藤原ヒロシ=利休論
今年の二月に藤原ヒロシ氏が主催する大学で開かれたパネルディスカッションを取材した。
錚々たる顔ぶれが並ぶ中、一際輝きを放つ存在感。
〝藤原ヒロシ〟は圧倒的であり、ミステリアスであった。
───二時間が経過し、モノの見え方が変わった。
違和感は世界観にあり。
「アテンションプリーズ」が皆無でありながら人を惹き付ける理由。
丁寧な物腰、端的な言葉、極めて静謐な振る舞い。
〝見られる側の人間〟であるにもかかわらず、「こっち見てよ!」という念を一切削ぎ落としたその独自のスタイル。
削ぎ落としたことによって、溢れ出すその洗練されたクラスターは〝世界〟を構築する。
悠然とたゆたう大河のように、〝広大で柔軟な思考の流れ〟がそこに現われた
───私は〝藤原ヒロシ〟の魅力に惹かれた。
正直に書くと、その日まで私は〝藤原ヒロシ〟のことをよく知らなかった。
いや、全く知らないと言っても間違ってはいない。
名前を打ち込むとネットからは大量の情報が溢れ出した。
ミュージシャン、タレント、デザイナー、編集者…
あらゆる分野の著名人が彼を〝カリスマ〟と崇めた。
そこから読み取れた情報は日本へ〝ストリートカルチャー〟を運び、そして根付かせ、さらにはその価値を高めた(オシャレなものに昇華した)人物らしい。
しかし、その実態は不明瞭なままで───霧のように朦朧とした輪郭がそこにあるだけだった。
DJ?音楽プロデューサー?ファッションデザイナー?クリエイティブディレクター?
色々な仕事をしているのだけど結局、彼が〝何をしている人なのか〟は分からない。
彼の主宰するブランドfragment designは様々なファッションブランドとコラボレーションをしてプロダクトを世に送り出しているが、彼と同様、その〝実態〟は掴めない。
肩書によって枠組みを作ること。
もはやその行為自体に何の意味も(価値さえも)持たないことは分かっている。
しかし、〝違和感〟を読み解く好奇心は常に言葉によって整理されるもので。
〝世界を読み解く〟まではいかないまでも、そのエッセンスに触れることはできるのではないだろうか?
そのような気持ちから、〝藤原ヒロシ〟を私なりの方法で読み解いてみたいと思う。
不明瞭な理由。
Wikipediaには略歴と膨大なディスコグラフィしかない。
記事を読んでも、彼のSNSを覗いてもでも核心には至らない。
こんな便利な時代に、珍しい存在だ。
彼に関する記述やプロダクトを発見することはあまりにも容易だが(様々な媒体で特集を組まれている)、そのどれもがふわっとしている。
つまり、編集の意図から〝前提とする情報はほぼ全て省略されている〟。
「それを書くのは野暮だぜ」みたいな感じで。
〝藤原ヒロシ〟を語る媒体は、〝藤原ヒロシ〟のフックにかかる読者だけに当てられた手紙だ。
説明という無粋なことはしない。
感性がリンクした者に自発的にディグらせるように設計されている。
00年代以降の表現を使えば〝ググらせる〟のだろうけど、ググったくらいじゃ〝藤原ヒロシ〟は分からない。
ディグる(掘る)ことを通して、彼が関わったプロダクトやシーンのエレメンスを収穫し、自分の〝美意識〟に反映させていく中で、その実態が浮かび上がってくる。
つまり、〝藤原ヒロシ〟は言葉ではなく、プロダクトでもなく、はたまた技術でもなく、〝美意識〟で構築されている。
この美意識は〝不明瞭であることが、質感を伴った時により伝わる〟という日本文化の不思議(特質)とリンクしているような気がしてならない。
つまり、狩野永徳の描いた『洛中洛外図屏風』のごとく、京都の街並みが雲のぼやかしによって境界線が曖昧になる効果に似た───。
あるいは重森三玲がデザインした東福寺の北庭───市松模様におけるボカシとして現れ。
出典:cinra.net
〝見立て〟として重ね合わせてみれば、見えなかった面が浮き立ってくるような気がする。
〝カリスマの功罪〟
彼はカリスマだ。
川勝正幸氏が編著し、彼自身が監修を務めた著書『丘の上のパンク 時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記』を読めばその所以が分かる。
本書は70名にも及ぶ関係者が〝藤原ヒロシ〟について語っている。
編集の意図も含まれるであろうが、そこにはアートワークや功績に対する記述よりも───何よりも、彼らの言葉は全て、同氏の〝人間としての魅力〟に集約されている。
モノの本質を見抜く目と、モノが輝く時間と場所を見抜く目。
前記のパネルディスカッションの中で印象に残った場面があった。
生徒が「他の教授に放している感じと同じテンションで僕たち学生とも喋っているのが不思議」という話をしていた(※藤原ヒロシ氏は京都精華大学で客員教授をしている)。
つまり、〝人に上下をつけないところに驚いた〟と。
すると藤原ヒロシはこう言った。
「その方が得じゃないですか?面白い話も聞けるし」
カリスマが〝光〟になる時と、〝影〟になる時───その功罪を誰よりも知っている。
〝カリスマ〟となった時に邪魔になる見えないアウラ。
自身が放つ圧力とは別の、周囲の視線が作り出す副産物としてのアウラ。
その意図しない壁によって、〝オモシロイもの〟に出会うきっかけが減ってしまうことを彼は知っている。
〝オモシロイもの〟はどこにでも落ちていることを藤原ヒロシ氏は知っている。
他人がその〝オモシロさ〟に気付いていないだけなのだ。
さらには光の当て方によって〝オモシロさ〟を与えることも───。
凡庸に見えていたものが、あるべき場所に置かれた時に輝きを放つ。
意識の中でそれを成し遂げる能力。
人はそれを〝感受性〟、または〝センス〟と呼ぶ。
そのようなことを考えていた時、浮かび上がった人物がいた。
茶の湯を広め、侘茶を完成させた千利休の姿───。
私はここに藤原ヒロシ=利休論を打ち立てた。
千利休といえば、言わずと知れた偉大なる茶人だ。
村田珠光、武野紹鷗に引き継がれてきた〝侘茶〟を利休が完成させ、卓越した美意識と〝侘寂〟という新たな概念を巧みなブランディングによって〝茶の湯〟を広めた。
織田信長の政治的な戦略としての〝茶の湯〟を大衆文化へと広め、さらにはその価値を〝美〟という観点からアップデートした。
それはまさに藤原ヒロシ氏がストリートカルチャーを根付かせただけでなく、〝美〟という観点から価値を確立したように。
〝侘寂〟
とは日本特有の美的感覚である。
経年変化によって新たな味わいが生まれることを愛でる感性だ。
〝不完全なもの〟〝粗末なもの〟〝下手物〟
という冷え寂たる美。
※詳しくはこちらの記事で述べているので並行して読んでいただきたい。
15世紀には既に世阿弥が〝冷・凍・寂・枯〟という冷え枯れの美を提唱していて、その延長線上に〝侘茶〟の崇高性がある。
つまりは、利休は〝侘びたる〟を善とした美意識───経年変化の味わいに〝美〟を見出した。
経年変化の中にファンタジーを感じる美意識。
唐物(中国製)の絢爛豪華な器を崇めた〝美〟意識をアップデートさせて、粗末な高麗茶碗(朝鮮製)にも別の〝美〟、時に華やかな装飾よりもずっと価値のあるものとして受け止める価値観。
これは藤原ヒロシ氏がロンドン、あるいはアメリカからカルチャーを運び、本場の土壌から洗練された蒸留技術によって、〝美〟というエッセンスを抽出したことにも似ている。
前記のパネルディスカッションの中で藤原ヒロシ氏はこう語った。
「海外が良いものを最初に作るけど、その良さを海外の人は理解していない、ということ。
だから、ビンテージデニムもそうだし、ミリタリーにしてもそうだし、海外では普通に作っていて、普通にあるものだけど、それをアンテナの敏感な日本人や日本のコレクターが見つけて、『ここのディティールがこんなに違うのは何年のこれしかない』みたいなそういうのを見つけ出すのが日本は得意ですよね。
そうやってリミックスだったり編集だったりして、また海外に送り出すというシステムが多分80年代とかにあって、それが一番大きかったことじゃないかなぁと思う。
それがまだあるかどうかは分からないですけど、どちらにしてもそういった『セレクトする目』みたいなものを日本の人は結構持っているんじゃないかなぁと」
(教養のエチュード《THE PANEL ─アートとサイエンスにおける考察─》より)
デニム・ジーンズは19世紀半ば、アメリカ西部で起きたゴールドラッシュに深く関係する。
重労働のための耐久性の高い衣類───ファッション性ではなく、いわばライフワークとしての───が求められ、生み出された。
新調したデニムよりも使い古された、侘然、寂然が纏うデニムにクールさを感じた日本人の美意識がデニムの可能性を拡げた。
その〝目利き〟としての能力───利休の最大の能力ともいえる───が藤原ヒロシ氏には備わっている。
利休は過去の〝名物〟とされてきたものを見て、体感することにより自身の美意識を構築していった。
もちろん紹鷗からの茶の湯における〝美〟という系譜をベースに。
そこで得た知識と経験を基に、今までになかった〝美しさ〟、いわば新しい価値観を提示したのである。
花入れに『桂川 籠』(魚籠)を使用した工夫は、まさにゼロベース思考から生み出される。
改めて〝美とは何か?〟を訴える問題提起でもあると言える。
これは単に、〝魚籠が美しかったから〟使用したわけではない。
ここにおける問題の本質は〝生けられる花が最も美しくなるためには?〟というところにある。
何も花入れだけが「花の美しさを引き立てるもの」ではない。
コロンブスの卵的な発想で、容器となり得るあらゆるモノに目を向けることができたことに感性の瑞々しさがある。
藤原ヒロシ氏のキュレーションに対しても同様のことが言える。
模倣ではなく(もちろん見立て、サンプリングというユーモアやリスペクトを感じさせるセレクションもあるが)、オリジナルな発想が人を惹き付ける。
そこに纏う〝洗練されたオーラ〟は豊かな美の体験から湧き立つものであることを知っている。
『丘の上のパンク』の編著、川勝正幸氏は同書の中で藤原ヒロシ氏をこう語る。
“カタログの隅に載っていた商品が、ときに寝かせ頃に、ときに時代より一歩先に、藤原ヒロシの世界に置かれることで独自の輝きを増す”
(『丘の上のパンク』より)
そして躍動する〝新しさ〟は、パンクの精神に繋がっている。
美術はいつだって現在のパラダイムの否定からはじまる。
そしてそれが連続的に行われているのが〝歴史〟となる。
私はこの記事を書くにあたり、千利休を通して藤原ヒロシを見た。
熟考しているうちに、その反対の現象も起こる。
それは、藤原ヒロシを通した千利休という姿だ。
利休はパンク。
藤原ヒロシ氏は音楽とファッションが融合された文化としての〝パンク〟に初期衝動を抱いたのは彼のことを知る者にとって周知の事実である。
作家でありパンクミュージシャンの町田康氏を取材した時に聴いた言葉が想起された。
パンク〟っていうのは「不良」ではなくて「不良性」なんだよ。
今はもうパンクというのはある種、『新古今和歌集』みたいなものですよね。
要するにパンクの本質ではなくて、〝パンク〟という景物になっている。歌枕とか歌言葉みたいなもの。
本来、パンクというのは生き方のことだと思うんですよ。
一般的にはあれらのファッションがパンクと言われていますが、もともとパンクというのはそういうものではなかった…
…要するに「こうしなきゃいけないよ」という既存のルールや伝統的を無視して、自分たちの感覚だけを頼りに、知識や技術といった蓄積を一回忘れて、感覚だけを頼りにやってみたらあんなことになりましたっていうのが70年代の半ば頃のパンクで……
(教養のエチュード≪精神のパンク、表現の文学》より)
町田氏曰くファッションアイコンとしての〝パンク〟は決して〝パンク〟ではなく、蓄積された文化に対するカウンター、つまり反逆的な精神性こそが〝パンク〟となのだと。
そのような意味において、〝茶の湯〟の中に積極的に〝新しさ〟を取り込む姿勢は〝パンク〟である。
「こうあるべきもの」という通俗的な価値観を打ち砕く行為に人々は興奮し、魅せられたのだ。
また、雑誌の中で藤原ヒロシはこう語った。
ただ、パンクって一口に言うけれど、そのときどきのエスタブリッシュメントに対するアンチを指し示す言葉でもある。
極端に言えば、いわゆるストリートスタイルが主流となって、スニーカーにショートパンツばかりになれば、逆にシルクのスーツを着るというような。
そういう意味で、パンク的なエレガンスというのもあると思っていて…
(SWITCH Vol.36 No.4 特集:藤原ヒロシ FRAGMENT MAPPINGより)
この言説は明らかに〝パンク〟の精神性を指し示す内容である。
アイコンとしての〝パンク〟ではなく、その奥に根差したアティチュード。
〝黒〟に見出した色彩の渦。
山本耀司氏の〝黒〟、川久保玲氏の〝黒〟、ココ・シャネルの〝黒〟。
「黒は色彩である Le noir est une couleur 」
1946年、マーグ画廊で開かれた展覧会にマティスはルオーを誘った。
ルオーの〝黒〟は闇や影を表現するのではなく、一つの色彩や光として瑞々しく描かれた。
出典:https://spice.eplus.jp/articles/146048
「黒に五彩あり」と言った横山大観は水墨画で多彩な〝黒〟を描いた。
「I’ outre – norir(黒の向こう)」
〝黒の画家〟として知られるピエール・スーラ―ジュはと言い、黒の中に光の輝きを見出した。
そして、その遥か昔───西洋ではルネサンス後期にあたる頃───日本では千利休が〝黒〟の中に全ての色彩を見出した。
黒楽茶碗のプロデュース。
高麗茶碗の上に向かって広がる椀型の茶碗ではなく、利休は瓦職人の長次郎に手びねりで半筒型の茶碗を作らせた。
これは楽茶碗と名付けられ黒と赤の楽焼茶碗をプロデュースしていく。
外国産(現中国・朝鮮)の高価な茶碗をセレクトするだけでなく、自国でプロダクトを作ることによって利休は日本の器の価値を高めた───それは〝今焼(当時における)茶碗〟として新しい価値を生んだ。
そこには日本独自の〝侘寂〟の概念が鼓動する。
全ての装飾を削ぎ落し───〝黒〟という色彩に全てを込めることによって。
〝侘寂〟の中にあるぬくもり。
全てを削ぎ落したと同時に、全てを内包する色彩。
究極的に洗練された未完成の〝美〟がそこにある。
全ての色を混ぜ込んだ黒。
混沌の中から浮かび上がる黒は、黒でなく、〝玄〟だとも言える。
あらゆるアーティスト、クリエイターが表現する〝黒〟にはない、「玄中玄(くろなかのくろ)」を利休は安土桃山の時代に世に送り出していたのだ。
fragment designのプロダクト───その洗練されたデザインは利休の精神性の系譜にあたる気がするのは私だけであろうか。
ストーリーとしての付加価値。
2015年、sacaiはfragment designとコラボレーションTシャツを販売した。
sacai × fragment design sacai (not sacai) ────
前記のパネルディスカッションの中で、m-floのメンバーであり、AMBUSH®クリエーティブ・ディレクターのVERBALがこう語った。
何なら最初に20枚だけブート感覚(起動させるための原動力)で作って、そのTシャツ自体をありものとして、ブランディングや流通の中で価値をつけていく。一つ一つはFragment Designなんですけど、そこになんかストーリー性が生まれて、次第にカッコよさができてくる。
素材がどうだとかそういうことではなく、そこのストーリーがブランド感になっていたんです。するとファストファッションが対抗できないゾーンになってくる。
…次々と転売されていくと20ドルのシャツが200ドルになって、『レアだから』っていうので2000ドルを超えていく。エンドユーザーは一番大変なのですが。『作り手が2000ドルのシャツを創造していく』という、ロマンの提案の方法が昔と違うんですよ。今はそういうシーンなのかなぁって思います。
(教養のエチュード《THE PANEL ─アートとサイエンスにおける考察─》より)
この話の後、藤原ヒロシ氏は「でも僕たちの手元には2000ドルは入ってこない」と言って笑いを誘ったが、感覚的な表現技法に特化したただのアーティストではない───類稀なる戦略家でもある。
それは利休とも通ずる。
利休のブランディング。
利休は長次郎に作らせた黒楽茶碗を市場には出さなかった。
それを自分の見染めた美的な信頼のある大名数人に配った。
数寄者のコミュニティの中でその噂はすぐに広まった。
SNSやブログのある今のような時代ではない、巷の熱心な数寄者はその黒楽茶碗をどうしても見たがった。
想像の中で利休のプロデュースした器は次第に大きくなっていく。
期待が十分に高まると、利休は堺の自宅でそれらの器をはじめて公開した。
名だたる大名しか持っていない黒楽茶碗。
評判の茶碗を一目見ようと全国から人が押し寄せた。
その中で裕福な資本を持つ商人が「売ってくれ」と言い始めた。
利休は簡単には売らなかった。
商人たちは何度も展示会に通い、商談を持ちかけ、せがんだ。
価格は次第に上がっていき、最高値を叩き出したと判断したところで、利休はそれをはじめて販売した。
人間の欲求を巧みに操り、価値を上げていく。
そしてそれが市場に出た地点でその価格が〝底値〟になる。
つまり、その時の〝最高値〟は、流通における〝最低価格〟になるわけだ。
あとは熱心な数寄者や美術収集家の手に渡る度に倍々ゲームで価格は上昇していく。
稀少価値にストーリーを乗せて、ほとんど価値のない楽茶碗に付加価値を与える。
まさにそれは錬金術師のように。
紛れもなく利休は優秀な戦略家だ。
人間の〝欲望〟と〝美術〟に対する価値というものの両方を知っているからこそ成し得る業である。
一方、藤原ヒロシ氏は著書の中でこのような言葉を残している。
僕が本当に影響を受けていたのは、バンドとしてのセックス・ピストルズというよりも、その背後にいた〝マスターマインド的存在〟のマルコムであり、彼の仕掛人的な才能だったのだ。
(『丘の上のパンク』)
美意識に包まれていることで見落としてしまいがちではあるが、根本として彼らは戦略家である。
それは遊戯的に───子どもが友達と自分たちでつくった遊びの内容を充実させるように。
プロダクト、デザイン、流通、だけでなく、〝カリスマ〟さえも。
カリスマとしてのブランディング───ストーリー。
カリスマたちはストーリーが一人歩きするところまで予想して戦略を立てている。
人間の想像が、さらに価値を高める効果を知っているのだ。
有名な利休の「一輪の朝顔」の逸話───。
庭に咲いた朝顔が見事だと、利休は秀吉を〝朝顔を眺めながらの茶会〟に誘った。
利休からの誘いということもあり、「どれほど立派な朝顔が咲き誇っているのか」と秀吉の期待は大いに膨らんだ。
「黄金の茶室」を建てるほど絢爛豪華な趣向を好む秀吉をいかに満足させるのか。
秀吉が屋敷へ着くとそこに朝顔はなかった。
よくよく見れば全ての花が柄の部分で切られている。
その様子にすっかり落胆した秀吉が茶室に入ると、そこに活けられた一輪の朝顔を発見する。
活けるための朝顔以外、全てを削ぎ落すことによって、一輪の朝顔の美しさと稀少性の持つ輝きを際立てた。
省略の美であり、その利休の美意識に秀吉は感嘆したという話だ。
相手の趣味嗜好を知り尽くし、さらにそれを裏切りながらも感動を与える。
秀吉の影響力を考えれば、この準備にどれほどの価値のあるものかを知っているからこその戦略だと言えよう。
秀吉の一言は、万里を渡り、利休の価値を大きくする(それはジャスティンビーバーのTwitterよりも影響力があり、後世まで語り継がれる)。
ストーリーの力。
小説の中における〝作家〟は〝神〟である。
物語は言葉以上の力を宿す。
最後に、「木守」の逸話を紹介する。
作家は紙の上で(あるいはパソコンの中で)生命を与えるが、利休は実社会の中で〝物語〟のみの力で価値を与える───それはもはや〝神の業〟である。
長次郎に作らせた赤楽茶碗がいくつかあった。
利休はそれを弟子たちに「好きなものをやる」と言って持って帰らせた。
最後に茶碗が一つ残った。
その残り物の赤楽茶碗に利休は〝木守〟と名付けた。
木守とは実りの秋───柿の木に実が成る頃、〝来季への豊饒の願い〟を込めて一本の木に一つの実を残すこと───その残された柿の実のことだ。
祝福的な〝希望の香り〟を漂わせることで、その残り物の赤楽茶碗に新たな価値が生まれた。
弟子たちが持って帰った赤楽茶碗よりも、木守〟の方が遥かに価値が高かったことは言うまでもない。
利休の弟子と言えば、相当な目利きが揃っているはずだ。
彼らが選ばなかった茶碗にさえ価値を与える───これがストーリーの力であり、さらには〝神の業〟であることの証明である。
ストーリーを吹き込むことで生命を吹き込む───価値を創造する利休の凄さと藤原ヒロシ氏のキュレーションは同質のものである。
彼が選んだモノ、目を留めたモノ、手に触れたモノに価値を見出すのは、〝藤原ヒロシ〟の洗練された美意識と物語を吹き込む作家(神)としての巧にある。
藤原ヒロシ=利休論。
お互いを並べ、または重ね合わせることで浮き彫りになる新しい視点。
この記事を書くことを通して私の中で新しい発見が幾つもあった。
それは利休の逸話や藤原ヒロシ氏のクリエーションについてだけのことではない。
日本特有の美意識とカリスマ性の秘密。
彼らによる戦略家としてのブランディングとシナリオライター(作家)として輝き。
根底に流れるのは華麗なるまでのパンク精神。
不明瞭であるが故に、繊細な質感として味わうことができる快楽。
本音しか語らない。
良いものしか作らない。
だからこそ洗練され続ける言葉とプロダクト。
クリエイティブディレクターという生き方。
嬉々としてサーフボードを持って荒波の中へ飛び込む鬼の子の姿をそこに見る。
〝藤原ヒロシ〟は現代の千利休である。
※また、この記事は《千原徹也=織部論》と太陽と月の関係となっている。
並行して読んでいただくことを推奨します。