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幽霊執事の家カフェ推理 第四話・マーメイドのパルフェ5

日曜の朝、塔子は久しぶりに少し遅く起きた。休日でも何かと予定が入るので、最近ではのんびり寝て過ごすことはない。

一応、部屋着に着替えてリビングに出て行くとリュウがキッチンの前に立っていた。以前は朝食くらいまではパジャマにカーディガンで寛ぐこともあったが、彼が来てからは着替えることにしていた。

いくら幽霊とはいえ、相手は男性である。その上、いくら本人が老執事のつもりとはいえ、姿は若い男性である。

自分の家なのに、妙に気を使うはめになってしまった。おまけに、ローンがある。

しかしそれとひきかえに、塔子は毎日極上の食事と、台所仕事をしなくていい喜びを味わっている。

リュウは、今まさにその実力を発揮していた。

テーブルには、ベーコンエッグの載ったクレープと野菜ジュースがセッティングされていた。ほかほかと上がる湯気から、焼きたてだとわかる。

塔子はたまらずにテーブルへ直行した。野菜ジュースをぐいっと飲んでから、カトラリーを手に取る。

ベーコンエッグの下には、トロトロのチーズが敷いてあった。

具ごとクレープを切り、ナイフで巻いて食べる。

「おいしい!」

口がふさがっていた塔子は声だけで言った。半熟の卵が溶けたチーズと絡み、カリカリに焼いたベーコンをそっと流れる。お菓子のクレープより少し厚い生地が、具材を柔らかく支えていた。塔子は夢中で平らげた。

リュウは塔子好みの深煎りコーヒーを出してくれた。それからすかさず、バターとメイプルシロップをたっぷりかけたクレープをフルーツと盛り合わせてくれた。

塔子はそれも気に入った。メイプルシロップのほろ苦い甘さが、深めのコーヒーによく合う。

豪華でボリュームはあるのだが、抵抗なく完食できた。しっかり食べても、胃が軽い。

「すごいね。こんなごちそうブランチ」

塔子はコーヒーのおかわりを注いでもらいながら、息をついた。

「本当においしい」

リュウは嬉しそうに応じた。

「大志さまのお作りになるような軽食は、わたくしも得意でございます」

それから、ちらっと塔子を見て言った。

「最近お弁当もお持ちにならないので」

塔子はそのとき初めて、リュウが少しすねていたのだと気づいた。それで少し大げさに褒めることになった。

カフェスタイルのブランチが、大志への対抗意識の表れかと思うと、妙におかしかった。

結局、塔子の称賛でリュウは、素直に機嫌を直して微笑んだ。

 

 

 

麻美は、塔子にハチミツ瓶のことを話すか悩んでいた。しかし、塔子に会う前に大志が配達に来てしまった。

「ういっす、先日はどうも」

彼は麻美に気づくと、屈託のない笑顔でキャップを持ち上げた。香苗に言われたことをもう忘れたのか、言葉遣いが戻っている。

麻美も笑顔をつくった。

「すごいおいしかった。また行くね」

「おー。ぜひぜひ」

大志はハチミツとシロップの入った箱を、麻美の指示どおりドアの内側に置いた。その上に、業務用メイプルクッキーの箱を重ねていく。

「今日、イヴは?」

「来てるよ。今、着替えてる」

麻美はそういえば・・・と、思い出して言った。

「イヴくん、体に赤い湿疹みたいのがあるんだよね」

先日、イヴが服を汚して着替えていたところに入ってしまい、気づいたのだ。このときも彼がぶつぶつと英語を呟いていたのを覚えている。

イヴの着替えはロッカーにあって、香苗がときどき予備を何枚か持ってくる。あの日も、後から香苗が来ていてマメだなあと思った。

湿疹と聞いて、大志は顔を曇らせた。

「まさか、アレルギー?」

この間カフェに来たとき、慌ててハチミツの皿を払いのけていた姿を思い出す。

ハチミツのアレルギーは侮れない。発疹の他にも出方は様々で、後から大きく腫れたり、くしゃみが止まらなくなったり、お腹を壊す人もいるという。

「大丈夫なのか?あ、ほら、ちゃんと病院とか」

大志は焦っているようだったが、

「ううん、違うと思う」

と麻美は言った。

「友達にアレルギーの子がいるけど、ハチミツついたら口の周りが赤くなるんだよね。こないだ、まかないにハチミツ入ってたけど、イヴくんは何ともなかったし」

先日、ハニーマスタードのチキンサンドウィッチをイヴは問題なく食べていた。

ハチミツは経費の問題で、普段ならまかない用にはしない。が、主任がいない日だったので、こっそり使ったのを麻美は覚えていたのだ。

それを聞いた大志は、

「そっか。じゃあそれ、ひょっとして」

なぜか途中で口をつぐんだ。黙ったまま心配そうにイヴを待っている彼に、麻美は落ちていた瓶のことは言い出せずにいた。

そのとき、外を室田が歩いてくるのが見えた。離れのオフィスに向かうのだろう。出入り口にいた麻美たちは、自然と会釈する形になった。室田は、こちらに穏やかな笑みを向けてすれ違っていった。

「今のが室田さん。あの、例の車の」

麻美は声をひそめて大志に言った。

「え、あの人?」

大志はもともと声が大きい。

麻美は慌てて室田が去った方を見た。幸い、聞こえてはいなさそうだ。

「よくうちの店にくるけど」

「室田さんが?」

大志は頷いた。さっきの沈黙から一転して、調子を取り戻したようだ。

「カフェに来たことはないけど、ハチミツよく買ってく人だよ」

そうなんだ、と相づちを打ちながら麻美は首をひねった。

たまに休憩室に来ることがあるが、室田が飲むコーヒーはいつもブラックだ。甘いものも苦手だったように思う。贈答でもらうお菓子も、僕は食べないからとスタッフに配ってくれていた。

麻美はそのことを大志に話した。

「そんな人が、ハチミツ何に使うのかな」

「料理じゃね?」

と、大志はキャップの位置を直した。

「うちのハチミツは肉も柔らかくなるし、カレーもコクが出て絶品すよ」

得意げなトークに、麻美は半分だけ笑った。しかし一方で、それもなさそうと思っていた。社員食堂のおばちゃんたちから、室田は高級レストランの元従業員を自宅で雇っていると聞いたことがある。

それなら自炊はもちろん、自ら買い出しに行くとも思えない。その人に頼めば済むはずだ。

考えを巡らせる麻美とは対照的に、大志はもうすでに違うことに頭が切り替わっているようだった。

そのうちにイヴが裏口から出てきたので、大志は彼をまたカフェに誘った。最近よく連れて行っているように思う。ときどき麻美や塔子もそれに乗っかる形でランチを楽しんでいた。

大志のカフェに行くと、イヴは熱帯魚を見ながら絵を描く。麻美も一度見たときは、あまりに美しい色合いに驚いた。

抽象画らしく(実際のところ麻美は、抽象画とは具体的に何を指すのか知らない)、魚の形ははっきり描かれていない。そのつかみどころのなさが夢のようだった。

イヴは飽きもせず何枚も描き続けていて、香苗が迎えに来てもしばらく離れないことが多い。

イヴは、珍しく今日は大志の誘いに乗らなかった。

「しごとが、まだあります」

「え?でももう三時だぞ」

だいたいイヴはこの時間には仕事を終えている。大志の店に行ったり、香苗が迎えに来たりしている頃だ。

「香苗さん、来るのか?」

イヴは大志の言葉に黙って頭を傾けていた。少しだけ崩れた顔立ちが奇妙な魅力を放つ。

麻美はいつも、イヴの姿をとらえどころがないと感じていた。ふんわりした印象のときもあるし、少し冷たく見えることもあった。痩せていて顔のラインもシャープなせいかもしれない。目も決して小さくはないが、素朴という言葉がしっくりくる顔だった。

麻美はふと、気配を感じて振り向いた。ゴミ収集庫のそばで社員食堂のおばちゃんたちが、こちらをじっと見ている。

大志もその視線に気づき、きまり悪そうに頭をかいた。そっと手を離し、

「じゃ、俺行くわ。イヴ、またな」

イヴは一瞬、顔を上げて大志を見た。その目が麻美には、何かを訴えかけているように見えた。

大志が車を出したあと、おばちゃんたちがわらわらと麻美たちの方に近づいて来た。

「麻美さん、大丈夫?どうしたの?」

「何か変なこと言われてたんじゃない?」

「イヴくん、あの人怖かったねえ。大丈夫?」

からまれていると思ったらしい。麻美は慌てて否定すると、大志の印象につい笑ってしまった。
 

室田は、個室の椅子に腰かけて息をついた。

娘の大学は、学費のほかに寄付金がある。一年間だけでも、かなりの額だ。

室田自身は、父親が子を守り抜くのは当然のことだと考えていた。

そう思うからこそ、娘には惜しみなく目も金もかけてきた。今となっては身になったのかもよくわからない幼少期の習い事も、欲しがった最新のスマートフォンも含めて。

 少しは感謝してくれてもいいのではないかと思うのに、最近、娘はろくに視線も合わせてこない。

ふと室田は、さっきすれ違った安永麻美を思い出していた。娘よりはだいぶ年上だろうが、よほど素直で少女のような愛らしさがある。

無論、彼女におかしな想いを抱くことはないが、ああいう子は、見ていて気持ちがいいものだ。

室田は、ハチミツの並んだ棚に目をやった。つい手に取ろうとして我にかえる。奥に潜む疼きと数々の重荷をいったん頭から追い出し、さしあたりのタスクに目を戻した。

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