポンッと言って来る。

それに対して、僕は、脊髄反射的に、”そんなことやりたくない!”、と感じるものの、”この人に付いて行くと決めたのだから”、と自らに言い聞かせ、「アポ無しGO!」に取り組んだことで、曲がりなりにも、肩の力の出し入れを、体感覚に落とし込むことが出来た。

であれば、今回も、たとえ、不承不承といったテイであっても、「糸通しオジサンに頼るな!」に取り組むことで、自ら貼っている負のレッテル、”俺はどうせ不器用だから・・・、を取り除くことが出来るかもしれない。

そう。まさに「ピンチはチャンス」なのだ。今この瞬間を「ピンチ」と捉えるのか「チャンス」と捉えるのかは自分次第なのだ。そうだ。千葉ロッテマリーンズの2023スローガンも「今日をチャンスに変える。」だったじゃないか!

僕は野球好きなので、星野仙一の名言「迷ったら前へ」みたいに、話の流れでポンと出て来ることがしばしばある。野球好きとの会話であれば潤滑油的な存在を担ってくれるのだが、非野球好きの会話だと、”隙あらば野球ネタ野郎”、と煙たがられることも多い。

「野球好き・非野球好き」の割合で考えると、まず間違いなく「非野球好き」の方が大多数を占めると分かっていながらも、僕は、”俺のアイデンティティを形成するのに必要不可欠なんだよね”、と言わんばかりに、ポンと野球の話題を出してしまうきらいがあるのだ。

むしろ、僕からすれば、”否定のエネルギーすらも推進力に変えてやる”、ぐらいの熱量をもって、日常会話を野球色に染めてしまうことすらあるのだが、こんな僕は、”コミュニケーション下手(べた)”、の烙印を押されて然るべき、なのかい?

余談

自分の中で、腹を決めることが出来た僕は、「ええ、やりましょう!いくらでも針に糸を通してやろうじゃないですか!」と、”不承不承”、ではなく、”何苦楚魂”、と言った感じで、礼二さんの提案を受け入れた。

「何苦楚魂」とは「何ごとも苦しい時の経験が自分の礎を作る」という意味で、中西さんが義父の三原脩・元西鉄監督から受け継いだ言葉だ。 岩村さんも感銘を受け、ヘルメットを変える度に中西さんに書き直してもらっていたという。

「何苦楚」魂、教える番 岩村明憲さん「野球を真摯に」 中西太さん悼む、名伯楽への誓い
(毎日新聞より引用)

自ら、”コミュニケーション下手”、と言っておきながら、更にヒートアップさせるように、半ば無理矢理、野球の話題と結び付けようとしてくるのは、僕の悪い所だと、ハッキリ、自覚してはいる。(あとで反省するも同じ過ちを繰り返してしまうのも僕の悪い所である)

余談

そうして、「糸通しオジサンに頼るな!」という、極めて過酷ながらも、極めて地味な特訓に乗り出したわけだが、案の定、何とも形容するのが難しい、”地味な過酷さ”、だった。

当然、子どもから大人になったからといって、自動的に、針に糸を通すのが上手になっているわけもなく、小学生の頃にやっていたような失敗を、アラサーになっても、延々とやっているだけだった。

たまに、針に糸を通そうとするのに意識が向かい過ぎて、針の先が尖っていることを忘れて、手の甲辺りに、チクッと刺さってしまって、「あいたっ!」というのも、やはり、小学生の頃と全く同じだった。

礼二さんも、最初から、”地味な過酷さ”、になることは想定したようだが、それでも、僕の不器用さは、やはり想像の上を行ったようで、口には出さなかったが、”これほどまでに上手く行かないものなのか・・・”、と驚いているようだった。

そんな、”地味ながらも痛い視線”、を敏感に感じ取ってしまった僕は、礼二さんに、「一緒に糸通ししませんか?(笑)」と、冗談混じりに声を掛けてみることにした。

礼二さんは、ただ僕が四苦八苦している様子を観察しているのにも、内心、飽き飽きしていたのもあったのか、「僕もこういうのはあんまり得意な方じゃないんだけどね。上手く行くかなぁ?(笑)」と、暇つぶし感覚で、糸通しをやり始めた。

僕は、手を休めることはしないようにしつつ、時折、チラチラと、礼二さんの糸通しをチェックしていた。

すると、最初は少し苦戦したみたいだが、コツを掴んだのか、昔の感覚を思い出したのか、スムーズに、針に糸を通すことが出来るようになっていった。

そして、針の中でも、糸を通す穴が、一番小さいと思われるもの針にも、無事、糸を通せた後に、「ふ~」と、一仕事終えたような溜め息をついて、元居た位置へと戻って行った。

僕は、依然、針の中でも、糸を通す穴が、比較的大きめのと思われる針にすらも、糸を通せていないままだった。

僕は「あぁ、やっぱ、出来る人からすると、出来るんですねぇ・・・。(苦笑)」と、礼二さんの方は向かず、作業に集中しながら声を発すると、礼二さんは「他人と比べない。自分と比べる。世間に則さない。自分に則する。これが自己肯定感を持つ秘訣だよ(笑)」と、軽い調子を崩さないながらも、金言を、僕に授けてくれた。

僕は「うん。仰る通りです。頭では分かっているつもりだけど、心のどっかで、他人基準で生きているトコがあるのかなぁ~。(苦笑)」と、やはり軽い調子で応じながらも、礼二さんの言葉を、そっと胸にしまって、再び、糸通し作業に集中し直した。

・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。

僕は、永遠に続くと錯覚してしまいそうな、地味で過酷な糸通し作業を行ないながら、”アポ無しGO!の時と比べると、ソワソワしないで済むのが、唯一、良いところだなぁ・・・”、なんて、ボンヤリと考えていたら、目が覚めた。

~「鳴かず飛ばず」THE END~

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