今は、お腹いっぱいなんだよ。

好きなことに縛られる、ということが往々にしてあると思う。
コレ好きなはずなんだけどなぁ。何だか今日はそんな気分じゃないんだよなぁ…という日が誰にでも、何にでもあるはずだ。

絵を描くことや読書をすること、スポーツをすること。あるいは好きなものを食べること…
人間、「好きなこと」ならいくらでも頑張れるというか、いくらでもできると考えてしまいがちだ。

だが残念ながらそんなことはない。いくら好きなことでも人間の体力には限りがある。
僕はこれを「お腹一杯な状態」だと思っている。

いくら好きなものでもお腹いっぱいな時には食べられない(そうでなくても美味しくは食べられない)のと同じで、「そんな気分じゃないなぁ…」という時にはいくら好きなことでも頑張れないことがあるのだ。

厄介なのは好きであればあるほど、それが認識しにくいことにあると思う。
割とどうでもいいことや、嫌いなこと…例えば仕事や学校の宿題が頑張れなくても、あまり自己嫌悪に陥るというか、自信を失うことはあまりない。

ただこれが好きなことになると途端に不安になる。食べることなら物理的な満腹感を感じるから「これ以上は食べられないな」と理解できるのだが、絵を描くとか読書をするとか、スポーツをするとか、そういった趣味や好きなことになると、満腹感のような分かりやすいサインが無いので必要以上に戸惑ってしまう。

更に言うと、「好きなことなのに頑張れない」「好きなことなのにやる気が起きない」というのは、想像以上に自分が不安になるし、他者の理解を得にくい気がする。

「自分がやりたいって言ったことなんだから頑張りなさい」とか「自分が行きたいって言った学校なんだから頑張りなさい」とか、「好きじゃなくなったなら辞めれば?」とか、平気な顔をして言う人が割といるが、その人たちは毎日好物の焼肉や寿司が出てきても平気なのだろうか。飽きないし他のものが食べたくなったりしないのだろうか。

一番不安なのは好きなはずなのに何故だかやる気が出ない自分自身だ。
好きなことだろうが自分で決めたことだろうが、「なぜか頑張れない時期」は絶対にある。
だけど好きなことであるほど、「頑張れない自分」の存在を許せなくなってくる、そうなると「自分は本当はコレが好きじゃないのではないか」とか「熱意が足りないのではないか」とか、全然そんなことは無いのにも関わらずまったく的外れな自己分析をしてしまったりする。

「それを好きでいる自分」というものに縛られて、逆に好きなことから目を背けてしまう。

少し離れて待てばいいのに、と思う。少し好きなことから離れて待てば、きっとそのうち、それがしたくてたまらなくなる時期が来る。
お腹いっぱいなら、お腹が空くまで待てばいいのだ。自分も周りも。

今回のコロナ騒動で、色々な人が色々な場面で「好きなことをやりたくてもできない」という状況に置かれた。お腹いっぱい状態の人は少なからず安心したと思うし、それを気に病む必要もないと思う。そうじゃない人は欲求不満気味なことだろう。

どちらもこの機会に「好き」に縛られてお腹いっぱい状態になっている自分や他人を、お腹が空くまで待ってあげる優しさを持てるようになればいいなぁ、と思う。

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