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才能のある人たちに埋もれていく人たち

才能のある人はどんどん結果を出していき、その陰で泣く泣くやりたいことを諦めていく人たちがいることをご存知だろうか。

世の中は残酷で、力のあるものが力のないものを淘汰する運命。

弱肉強食で結果が全ての世界。結果を出すための戦略と行動が必須となる。

全く可愛げのない世界。甘々な世界ならどれだけ良かったのだろうか。辛酸を嘗める人。自分の才能のなさを嘆く人。成功の裏には悲しい思いをする人がたくさんいる。

生き残るためには生きるための力を身に付けなければならない。それがなんなのかはわからないし、自分で掴んでいかなければならない。

好きなことで生きていく

僕はありがたいことに文章を書いて生活をしている。ちなみに才能があるかどうかは知らない。

正直なところ今でもやめたいときの方が多いんだよね。でも仕事なんて憂鬱なものだと思っているから、なんとか続けることができている。

仕事なんてものは憂鬱な割合の方が多い。そして憂鬱を乗り越えたものが、成果物として現れ、達成感や満足感を産み、仕事のやりがいや喜びを運んでくる。

憂鬱を乗り越えたその先の喜びを知ってしまったから、きっと僕は文章を書くことをやめられないんだと思う。きっとそうに違いない。

今までに文章を書いて生活したいと躍起になって、ライターを目指す人を何人も見てきた。ちなみに僕もその中の1人で、夢ばかり見ていた。

文章を書いて生活することに夢見て、パソコンの使い方も知らなかった僕は、まずパソコンの使い方から学んだ。

そこから寝る間を惜しんで、文章と向き合う日々。夢中だった。夢中になって寝ることさえ忘れてしまっていたのだ。

思うような結果が出ず、「才能がないんじゃないか」と嘆く夜をなんども過ごしてきた。

1ヶ月、2ヶ月と日が経つうちに、どんどんと増える脱落者。1年後には同時期にスタートした人はほとんど生き残っていない。

あまりにも残酷な世界。ほんの少しの慈悲すらも与えてもらえないから、ときどき絶望したり、逃げ出してしまうこともある。

やめた理由は「才能がなかったから」

ライターを志、1カ月足らずでやめてしまったとある友人に「なんでやめたの?」と聞いてみた。

すると「才能がなかったからだよ」と返ってきた。

才能で片付けてしまうのは簡単なことだ。1カ月で結果を出せると思っていたのか。

継続しなければ見えない道もあることを知っているのだろうか。

もしかすると本気じゃなかったんだろうか?夢を叶えるための努力をなめていたんだろうか?

その真意は本人にしかわからないし、知るつもりもない。でもきっと始める前はやりたいことで成功するイメージを持っていたはずだ。

なぜだろう?

やればやるほどにどんどんずれていく理想と現実。

成功する自分と結果を出せない自分が、あまりにも乖離しすぎて、理想と現実のギャップに耐えられなくなってしまったんだろうか。

「まさかこんなはずじゃなかった」と誰かが言う。

「起きたことは全部事実。事実を受け入れて、改善を積み重ねることでしか成功への道はないんだよ。」と神様は言う。

確かにそうだ。人生に「まさか」なんてものはないし、起きた出来事は、起きるべくしておきた出来事だ。全ては必然的事象なのである。

事実を受け入れなきゃ前に進めないなんて頭で分かっていても、その事実を受け入れるのは簡単なことではない。

事実を受け入れるには時間がかかる。その時間は絶望の深さによって変わり、性格によっても変わってくるから非常に厄介なものだ。

だから僕らは自分を肯定するために、「才能」という言葉にすぐに逃げたがるのかもね。逃げるのは楽だし、逃げたからといって、自分を攻める人は誰もいない。

逃げは人間の本能だ。それでも自制し、自分に打ち勝てたものだけが栄光を掴むようになっているから至ってシンプルな世界。

ちなみに僕は才能という言葉をあまり信じていない。僕自身才能なんてひとかけらもないからである。ないものを信じろということは無理がある。

あるかどうか分からない才能よりも、努力できるかどうかの方が大切だと思うんだよ。

才能は後天的に身に付けることができる

今結果を出している人はみんな天才なのだろうか?

彼らのほとんどが凡人からのスタートで、僕たちとあまり変わらない立ち位置で物事を進めてきた。

才能は実は後天的に身に付けることができる。自分次第で身につけてしまうことができるのだ。

はなから才能がないということは確実にないし、それを言い訳に逃げるのは何か違う。

やり始める前から才能がないと嘆くのはかっこ悪い。なるべくかっこ悪いことはしたくないから、できない言い訳よりもできる理由を探す日々。

才能がないという理由で諦めるのは、本気でやってからでもいいんじゃない?

寝る暇を惜しんでやったか?後悔ないぐらい1つの物事に打ち込んだか?

本気を出してやってだめなら、それは才能がないという証拠になるから諦めて別のことに挑戦した方が身のためかもしれないね。

ただごく稀に天才と呼ばれる人もいる。何万人に1人ぐらいの確率だからほとんどの人には関係のない話。

上を見だしたらきりがないから、向き合うべきは昨日の自分だ。昨日の自分よりも少しでも前に進めているなら、そのまま突き進んでいけばいい。

凡人が天才に打ち勝つには努力しかない。

「才能がない」を逃げの言葉に使ってない?

自分には才能がないから、、、

この言葉にどれだけ救われてきただろうか。そしてこの言葉を自分にかけることで、逃げる自分を何回肯定してきただろうか。

自分に才能がないと認めることで、やりたいことを諦める言い訳に使ってきた。

ダサい。ダサい。ダサい。かっこ悪すぎる。

でもさ、みんなも「才能がない」を逃げに使ったことない?

現実を受け入れることを拒否するために、動物の本能に従って、逃げるために「才能」という言葉を使ったりしてない?

諦めるのは簡単なこと。でも継続することは難しいこと。継続しなければ結果なんて絶対に出ないことも事実。

どんなことも大切なのはやめないことだ。

やめなければ少しずつ結果も出るようになる。

「才能って必要なの?」

うん、間違いなく必要だ。必要に決まってるだろ。あるに越したことはない。

「でもさ、才能がないことがそんなにいけないの?

才能がなければやったらダメなの?」

そんなことないでしょ。

やりたきゃやればいいし、やりたくなくなったらやめればいいの。

自分でやって確かめる。そうすることでしか才能があるかどうかはわからないから、うじうじ悩んでる暇があるならさっさと走りだしてしまえばいい。

才能がないと嘆く埋もれていく人に、才能を凌駕する努力をして、結果を出していく人。

どちらになりたいかは自分で決めればいい。

僕は物事を始める前から才能がないなんて、死んでも言いたくない。誰かに言われるのは仕方ないかもしれないけど、自分で最初から認めるのは絶対に嫌だ。

例え才能がないと誰かに言われたって、才能を凌駕する努力でなんとかしてみせる。

才能という言葉に逃げるな。甘えるな。

向き合うべきはいつだって自分だ。

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