何枚かの「板」の話

友人から勤め先の会社が潰れるらしい、とlineが来た。

その後に電話もしたのだが、やっぱり潰れるのは濃厚らしい。大変失礼ながら電話口で大笑いしてしまった。いや、だって面白いじゃん。勤め先の会社が潰れるとか。僕ならすぐTwitterに載せるし、いつこの話をリアルの友人に披露するか楽しみになってしまう。

友人も笑っていた。いや、だって面白いじゃん。ウケんね。とのことだった。

いやいや他人ごとではない。僕だって従業員20人そこそこの零細企業の平社員だ。明日は我が身かもしれない、と考えると不安にならなくもない。が、別に明日会社が潰れたとして、僕はめちゃくちゃ焦りこそするかもしれないが、まぁ笑うだろうし、とりあえずツイートのネタにするだろう。それで絶望することはない。

それは僕や友人が今乗っている「板」の厚さだったり枚数だったりのおかげだ、となんとなく思う。

ここで言う「板」とは、いわゆる「寄る辺」みたいなものだと思ってほしい。あるいは、生きていく術、的な何かだ。その板が厚くて枚数が多いほど安全に生き残っていける可能性が上がる。

しかしだ。改めて考えると僕が持つその「板」は意外と脆くて薄くて、しかもそんなに枚数も無いのでは?と思う。

ざっと考えてみたが、僕が持つ「板」は

「若さと健康」「会社と仕事」「実家」くらいのものだ。そして「若さと健康」と「会社と仕事」はほぼ2枚で1枚の板だ。どちらかを踏み抜いて割ってしまえば間もなくもう片方も割れてしまう。

僕が今の会社に存在していられる理由は、とりあえず若くて健康だから。その間に会社の役に立つスキルを身に着けて、まぁ後々目に見える形で貢献できるようになってほしい、という期待はされていると思う。つまりここでデカいケガや病気を患ってしまえば会社にとって僕の存在価値はゼロになるし、肩を叩かれても仕方ない、というわけだ。

逆もまた然り。とりあえず今は会社があるからお金がもらえる=今のアパートに住める&ご飯を食べられる=健康でいられるけど、友人みたいに会社がいきなり潰れたら今の生活は続けられないだろうと思う。

そうなれば当然最後の「板」である実家を頼ることになるわけだが…実家だって時限式の板だ。両親が現役で働けているうちはいいかもしれないが、そのあとは?と考えるとやっぱりその板の上に乗ることはできない。(というか乗れると考えて行動するのはリスクが高すぎる)

今、足を乗せている板のどれかをうっかり踏み抜いてしまった時、僕はどうなる?踏み抜いてしまった時に、今みたいに伝染病が大規模流行していたり、災害が起きたりしていない保証がどこにある?実家が戻れる状態である保証がどこにある?

と考えると途端に心もとないというか、やはり現実はままならないなぁ、という思いがする。

ひとしきり笑ったはいいけど、自分が乗ってる板の薄さと枚数の少なさに、ちょこっと背筋が冷えたね。という話でした。


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