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高齢者と話をしていて気になるワードがこれです。
「面倒くさい」

あと、関西では「邪魔くさい」もよく使います。これは関西弁で「面倒くさい」と同等の意味です。関東では違うらしいので、お間違いのありませんように。少し言い方を変えると、「億劫だ」「しんどい」もよく使いますね。

若い人は「だるい」という言葉も使います。高齢者がこの類の言葉を使うと、本当に動かなくなってしまうので、気を付けなければなりません。

歳が行くと筋肉が衰えることは誰でも知っています。だから運動した方が良いことも知っています。なのに、運動しませんよね。しない理由として必ず出てくるのが、先ほどの言葉です。面倒くさいと思ったら、すべてがダラダラした生活態度になってしまいます。

私は20代の頃、ある社長から教わった言葉があります。
「迷ったらしんどい方を取れ、行動する方を選べ」
その言葉を聞いてから、ある程度は実行しているつもりです。

高齢者にとって、まさに必要な言葉なのではないかと思うのです。私は、高齢者によく提案をします。「ハイキング行きましょうよ」「卓球しませんか?」「美術館へ行きませんか?」などと、誘ってみるのですが、一向に良い返事がもらえません。最近では、40~50代の人にも同じように誘うのですが、必ず断られます。

「運動?面倒くさい!」と、とにかく動くことを拒否されます。

高齢者の場合、そのうちランチへ行くことすら億劫になっていきます。ようするに家から出ることそのものが、面倒くさい、億劫になるわけです。すると、歩かない、喋らない、笑わない、というマイナス要素が重なっていきます。

「今はまだコロナが怖いから」と言われる人も多いです。「正しく怖がる」と最初からよく言われていましたが、その意味をどうも理解されていないようで、すべてを拒否される人がとても多いです。

新型コロナ発生から約3年。その間、家から出ていないという高齢者が増えています。そんな人は、筋肉が衰え、足腰が立たなくなったり、噛む力が弱くなったり、良いことなんて何一つありません。どんどん悪い方へ向かっていることに本人が気付いていないことも問題です。

フレイル、ロコモ、サルコペニア、という言葉を先日書きましたが、言葉なんて覚える必要ないんです。必要なのは、外へ出ることです。「閉じこもり」状態では、自分もしんどいし、そのうち周りに迷惑をかけることになることにも気付いていないのは、なぜなのでしょう?

目の前のケーキを食べてもすぐ太るわけではありませんが、毎日食べ続けるときっと変化が現れるはずです。閉じこもりだって同じです。一日家から出なかったとしても何も変化はないでしょう。ところが何日も続いたら、何らかの変化が出るはずなんです。膝が痛いとか、腰が痛いとか出たとしても、歳だからしょうがないと言う人も多いです。でもそれは間違っています。

80歳や90歳でも元気に動き回っている人がいるじゃないですか。何が違うかちょっと考えればすぐわかる話です。それを「あの人と私は違う」なんて、都合の良い時だけ別物扱いするんです。同じ人間です。そんなに大きな差はないんです。あるのは、行動するか、しないかの差だけなんです。

「外へ出て行動することで新型コロナに感染した場合と、閉じこもりで体が弱った場合を比べてみましょう。」と、高齢者に話したことがあります。全員が、コロナの方が怖いと答えました。そう言われると、私にはどうしようもありません。

政府は「2類相当」から季節性インフルエンザ並みの「5類」に引き下げる話が出ています。ただ、それはあくまでも法律の問題だけで、社会状況的にはすでに5類に相当していると考えても良いと私は思います。その話をしても、「国会が・・・」と言われます。自主的判断ということが高齢者にはどうやら無さそうです。それなら家の中でできる運動をすればいいのに、それすらしないわけです。結局損するのは、自分です。どちらを取るか、ご自身でお決めください。


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