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りょす、会社辞めるってよ。

こんばんわりょすです。

本日もnoteを開いてくださりありがとうございます。
今日はいつもと違った形のテイストでお届けしようと思います。

長く話してもあれなので.......
4月16日に今の会社を退職しました。

有給の関係で正式には4月末です。
今日は会社にお礼を込めてnoteを書きたいと思います。

なので興味なかったら読まなくても大丈夫です。
今日だけは許してください。

何から書いていいかあまりまとまっていませんが、先に言っておくと
今の会社を選んで本当に良かったと思っております。

ただ辛いこと7割、楽しいこと3割くらいで社会ってこんなもんなのかなとも思いました。

せっかくの機会なので1つ1つ思い出を振り返りたいと思います。
お付き合いお願いします~。


1年目 ~楽しいと苦しい~

浜松
僕が一番最初に配属されたのは静岡県浜松市でした。
先に言いますが、僕はこれまで山梨、東京、神奈川、静岡、三重
埼玉と住んでいるんですが一番浜松がいい街でした。
いきなりどうでもいいとか思わないでね笑

僕が配属された浜松営業所は会社としてまだできたばかりの営業所でした。

任された業務は新規営業でした。
僕はもともと営業をやりたかったので新規営業に配属されて嬉しかったです。
もうめちゃくちゃ楽しい毎日を過ごしていました。
土日も仕事したいくらい笑
そのくらい仕事が楽しかったです。

初めての上司も初めての先輩も初めてのテレアポ、商談、受注すべてが新鮮でした。
それなりにいい結果が出はじめて、さあ新人賞へひた走る!って時にまさかの三重県四日市市へ転勤命令。

どうやら同じ東海営業部の人が飛んだとか飛んでないとか笑
忘れもしない2019年7月28日です。当時僕は会社に転勤があるのは知りつつもさすがに1年目の途中はないやろと思ってました。

僕は浜松という環境、支店メンバー、街、すべてが大好きでしたので本当にショックでした。
その日居酒屋で泣いて、同期との帰り道でも泣いたのを覚えています。

とは言いつつも僕はポジティブ人間なので次の日くらいから神様がきっと新人賞になるための試練を与えてくれたんやなと思って転勤に備えました。

お盆明けから三重県に行きました。
いや転勤告げられてから異動まで短くない?と思った方。
そんな会社です笑それもいいところだと僕は思ってます。

四日市
四日市では主に既存営業を任されました。
僕らは主に派遣をメインで扱っていたので応募者を募集のある案件へ入社させることが主な業務です。
浜松とは違い歴史のある支店なので取引先も多かったです。

四日市に行く前はガンガン人入社させてガンガン数字作っていこうと意気込んでいましたが、待っていたのは
豆腐工場事件、オーダーなし案件多数、留学生の管理でした。

豆腐工場事件については四日市から異動したときに書いた皆様から恋愛小説だと評判のこちらの記事に詳しく乗っているので見てくださいな笑

引継ぎでどこの案件に行ってもODなくてどうやって成果出そうかに毎日頭を悩ましていました。
僕の勝手な思いこみで新規と違ってCDは守りがメインだからなかなかお客様との仲良くなれずに何となく毎日が過ぎていきました。

今だったらもう少し改善できたなーと思うんですけどね笑
まあ後の祭りです。

一番大変だったのが留学生の管理です。
外国人と関わったことの無い人生だったので驚きの毎日でした。
「文化の違い」これが本当にすごい。

留:リョスサン~ワタシオナカイタイネ。シゴトヤスム!
リョ:ん???これで休むん?笑
留:リョスサン~アメフッテルネ。ワタシヤスム!
リョ:え!雨でも休むん?????


お客様にも腹痛で休みますというと治せ!とか言われるし.....
さすがに雨で休むとは言えなかったです笑
ほんと散々でした。

そんな中でも僕の同期が新しい案件を取ってきてくれるのでなんとか首の皮一本でつながっていました。

いつのまにか新人賞を取る!という気持ちすら薄れていました。
神様が与えてくれた試練を乗り越えられず苦しんでいたしそんな状態の僕が土台に立てるはずもなく振り返るとただ悔しい1年目でした。

でも今思えばいい経験だったなと感じています。
人をポジティブにしたいと意気込んでくじかれました。
それでも今、人をポジティブにしたいと思えている。
経験する前とした後はこんな違うのかと思うくらいと今の僕は違うと言いきれます。


2年目 ~コロナと転機~

世の中がコロナコロナで緊急事態を発令したころ僕は四日市で過去一忙しい毎日を過ごしていました。

それはコロナ特需で伸びた案件をこれまた同期が発掘してきまして、また僕にチャンスが転がってきました。マジ天才。

とは言いつつもまたもや留学生の対応でした。
でも一度失敗している人間は強いです。失敗を生かせますからね!
その仕事が夕方の17時半~24時半までだったので普通に9時くらいから自分の業務をこなし、その後工場にこもりひたすら現場の管理や教育に時間を割きました。

これまた驚きなのが四日市から片道50kmというとりあえず遠かった.....
帰宅するのはいつも夜中の3時とかでした。
でも四日市にいた1年間でその時が一番充実していて一番楽しかったです。

ただその期間の数字は外国人の社員に持っていかれたので安定のマイナスでした笑
これはマネージャーに文句言いたかった笑

そこの案件が落ち着くとコロナが本格的に三重県でも流行り始めひたすら守りに徹していました。

僕の案件で言うと工場が閉鎖したり、外国人全員打ち切りになったりとネガティブなことしかなくてさすがにこの時は苦しいとかそんなこと考えられないくらいしんどかったです。

このまま四日市にいても成長することができないなら転職をしようと決めた9月また神からのお告げが来ます。

そうです。また転勤です。
次は埼玉県です。
しかも既存営業ではなくまたもや新規営業です。
今回は9月9日に言われて10月17日の異動だったので期間はしっかりいただきました。笑

埼玉
埼玉へ行ってからは忙しかったです。
コロナもだいぶ落ち着いていたので訪問も普通にできていましたし、結果もすぐに出ました。

やっぱり僕は新規営業だなと思い活動していきました。
これから頑張ろうという気持ちと同時にもっと違う業界で自分を勝負してみたいなという気持ちも芽生えました。
確かに今の環境にいても確実にステップアップできるチャンスはあるし信頼している人達の元で働くのは悪くないと思っていたから。

でもあの時三重で抱いた感情は自分の心に強く残っていました。

ただ辞めるにしてもなにか大きな足跡だけ残したいと思ってました。
残してから転職活動を始めようと思いました。

そんな矢先にBIGな案件が舞い込んできました。
会社が今後押し出していくサービスと従来のうちの強みを押し出せるサービスの提案でした。最後の大仕事と思い、全力で取り組みました。

結果は両方ともチーム全員で契約を勝ち取り、僕にとって非常に満足いく形で終わりました。

それと同時にコロナの第2波が来てまた緊急事態宣言が発令されて特に首都圏は深刻で訪問もいけなくなってしまい苦しい期間に突入しました。

3月に入り縁あって次の職場が決まり、尊敬している部長へ報告しました。
止められるかなと思ってました。
そしたら案の定めちゃくちゃ言われました。
これも愛なんだと思いましたが、僕の思いは固まっていたので最後は承認してくれました。

最後の最後までいい会社だなと思わせてくれるようなそんな人でした。
最終出勤日もこの状況なので支店でプチ送別会を開いてくださりひっそりとお別れを告げてきました。

こうして僕の2年目が終わりました。

まとめ

入社してから気付いた大きな会社であるということ。
教育もしっかりとしてもらい、チャレンジもたくさんさせてくれました。

苦しいことのほうが多かったし何回も逃げだしたいと思ったこともあります。ありきたりな言葉ですが、仲間の為に働くという感覚は自分の中であって、それを思わせてくれる会社とメンバーでした。

この会社を選んで僕はたまたまかもしれませんが本当にいい人しかいなかったなと思います。
たまに生理的に無理だと感じる人もいるのかなと思っていたんですが本当に出会う人は素敵な人ばかりでした。マジで。

就活をしていた時の僕に間違ってないぞと改めていってあげたいですね。
結果という部分ではそれほど残せませんでした。それが心残りですね。

僕は人より社会人である時間は短いです。
なのでその瞬間瞬間の選択が命取りです。
今回の選択が間違っていなかったと胸張って言えるような日々をこれから送っていきます。

お世話になった方には最大限の感謝をし
次のステージでも自分らしく頑張ります。

ありがとうございました。

長くなりましたが最後まで読んでくれたあなたが大好きです。
よかったなと思ったらスキとコメントお待ちしております!

あざした~

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