自分が死んでも世界は変わらない
今日は死ぬことについて真剣に考えてみます。私は生死を考える時、いつもジョン・レノンを思い出します。
ジョン・レノンは1980年、ニューヨークで射殺されました。ニュースを見て衝撃を受けた人が世界中にどれだけいたことでしょう。もちろん私もその一人です。ジョンはヨーコと共に反戦運動を展開し、「みんなが本当に平和を望めば世界は平和になるんだ」と唱えました。
ジョンが死んでも世界は平和にならないのは、なぜ?
あんなに平和を愛していたのに、あんなに世界中に愛を配ったのに、ジョンのような偉大な人が亡くなっても、世界はまったく変わりません。そんな当たり前のことをあの時初めて感じました。
自分が死んでも世界は変わらない
ジョンが死んでも変わらないんだから、私のような一般の無名人が死んでも、変わるわけがありません。ニュースにもならないです。
私はこれまでに数えきれないほど頭の中で自殺未遂しました。その時に考えたことがあります。「私が死んだら何人の人が涙してくれるだろう」と。
そう、数を考えたのです。
後でわかるんですけど、数じゃないんですよね。生きるってことは、何人の知り合いがいるかという数じゃなく、何人に影響を与えたかという数でもないのです。「一人いればそれだけでいい」なんて、歌の歌詞みたいで恥ずかしくなりますが、たった一人いるか、いないかで、生き方が変わるのです。
一人を助けるために、大勢を殺し、街を破壊する主人公
アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「コマンドー」という映画はご存知でしょうか? 連れ去られた娘を取り戻す映画です。シュワちゃんの戦闘シーンばかりで、爆発と破壊の激しい映像ですが、結局、娘一人のために何人殺したの?どれだけの街を破壊したの?と疑問の残るストーリーでした。
言い換えれば、一人のために命を懸けるドラマです。とてつもなく大きい愛の表現が、殺人と街の破壊だったのです。名もなき兵士にも家族はいるし、破壊された関係ない街にも住民がたくさん住んでいます。そんなことお構いなしの、独りよがりなエゴな話です。
たった一人のためにどれだけの愛を注ぐことができるかは、人それぞれだということです。逆に言えば、自分一人のために、誰がどれだけの愛を注いでくれているかを、考えなければならないということ。それが生きるということなのではないかと思うのです。
ジョンの言葉にあります。
結局、あなたが受け取る愛は、
あなたが与える愛に等しい
自分が死んだ時、自分のために家族は涙してくれることでしょう。しかし天涯孤独だったとして、誰も涙してくれないということはありません。まったく人と関わらず生きることは不可能だからです。もし誰も涙してくれないとしたら、それは誰にも愛を与えていなかったことになります。
今の時代、自宅で死ぬことはほぼ不可能です。大好きな人に見守られながら死ぬことも難しいかもしれません。息を引き取る最後のことなんて考える必要はないのです。それよりも生きている間に、一人でも多く、一日でも多く愛を与えることに時間を使うべきだと考えます。
ジョン・レノンの「イマジン」は世界平和を願って書かれた名曲です。
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