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ヘンテコな大学に通っていた。今は社会人。スポーツしてます。日常で考えたこと、感じたこと…

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ヘンテコな大学に通っていた。今は社会人。スポーツしてます。日常で考えたこと、感じたことを書きます。

最近の記事

コイツ、こんなに傲慢なヤツだったかなぁ…

とある親友の言動に対して物凄く嫌な感じを受けたことを唐突に思い出した。 1~2年前の話なのである程度記憶は曖昧なのだが、せっかく思い出したので書き留めておきたい。 地元の飲み屋でその友達と酒を飲んだ帰りに駅前のコンビニに寄ろうとしたところ、中学時代の同級生だったS君がいた。 S君は今にして考えてみれば明らかに精神と知能の発達に遅れのある少年で、それにも関わらず支援学級ではなく一般学級に在籍しており、それが原因でクラスに馴染めていなかった。というか普通に虐められていたと思う。

    • 地元=故郷ではないよね、って話

      連休中、地元の友人と久々に遊んだ。 彼との付き合いは長い。小学二年生の頃からなので、かれこれ20年弱といったところか。 そんな彼がこの度結婚し、地元に家を建てるらしい。 それ自体には何の意外性も感慨もない。婚約したというのはそこそこ前から聞いていたし、タイミング的には何ら不思議もないからだ。 普通におめでとう、それだけだった。 「へー、おめでとう。地元に家建てるのか。いいじゃん。」と、取り敢えず返してみる。 個人的には相容れない価値観だが、新生活の門出を迎える人間に対して

      • アイツが髪を染めた日

        姉が髪を染めた。小汚い金髪になって帰ってきた。 私が小学5年生で、姉が中学2年生の、確か夏のことだったと思う。 私はドン引きした。そんなの不良のやることだと思っていたし、それをやることで「不良」となった姉に対して軽蔑した。 両親は…よく覚えていないが怒っていたように思う。そりゃそうだ。学校にだってその髪の色じゃ行けやしない。 安直な言い方をすれば、姉はグレたのだった。それがハッキリと現れた最初の行動が「髪を染めること」だったように思う。 そこからの姉はもう酷いものだった。煙

        • 傲慢だった自分の行いに対する懺悔

          先日、友人の父親が亡くなった。 去年だか一昨年だったか、また別の友人の父親も亡くなっていた。 その二人の友人とは気が合う部分がありつつも、考え方や価値観が全く違う部分もあったりもする。 だから友人として長年にわたる付き合いがあるのだけれど、育った環境があまりにも違いすぎて、たまに戸惑う。 父を亡くした友人は、「頑張って父との楽しい思い出があるか考えてみたが、まったく思い当たらない。死んでも悲しめないことの方が悲しい。」と言っていた。 もう片方の友人は、「ついにあの親父

        コイツ、こんなに傲慢なヤツだったかなぁ…

          なんか「おすすめユーザー」的な欄に起業家とか若くして独立した人みたいなのがめっちゃ出てくる。悪いけど僕は圧倒的に「組織」とか「会社」の中で生きていきたいし、独立とか微塵も興味ないから機能としては精度が低いと思う。

          なんか「おすすめユーザー」的な欄に起業家とか若くして独立した人みたいなのがめっちゃ出てくる。悪いけど僕は圧倒的に「組織」とか「会社」の中で生きていきたいし、独立とか微塵も興味ないから機能としては精度が低いと思う。

          何枚かの「板」の話

          友人から勤め先の会社が潰れるらしい、とlineが来た。 その後に電話もしたのだが、やっぱり潰れるのは濃厚らしい。大変失礼ながら電話口で大笑いしてしまった。いや、だって面白いじゃん。勤め先の会社が潰れるとか。僕ならすぐTwitterに載せるし、いつこの話をリアルの友人に披露するか楽しみになってしまう。 友人も笑っていた。いや、だって面白いじゃん。ウケんね。とのことだった。 いやいや他人ごとではない。僕だって従業員20人そこそこの零細企業の平社員だ。明日は我が身かもしれない

          何枚かの「板」の話

          「親ガチャ」というワードに対して思うこと

          先日、Twitterで「親ガチャ」などというワードがトレンド入りしているのを目撃した。 僕も伊達に最近の若者としてネットに入り浸っていないので、そのワードの持つ大まかな意味はすぐに把握できた。 要するに「現在の自分の不遇も、大きな成功を収めている周囲の人々も、結局は経済的に豊かな家系に生まれたかどうかで殆どが決まっている。だから今の自分が惨めな思いをしているのは自分が才能にも努力にも機会にも恵まれなかった=即ち経済的に豊かな家系に生まれなかったからだ」という考えだ。 大

          「親ガチャ」というワードに対して思うこと

          個性の出し方って、それだけですか?

          物凄く久しぶりの投稿だが、センシティブな話題についてちょっと炎上しそうな視点で書く。以下の記事にのような問題についてだ。 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-55700870 まぁ簡単に言えば就活の画一的なルールのせいで女性や性的少数者に苦しんでいる人がそこそこいるみたいだね、って話。 始めに断っておくが、私はこの手の話題に対して無頓着だし、そのスタンスは割とこれからも変わらないだろうと思う。 この手の

          個性の出し方って、それだけですか?

          BLにハマったかもしれない

          恐らく僕は割と本が好きな方だ。特にマンガと小説が好きだ。今月はあまりにも精神的に参っていたせいで全然読めなかったので文庫本の小説を5冊読めるかどうかというラインだと思うが、先月、先々月は14冊読んでいた。 マンガは無料アプリや電子書籍を購入して、暇なときにちょこちょこつまみ食いのような感覚で読んでいるので詳しい数は分からないが、やっぱりそれなりの数にはなっていると思う。あとジャンプは毎週買っている。 これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは個人の判断にお任せするが、月に10

          BLにハマったかもしれない

          ゴミ袋に「あきらめ」を詰め込む。

          何もかもが終わっていた。 僕の現在の仕事は休みが多い仕事なので、noteを書く時間も本を読む時間もそれなりに取れるのだが、前回更新した6/28の記事以降、全くと言っていいほどあらゆる方向にやる気が出なかった。 休みの日は必ず一冊は本を読み、一回はnoteを更新しよう、と思っていたし、5月からぼちぼち良い感じで習慣化できていたのに、プッツリと途切れた。その間、休みの日は何をしていたかと問われると、何もしていない、としか答えられない。 ゴミ出しに行くのすら面倒くさくなり、部

          ゴミ袋に「あきらめ」を詰め込む。

          「敗者たちの季節」に寄せて

          中止となった春の選抜高校野球大会の代替試合として、8月の中旬に出場予定だった32校を甲子園球場に集めての交流試合の開催が決定された。 良いことだと思う。少なくとも当事者の球児たちは大いに喜んでいることだろうと思う。 ただ、僕には心配なことが一つある。というか、毎年甲子園に限らず高校サッカー選手権だとかインターハイだとかを見ていて感じる違和感がある。 「子供である高校生に色々と背負わせすぎじゃない?」 と、僕は思う。今年は余計にその傾向が強まりそうで、勝手に心配している。

          「敗者たちの季節」に寄せて

          今は、お腹いっぱいなんだよ。

          好きなことに縛られる、ということが往々にしてあると思う。 コレ好きなはずなんだけどなぁ。何だか今日はそんな気分じゃないんだよなぁ…という日が誰にでも、何にでもあるはずだ。 絵を描くことや読書をすること、スポーツをすること。あるいは好きなものを食べること… 人間、「好きなこと」ならいくらでも頑張れるというか、いくらでもできると考えてしまいがちだ。 だが残念ながらそんなことはない。いくら好きなことでも人間の体力には限りがある。 僕はこれを「お腹一杯な状態」だと思っている。

          今は、お腹いっぱいなんだよ。

          感謝はしているのだけれども。

          親子、というものについて考えてみる。 僕は両親の事が好きでもないし嫌いでもない。 大学に行かせてくれたことに関しては物凄く感謝しているし、一般的な尺度に照らし合わせてみれば「普通の」大人だ。 結構稼いでいるとも思うし、そこに至るまでの努力や道筋を考えると、素直に尊敬する。若いうちに結婚して、子供を3人も作って育てるというのは僕の想像できないような苦労もあったはずだ。 家庭環境で言えばそんなに悪くないはずだ。家族同士で顔を合わせれば「おはよう」「おやすみ」の挨拶はするし、

          感謝はしているのだけれども。

          退化を楽しむ、ということ

          掌の皮がベロリとめくれていて、結構痛い。 久しぶりにソフトボールクラブの練習が再開したので、結構な回数バットを振った。 200~300球くらいは打ち込んだと思う。終わる頃には掌にマメができて、それが破れて皮がめくれて血が出ていた。 当たり前な話だが結構痛い。僕はマゾヒストでも何でもないので痛いのは嫌いだ。 高校生の頃は毎日この倍は確実にバットを振っていたけど皮なんてめくれなかった。 1年生くらいの頃はそこそこそんなこともあったかもしれないけれど、それを何回か繰り返すうちに掌

          退化を楽しむ、ということ

          不自由だからこそ

          人間とは本来、不自由な生き物だと思う。 少なくとも僕は不自由だ。 同時に、不自由な生き物だからこそ、少しでも自由になりたくて挑戦するのだと思う。 自力で空を飛べないから飛行機を作った。自力で長い距離を泳げないから船を作った。 もっと自由に体を動かしたくて、スポーツの練習をする。 もっと自由に歌ったり楽器を演奏したりしたくて、その練習をする。 数え始めたら、人類の自由への挑戦はキリがない。 自由であることは、美しいと思う。 空を自由に移動するために作られた飛行機の、青空

          不自由だからこそ

          幸運な敗者から、妥協のできない人々へ向けて。

          妥協ができない人々が、僕は好きだ。 付き合わされたら堪ったものじゃないけれど、彼らの挑戦を傍から見ているのは結構好きだ。 それはきっと、高校生の頃の部活動が理由な気がする。 僕の高校時代の部活の戦績は、最高が全国大会でベスト4、最後の夏の戦績が全国大会2回戦敗退だった。僕自身は大した選手ではなかったが、周りのチームメイトが大した選手だったのだと思う。 マイナーな男子ソフトボールという競技の性質を考えても、ぼちぼちよくやった方だと自負している。 それなりに練習していたとも

          幸運な敗者から、妥協のできない人々へ向けて。