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幽霊執事の家カフェ推理 第四話・マーメイドのパルフェ4

塔子がリビングに出て行くと、すでにリュウが朝食のテーブルを整えていた。今日はミニサラダにトースト、キノコのオムレツだった。

リュウが作るフランス仕込みのオムレツは、ふわふわとした泡のような空気を含んでいる。塔子は早速、ひとさじすくった。

バターやキノコの香りとともに、口の中で溶けていく。

「すごいおいしいね、これ」

どうやってこんなに泡立てているのか、想像もつかない。

お褒めの言葉に、リュウは喜んでお辞儀をした。ランチョンマットの隣には、抜かりなくランチボックスが置かれている。

「あ、リュウ・・・ごめん。今日お弁当いいわ」

リュウは一瞬、しょんぼりして見えたが塔子に笑顔を向けてきた。

「は。かしこまりました」

彼の顔を見て、塔子は少し申し訳ない気持ちになった。

「夜、ちゃんと食べるから冷蔵庫に入れておいて」

「は。しかしお夕食はまた別に」

「いいよ、そんな毎日気合い入れなくても。お昼ランチでしっかり食べるし」

その言葉にリュウは顔を上げた。

「塔子さまは、最近お弁当をお持ちになりませんね・・・」

「あ、うん。じゃ、行くね」

リュウが寂しそうに見てくるのが多少気になったが、塔子はコーヒーを飲みほすと例によって慌ただしく部屋を飛び出した。

 

 

 

朝の当番が辛い時期になってきた。

麻美は手を息で温めてから、タッチパネルを押した。幼い頃から住んでいても、寒いのは苦手だ。もう少ししたら初雪が降るだろう。子どものときは喜んで遊んだが、今は雪が憂鬱で仕方ない。

裏口から食堂に入ろうとしたとき、室田が歩いてくるのが見えた。

麻美は、ドアを手で押さえて待った。閉まるとすぐにロックがかかってしまうのだ。

「あ、すまないね。私はあっちに行くから大丈夫だよ。おはよう」

「おはようございます」

室田は離れに個室を持っていて、この社員食堂に来るときはそちらにいることが多い。麻美や他の社員が行くことはないが、応接室も兼ねて使っているようだ。

そういえば、ハチミツをかけられたという高級車は、きれいになったのだろうか。麻美はつい気になって駐車スペースの方を見た。

室田は少し声を落として、

「この間は大変だったね。もうあれから何もないかい?」

覚えていてくれたのだ。

麻美は少し前に、得体の知れない手紙に悩まされていたことがあっ た。塔子とその話をしていたときに室田が居合わせたのだが、多忙な部長が、一拠点の従業員の個人的な問題など気に留めるとは思っていなかった。

「え、あっ、はい・・・もう大丈夫です。ありがとうございます」

反応が遅れながらも、麻美はぺこりと頭を下げた。あの件には後ろめたいこともあったので、少し声が小さくなる。

室田はいやいやと、顔の前で手を振った。

「困ったことは一人で抱え込まないようにね」

重役然とした風貌の室田は、意外にも柔らかい口調で言った。その笑顔からは大人の余裕が感じられる。曇りのない表情を見ていると、車のことは言いだせなかった。彼の気さくさに恐縮して、ただ頭を下げた。

麻美はそのまま離れに向かっていく室田を見ていたが、外に柳田佑希の姿を認めて固まった。

彼は塔子の会社の社員で、ときどき顔を合わせることがある。

柳田は麻美に気づくと微笑んで会釈した。それを見た瞬間、室田の車のことなど吹き飛んだ。

 

 

 

昼休みの営業が終わった頃、リュウは社員食堂の裏にいた。当然だがスタッフたちはリュウに見向きもせず、スッと通り抜けていく。

中には麻美の姿もあった。同僚と思われる女性と賑やかに話しながら、奥に向かう。そちらに休憩室やシャワー室があるようだ。

リュウはそれを見送ってから、その休憩室の中に現れた。思いのほか広く、格安の自動販売機や電子レンジも置いてある。社員割引があるとはいえ、いつも食堂のものを食べるわけでもないらしく、麻美たちは持参のお弁当を温めていた。

数人ずつ座れる丸テーブルが程よく配置されており、年配の女性スタッフがテレビの前に固まって座っている。

リュウは隅にある小さなテーブルの前に立った。

そこにイヴがいた。疲れたのか、テーブルに突っ伏して寝てしまっている。リュウはその線の細さにしばらく見入った。つい頭を撫でようとして、はっと手を引っ込める。

同時に、カフェでのできごとを思い出した。なぜイヴには、姿を現していない状態の自分が見えたのだろう。

リュウはイヴを注意深く眺めた。見つめるにつれ、穏やかだった顔が少し険しくなる。塔子が見たら驚くかもしれない表情だ。

そのとき、テレビを見ていた女性の一人がこちらにつかつかとやって来た。そんなことはあり得ないのだが、リュウは彼女と目が合ったように感じてどきりとした。

彼女は、勢いのある動きのままリュウのすぐそばに立った。

「ね、イヴくん。お迎え来たみたいだよ」

そのまま肩を揺するかと思いきや、イヴのことを理解しているらしく、おーいと声をかけて起こした。

イヴは、がばりと身を起こして目をしぱしぱさせた。

「湯冷めしないように、コート着てきなさい」

その女性の視線を避けるように首をすくめつつ、イヴは言われたとおりにコートを羽織った。

リュウは外に現れてみた。イヴは誰かを待つように出口の前で立っている。

「あれじゃね?例の車」

よく通る声が聞こえてきたので、リュウは振り向いた。駐車場の方から、若い男が顎をしゃくりながら歩いてくる。確か村上という塔子の後輩だ。外で吸ってきたのか、煙草をポケットにしまっていた。ビルに戻るようだ。

主人を不愉快にさせた男を、ついリュウは睨んでいた。が、彼が気づくはずもなく、通り過ぎていく。

「ああ、社内報に出てたな。ハチミツかけられたって」

村上の言葉に、仲間らしい男が頷いた。

村上はそうそう、と続けた。

「社食の役員かなんかだろ、あのおやじ。正直、邪魔なんだよな。我が物顔で、ときどき敷地ん中まで乗りつけてくるし」

もともと声が大きいらしく、響いている。

「大体さ、社有車でも社員の車でもないのに社内報に流すって、うちの会社の奴がやったみてえじゃん」

そのとき仲間の男が、首をかしげて立っているイヴに気づいた。おい、と村上を気まずそうにつつく。

村上は気にした様子もなく、ああ、とだけ言ってビルの中に入っていった。

やがて、大志のカフェにも来ていた香苗という女性が向かってきた。

イヴに笑いかけるのが見える。イヴはいつもの少ししかめたような顔のまま、彼女のそばに行った。

二人が歩き出すのを眺めた後、リュウは塔子のもとへ戻ることにした。

 

塔子は相変わらずパソコンに向かっていた。眉間にわずかに皺が寄っている。こういう主人の顔を見ると、リュウは神経をほぐすハーブティーを淹れたくなる。もちろん、我慢した。

そばに立って覗き込むと、今日もデスクの上には書類がない。

リュウの現役時代、職業婦人といえばタイプライターで、誰かが手で書いた書類を打ち込む役割がほとんどであった。だが塔子は自身で企画を練り、考えたものをデータに起こしている。

会議でも理路整然と説明する彼女には、他の男性たちも一目置いて いるようだ。

感激したリュウは一度家で、まだお若いお嬢さまなのに驚きますと伝えたことがあったが、若くないし普通のことだと一蹴された。

ご婦人なのに有能だという考え方自体が、もともと女性を低く見積もっているせいだという。塔子にそう言われたときは、リュウも我が身を振り返る思いがした。

それでもリュウは、尊大な男性同僚にも臆せず堂々と渡り合う主人を、誇らしく感じていた。

 

 

 

麻美は帰る前に、ふと思いたって駐車場に寄ってみた。室田に会ったこともあり、車のことが頭に引っかかっていたのだ。

駐車スペースには誰もいなかったが、半分近く埋まっていた。

今日は朝当番で早かったから、帰りも早い。他のスタッフや塔子の会社の社員も、まだ仕事をしている時間だ。

室田のものと思われる高級車も、しんと置かれている。当然ながら、すでにきれいになっていた。塵ひとつなく磨かれていて、まるで新車のようだ。

建物の真下には植え込みがあり、車はそこに後ろや頭を合わせて停められていた。この植え込みが麻美は割と好きだ。背の低い木が茂みのように集まり、初夏には小さな白い花をつける。今は赤い葉がだいぶ落ちて、土の上に絨毯をつくっていた。

麻美は植え込みの下に転がっている物を見つけ、ぎくりとした。大きめのガラス瓶だ。

想像が、室田の車にかけられたハチミツの瓶と結びつくのに時間はかからなかった。麻美はつい、赤い葉にまみれた瓶を拾いあげた。はたして、それはハチミツの瓶だった。

ラベルを見て、はっとした。

食堂で使っている、大志の会社のハチミツだ。

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