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人は必ず死にます。死んだら遺骨をお墓に入れます。

なぜ?

大昔は、豪族や貴族だけが墓を持ち、それが古墳として今も残っています。卑弥呼の墓がどこかとか、ロマンも生まれています。あの頃の一般人は、墓を持たなかったはずです。どうしていたのでしょう?

いつから一般市民が墓を持つようになったのでしょうか? 調べればおそらく分かるのでしょうが、そこまでの興味があるわけではありません。むしろ、なぜ墓に入れなければならないのか、ということがずっと前から疑問でした。

科学が進歩した現代に墓は必要か?


最近では「墓じまい」「永代供養」などという新しい動きもあります。そして今回気になったのが「合葬墓(がっそうぼ)」です。

こちらは、福岡市立・平尾霊園の映像です。合葬墓は、一つのお墓に多くの遺骨を一緒に埋葬する新しい形態の墓地です。600の定員に対して約2000の申し込みがあったということで人気のようです。追加募集してこれからも随時増えていくようです。

合葬とは、骨壷から遺骨を取り出して他の方の遺骨と一緒に供養することで、合葬墓とは、そのように合葬した遺骨を共同で供養するためのお墓のことを指します。

もうこれでいいじゃない!


一人ひとりのお墓なんて必要ですか?


と言ってしまうと、反論が来そうですが、個人の見解なので考え方は自由です。これまで通りのお墓がいい人は、それでいいと思います。どんなご先祖様なのかによって、考え方はきっと違うはずです。特記するほどの家系でないのなら、お墓を大事にする気持ちが変化している方が、今の時代には合っていると私は思います。あるいは故人への愛情によっても違うことでしょう。


お祈りはいつでもできる、心の問題


お祈りはどこでもいつでもできると思います。お仏壇の前でなくても、お墓へ行かなくても、故人を慕う気持ちがあればどこでもできるはずです。思い出してあげる機会が多ければ多いほど、故人に対して良いと私は考えます。それって、心の問題だと思いませんか?

「あなたは独身だから、そんな軽い発言ができるのよ」と言われれば、確かにそうかもしれません。子孫がいないのであれば、墓なんて必要ないと考える方が、今の時代自然です。

結婚とは個人の問題ではなく家と家との関係も深くかかわります。親戚との兼ね合いもありますから、簡単ではないことと思います。


他人と一緒に埋葬されるのは、イヤ!


「他人と一緒に埋葬されるなんて、イヤだわ」と思われるかもしれませんが、もうその時は死んでますから、死んだ人に言う権限はないという考え方もあります。お墓は、故人より継承の問題ですから、子孫が考えるべきだと私は思います。

身軽な人から身軽な方法へ移行するのが自然な流れだと思います。「墓じまい」ができる人なら「合葬墓」も選択肢として、アリだと私は思います。


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