幸運な敗者から、妥協のできない人々へ向けて。

妥協ができない人々が、僕は好きだ。
付き合わされたら堪ったものじゃないけれど、彼らの挑戦を傍から見ているのは結構好きだ。

それはきっと、高校生の頃の部活動が理由な気がする。

僕の高校時代の部活の戦績は、最高が全国大会でベスト4、最後の夏の戦績が全国大会2回戦敗退だった。僕自身は大した選手ではなかったが、周りのチームメイトが大した選手だったのだと思う。

マイナーな男子ソフトボールという競技の性質を考えても、ぼちぼちよくやった方だと自負している。
それなりに練習していたとも思う。オフなんて月に1日か2日くらいだったし、練習時間もかなり長かった。毎日のように怒鳴られるのは辛かったし、強豪校で試合に出るというプレッシャーを勝手に感じまくって潰れそうになりながらもやり通した。

強豪には良い選手が集まる。また、それほどでもない選手も良い選手に引っ張られて上手くなっていく。

僕はそこで、「妥協のできない人たち」と出会った。
上手い選手や「すごい」と思わせる選手たちに共通していたのは、「やり始めたらできるようになるまで突っ走ってしまう」ことだったと思う。

「これができるようになりたい」「こうしたらもっと上手くいくのでは?」「なんかこれ楽しい」とか、思ったが最後、自分の中で納得いくまでそれを練習し続けてしまう。全体練習が終わった後、ひたすら2時間も3時間も同じような打球を打ってもらって追いかけ続けたり、苦手なコースのボールを打ち続けたり。

僕は彼らほどソフトボールにのめり込めはしなかったけど、彼らの時に若干の狂気すら感じる挑戦をもっと見ていたい、という思いもあってそれなりに必死で練習した。

普通の人が80点で満足するところを彼らは100点、120点を狙いにいってしまうし、それで気づいたら日が暮れていようと、「あの先輩にはついて行けないよな」とか言われようと、彼らには関係ないのだ。

僕が家のベッドで寝たりマンガを読んでいたりしたい時間…普通の人なら大切にしたいような趣味や家族との時間も、彼らはソフトボールがしたくてたまらないのだ。

そんな人たちを、僕は高校の部活で初めて見たし、最初はちょっと引いた。
ただ、彼らのそんな毎日の挑戦がすこし羨ましくもあり、面白くもあり、思わずついて行ってしまった。

その過程でプレッシャーと戦ったり、ちょっとソフトボールを嫌いになりかけたりもしたけれど、それでも彼らの挑戦と成長を最前線で見たくて、しがみついてしまった。

最後の全国大会で負けたとき、自然と涙は出なかった。というか泣いている三年生は殆どいなかった。
「ついに終わったか…」という感じでもあり、
「こんだけ頑張っても敵わない相手が全国にはたくさんいるんだなぁ。」という感じでもあった。

負けてもあまり悔いが残らなかったというか、そんなに悔しくなかった、というか。
あれだけやって負けたなら仕方ないね。くらいに思っていた。

今になって確かに言えることが一つある。

僕は幸運な敗者だったということだ。

ちゃんと試合が出来て、ちゃんと負けた。誰も泣かずに、誰も謝らずに終わることができた。

いくら頑張っても、負けるときはあっさり負けてしまうという勝負の厳しさを知り、受け入れることができた。

それは紛れもなく、「妥協のできない人たち」についていって、これだけ頑張ったら負けても仕方ない、と思えるレベルまで妥協なく取り組むことができたからだ。
あの学校で彼らと出会えたこと、彼らと戦い、最後には負けたこと。それらは実に幸運だったと思う。

彼らが今も強豪クラブでソフトボールを追求し続けているのなら、僕もせめて、趣味であるこのnote(文章を書くこと)や、本を読むことに関してくらいは、いつまでも満足しないで取り組めたらいいな、と思う。

そんな風に思わせてくれるような彼らの愚直さを、僕は愛している。

妥協ができない人々が、僕は好きだ。

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