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SNS時代の恩恵?障害?〜久しぶりという感覚〜

今日はつぶやきで。

最近、よく色々な方とご飯に行きますが、

「いつぶりだろうね?」

となることが多いくらい、久しぶりな方と
結構ご飯に行ってます。

以前、「ご縁」という考え方について
記事を書きました。

このご縁はそのタイミングだからこそ
ご縁として成り立つこともあると思います。

今まではただ繋がっている友達といった関係も
何かのタイミングで「ご縁」として深い付き合い
になったり、人との出会いや繋がりは本当に
面白いなと思います。

最近は、長年繋がっていた友達が一気に
「ご縁」として深い付き合いになることも多く、
何年、何十年経って交友関係が活発になったり。

出会ってから再会するまでの「時間」が、
その間の自分の経験や、今現在の目標や感情を
「ご縁」として覚醒させ、その時々に自分や相手
にとって必要な関係を必然的に運んできてくれて
いるかのような感覚です。

前置きが長くなりましたが、

長年会っていなかった友人と再会をする際に、

「久しぶり!」という感覚が薄れてきている
ように感じます。

これは、会っていない期間も相手のSNS等で
私生活や仕事などの情報が入ってくるため、
擬似的に相手のことを知れている感覚になり、
何年、何十年ぶりに会っても、そこまで
久しぶりに感じないということかとが理由の
1つとしてあると思います。

SNSが発達した今、相手の情報は欲さずとも
どんどん入ってきます。

これが恩恵なのか、はたまた障害なのか。

私は恩恵として考えていいのかなと思います。

私が生まれた1990年代であれば、
今みたいなSNSなどなかったですし、
連絡手段も電話やメールですので、
LINEで繋がってるような感覚もないです。

実際に、両親と話していても、
学生時代仲良かった〇〇さんは今何してるかも
わからないとか、連絡先すら知らないとか、
当たり前みたいです。

現代であれば何かしらで繋がっていて、
何をしているかもなんとなくわかってる
感じですよね。

昔と今では、「久しぶり!」となる機会の
母数がまず違うなと思うのです。

冒頭に、

その時々に自分や相手にとって必要な関係を
必然的に運んできてくれているかのような感覚

と書きましたが、これは何かしら繋がっていて
相手のことを知っているからお互いが「ご縁」
を手繰り寄せていくわけだと思うんです。

その手繰り寄せられる機会は昔と比べて
はるかに機会を得られていますし、
それはSNSの恩恵で相手のことをなんとなく
知れている状態だからだと思います。

なので、私にとってはこの「久しぶり感」が
薄れているのは、案外良い状態なのかも?
と思えてきました。

今日はすごくファジーなつぶやきでした。
それでは。

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