9割は周りのせい ~Vol.3~
Vol.0で書いたことと重複する所もあるが、ここでは、私の高校生活の学びをより詳しく書いていこうと思う。
入学のきっかけ
中学までで本気のサッカーは辞めるつもりだった。公立高校でお遊びレベルでやろうと思っていた。その背景には、プロサッカー選手になりたい訳でもなかった私を、遠くのクラブチームに通わせてくれていた親に申し訳ないという気持ちがあった。
それを当時の担任に伝えると、私とは真逆の発想だった。
「高校になって本気でサッカーをしなかったら、3年間払ってくれた親の
お金が無駄になるじゃないか」
これに妙に納得した私は、唯一声をかけていただいていた私立高校の練習会に参加することにした。
「1年生からスタメン、3年になったらキャプテンとしてチームを引っ張っていく存在になってほしい」
そんな期待の言葉を監督から言われた後に、
「どうする?」と言われ、
反射的に「入ります」と言ってしまっていた。
言った瞬間「あ!はっきり言いすぎた!」と思ったが、訂正出来ずに帰ってしまい、「言ったことを守らないといけない」というちょっとした責任感
からその高校に入学することを決断した。
でもその期待に応えたい、「俺がチームを引っ張り全国大会に出場させる」そんな気持ちを心に秘め、入学を迎える。
生活の変化
現実待っていたのは「一年生からスタメン」とはほど遠いトップチームのレベルの高さ。プレースピードの違いに驚き、今のままで出れないとすぐに分かった。
その高校を選ぶ前にもっとその高校の試合を見ておくべきだったし、他の高校の練習にも行くべきだった。
しかし、中学3年の私にそこまで考える力は無かった。。
また、私立高校でサッカーをする気持ちもさらさら無かったため、当然と言えば当然だ。
「サッカー中心の生活」に変わった。
クラブチームの週4回の練習or試合とは違う。
高校では、ほぼ毎日練習or試合、休みのない月なんかもあった。
その上、朝練に居残り練習と、グラウンドが使える時間が多かったため、努力出来る環境としては最高だった。
また、当時の2人のコーチがGK出身だったことから、練習も沢山やって貰え、アドバイスも貰えた。
そういうわけで、ほぼ毎日、通常練習と別で居残り練習を続ける毎日になり、「1年生からスタメン」を実現するために努力した。
二人の大きな存在
しかし、この2人の存在無くして、その努力は続けられなかっただろうと思う。
1人目は「2つ上の副キャプテン」
とにかく熱い人だった。普通の人がやりたくない「チームメイトを叱れる」選手だった。当時の私はこれをやる事が1番難しく、それをやれている彼を
とても尊敬していた。
その上、彼はバリバリのスタメンでありながらも、毎日放課後の練習に残っていた。私も当時そこそこ自主練に行っていたので、「頑張っている選手」として目をつけられ、可愛がってもらった。
ある日、自主練をする気分にならず帰ろうとした時、彼から「なぜスタメンに出てないやつが、スタメンで出てるやつより練習しないのか?」と言われた。
この言葉に「ハッ」とさせられ、私の心に深く刻まれた。
遊びたいと思い、帰ろうとした時も、その人から「もう帰るのか?」と言われると帰れなかった。憧れていたからこそ、「遊びたいので帰ります」とは言えなかったし、毎日の自主練もその人より先に帰ることはしなかった。
風邪っぽい時も、疲労が溜まって痛い所だらけの時も練習した。
そのせいで5.6回の体調不良、尻の筋肉に異常な量の血腫が出来、足が上がらなくなる怪我をした最初の1年だった。
それが私の忍耐力を向上させたと思うし、何より「努力を続ける習慣」が身についた。また、1年生終了時に大きな成長を感じたことで、自分に自信もついた。
練習「量」をこなすことで、その先にある「質」の大切さにも気づいた。
どこまでやったら体を壊すかというのが少しずつわかっていった。
二人目は「GKコーチ」
先述したように、2人のコーチどちらもキーパー出身だった。しかし、コーチ数が少なく、どちらのコーチもキーパー専属コーチではなく、全体練習ではフィールドプレイヤーのコーチとして指導していた。
しかし、自主練の時間に頼めばキーパーコーチとして指導してくれた。
どちらかを信じるとか、そんなことはしなかったが1人のコーチは本当に親身になって指導してくれた。毎日の自分の自主練に付き合ってくれ、遅い日は9:30まで共に練習した。
そうなると学校から電車で1時間以上かけて帰る私にとっては酷だった。しかしその先生は家まで車で送ってくれていた。そうなると先生の家に帰り着くのは深夜0時くらい。普通の先生なら絶対にしてくれないことをしてくれていた。
他にもご飯に連れて行ってもらい、サッカーについて・GKについて話し込んだりもした。今までここまで親身になってくれる先生がいなかったので、
本当に嬉しかった。
「その人のために」という気持ち
私の高校では、監督とコーチの関係が非常に悪かった。
「監督が王様、コーチはしもべ」そんな言葉を口にする人も多かった。
そのコーチが毎日私を指導してくれたおかげで、徐々に成長していったが、スタメンを勝ち取れるほどの実力ではなかった。
ある日、監督から「お前は努力の仕方が間違っている、それはコーチの指導が悪いからだ」と他のやり方を勧められた(そのコーチの前で)。
とても悔しかった。自分の実力がないが故に大好きな先生が怒られている。絶対にその監督を見返す、絶対に試合に出てやるという気持ちが更に強くなった。
このあたりでサッカーに対するモチベーションが、「自分が活躍してチームを勝たせる」から「その人の評価を上げるために」と変化していった。
結局、1年からスタメンも、3年からキャプテンも、監督の言ったようにはならなかった。むしろ、3年生最後の選手権の試合まで怒られ続けた。
年下に背番号1を取られ、「もう使わない」とも言われた。自信もどんどん無くなっていった。
でも、「諦めること、努力を辞めたこと」は一度も無かった。
そこにあったのはそのコーチの存在だったと思う。試合に出て活躍することが、そのコーチに対する最大の恩返しだと思い努力を続けることが出来た。
どうやって人を動かすか
3年時、チームの副キャプテンになった。当時大切だと思っていたことは、「やる気のない選手のモチベーションを上げる事・サボらせないこと」だった。
残念ながら私の高校には「試合に出る事を諦める選手」、「試合に出るものの練習に対してやる気の無い選手」が多くいた。
完全な結果主義だった監督の方針上、どれだけ努力をしても下手な奴は出れなかった。
私は前述したようにコーチへの思いがモチベーションになり、試合に出る努力を続けることが出来たが、中には「このまま努力したって出れないし」と諦める選手もいた。
チームで練習をやる以上、そういう「マイナスな発言」はしてほしく無かった。彼らが持っている「マイナスの感情は周りに移り、他の選手のやる気
も失ってしまう」からだ。
その上、サボっている選手を監督が見つけた時は、その選手はもちろんキャプテン・副キャプテンの私たちも怒られるからだ。
私はよく、「監督がいなくなってサボりたくなる気持ちも分かる。でもそれがバレたら俺たちの責任になるからやめてくれ」と他の選手に伝えていた。
これには意図があった。「やる気がある選手だけでやったって意味がない」と思っていたから。そして、「やる気がない選手に怒ったらもっと気持ちを離してしまう」と思っていた。また嫌われて喧嘩になることも恐れていただろう。だから「俺もお前の気持ちわかるけど、怒られるの嫌だから協力してくれない?」というニュアンスで伝え続けていたのだ。
そもそもコーチの威厳が無かったことが大きな問題だった
全く練習しない選手にコーチが怒って、その選手をその場で使わなくても、上手ければトップチームで使われてしまう。
要は、「監督の評価しか意味なく、コーチから監督の報告が意味ないこと」くらい選手みんなわかっていたからだ。
板挟み状態になった
具体的な名前を挙げて「こいつが問題です」と監督に報告すれば簡単に解決できたかもしれない。しかしどこまでが問題か判断基準も無かったし、問題と思わしき選手が一人か二人ではなく、何十人といた為「なんで俺だけ」と思われるのも嫌だった。
また、監督から「お前がそれを変えろ。それがキャプテン・副キャプテンの仕事だ」と怒られることもわかっていた。
コーチがまともに対話できていないのに選手ができるわけないと思った。
そして、監督と選手の板挟みになった。監督の前ではみんな頑張るが、居なくなるとサボるようになる。走りや筋トレなどキツい練習だけコーチに任せていたことも問題のひとつだった。
「周りがサボってるからサボりたい」、「俺がサボったら頑張っている選手にとって(後輩含めて)悪影響になる」、「注意しておかないと監督来た時に怒られる」。そんな複雑な気持ちが混じりあっていて、私を含めた
キャプテン・副キャプテンはとてもキツかった。
だから今でも、前述した「1年生の時に出会った当時の副キャプテン」は凄いと思う。監督に言えないから、それを一人で抱え「嫌われる覚悟」を持って他の選手と接していたのだ。
非常に多くのことを学べた高校サッカー。学生生活や進路についても少しだけ良い影響があったので、次のVol.4でまとめる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?