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80歳を過ぎてベッドで寝たきりの人は不幸だと考えがちだ。しかし実際に尋ねてみると「今が一番幸せ」と答える人もいるそうだ。その理由を今日は考えてみた。

そもそも「幸せ」に基準はない。

その前にまず質問をするので考えてください。
問:年収600万円の人と、300万円の人では、どちらが幸せでしょう? 理由も含めて考えてください。

これは先日ドラマ「家庭教師のトラコ」で先生が子供に出した質問だ。あなたならどう答えるだろうか? ちなみに正解はない。あなたが思ったものが答えになる。

番組内で子供たちは、「300万円の人の方が幸せである」と答えた。理由は、「600万円の収入がある人は、仕事が忙しくてろくに休みも取れないし、生活水準保つために必死でノルマ達成しなければならない。300万円の人はそんな必要ないから、好きな趣味とか家族と過ごすことに時間使えて、逆に楽しく生きられるから。無理してお金稼いでも幸せになれないよ、人間は。」しっかりした子供たちだ。

私は20代の頃、お金をいっぱい持っている方が幸せだと思い込んでいた。その考えを変えることになったきっかけが、阪神淡路大震災だった。当時私は神戸に住んでいて、ほんのちょっとの運命の悪戯で倒壊するビルから生き延びることができた。その時から、お金や物で幸せの基準を計るものではないと考えるようになった。

別にそんな経験していなくても、中高年ともなれば幸せの基準はお金ではないことくらい、すでにご存知のことと思う。

では健康に関してはいかがだろう?

お金があっても健康がなければ幸せではない。そう思っている中高年もいるはずだ。だから健康はお金を払ってでも手に入れようとする人が多い。

交通事故で下半身不随を余儀なくされた人がいる。夢破れ生きていくことすら嫌になり、何度も自殺を計ったそうだ。しかしある日、気付いたそうだ。車椅子生活で足は動かなくても、手と頭は動く。そしてデザイン会社を立ち上げ、社員を抱え、今では大きな会社に成長した。足は失ったけど、今が一番幸せだと言われる。

パラリンピックを見て感動した人は多いと思う。体の一部がなくても、それは「障がいがあるのではなく、個性として見てほしい」と言われる。逆境を乗り越える精神力は健常者より勝っている。車椅子バスケットの選手も「今が一番幸せだ」と発言されていたのを覚えている。

だから寝たきりの高齢者が不幸だと決め付けることはないのかもしれない。「ヘルパーさんに、こんなにお世話していただけて本当に幸せです」と言われる人もあるそうだ。

幸せの基準は、年齢や環境に応じて変化する。

それでも、お金はないよりあった方がいい。健康もあった方がいい。年を取り、環境が変わり、体が動きにくくなった時、あるいは寝たきりになって、それでも幸せだと感じることができるのは、きっとポジティブな精神力のある人だから言えるのだと思う。

悲観的な精神の持ち主なら、「なぜ私が?」「前はできたのに・・・」と、できないことばかり気にして、気持ちがふさぎ込んでしまうのではないだろうか。足を失ってもまだ手が残っていると考えるのか、失った足をずっと悲しんで生きるのか、その違いはとても大きい。

寝たきりになっても感謝の気持ちで幸せを感じるためには、少しでも早くからポジティブな気持ちで生きていく習慣になっておく必要があると私は思う。

努力なしで健康は手に入らない

人はとかく無い物ねだりをする。すでにあるものに感謝する気持ちを忘れてしまっている。「風邪を引いたときに健康の有り難みが分かる」なんてことは昔からよく言う。高齢になることは、そんなレベルの話ではない。若い頃に戻りたくても戻れない。だから今あるものに感謝して、今ある健康を維持できるよう努力が必要なのである。若い頃は健康が当たり前でも、高齢になると、健康は努力しなければ手に入らない。60代を甘く見たら悲劇を見るよ!

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