退化を楽しむ、ということ

掌の皮がベロリとめくれていて、結構痛い。
久しぶりにソフトボールクラブの練習が再開したので、結構な回数バットを振った。
200~300球くらいは打ち込んだと思う。終わる頃には掌にマメができて、それが破れて皮がめくれて血が出ていた。

当たり前な話だが結構痛い。僕はマゾヒストでも何でもないので痛いのは嫌いだ。
高校生の頃は毎日この倍は確実にバットを振っていたけど皮なんてめくれなかった。
1年生くらいの頃はそこそこそんなこともあったかもしれないけれど、それを何回か繰り返すうちに掌の皮は厚く硬くなり、そのうち多少振った程度では皮などめくれやしなくなった。

弱くなったなぁ。

痛みを感じる掌を見て改めて思う。掌の皮に限った話ではない。ここ数年、ソフトボールに関して言えば色々なことができなくなった。張り切ってたくさんバットを振れば皮が破れる。
足もずいぶん遅くなった。目もあの頃より悪くなっている。ボールに対する勘も年々鈍ってきた。

25歳にして、色々な部分がだんだん退化してきている。

クラブチームの先輩たちにそんなことを話すと「30越すともっとヤバいんだからな!仕事忙しくても運動はしとけ!」と言われた。

この退化は加速度的に訪れるものらしい。まぁ別に構いはしない。僕はプロ選手でもないし、レベルを下げればソフトボールという競技はかなり年齢を重ねても続けられる。

ただ、自分自身で少し驚いているのは、この自分自身の退化というか劣化に対して、あまりネガティブな印象を持っていないということだ。自分の性格上、「これまでできていたことができなくなる」ということに対しては深く絶望することだろうと思っていた。

事実、試合でミスをしたり負けたりしたら結構悔しい。それでも辞めたいという気持ちだけは一向に湧いてこない。

むしろ毎年少しずつ下手くそになっていく自分に対して「面白いなぁ」とすら思っている。
高校生の頃みたいに毎日練習してるわけじゃないし、ジムに通って鍛えているわけでもないんだから下手になっていくのは当たり前だろ、何が面白いんだよ、と思われるかもしれないが、それでも面白い。

正確には、下手になっていく過程で、色々なことができなくなっていく中で、いかに「以前のようにできなくなったからこそ、他の事ができるようになった」ことに気付くことができるようになった。それが楽しい。

ミスをしないこと、完璧に近いプレーを追求していたのは高校生の頃だ。その頃はその頃で色々なことができた。今よりずっと早く走れたし、いくら練習しても一晩寝たら元気になっていたし、一つ一つの動きの質は今とは比べ物にならない。

それらは今となっては既に失われてしまったけど、そんなに惜しいとは思わない。その代わりに、少しずつ下手になっていっていること、だから自分はミスをすること、それは当たり前で、他の人もそうだということに気付くことができた。

自分も他人も少しずつ下手になっていく。だからミスも出る。だったらどうしたらいいのか。ミスを前提にして動く。一つ一つのミスに対して真剣に受け止めすぎない。常に次を考えて楽しむ。「昔できたことができなくなったおかげで」新しいことができるようになった。

やっぱりソフトボールは面白いなぁ、と思う。

手のひらの皮が剥ける。足が遅くなる。下手になっていく。なのにこれだけの新しい発見を僕にくれる。

痛いのは嫌いだ。苦しいのも、しんどいのも、キツイのも嫌いだ。
それでも、こんなふうに新たな気付きを与えてくれるのなら、それもたまには悪くはないかもしれない。まだヒリヒリと痛む掌を見て、そんなことを考えた。

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