不自由だからこそ

人間とは本来、不自由な生き物だと思う。
少なくとも僕は不自由だ。

同時に、不自由な生き物だからこそ、少しでも自由になりたくて挑戦するのだと思う。

自力で空を飛べないから飛行機を作った。自力で長い距離を泳げないから船を作った。
もっと自由に体を動かしたくて、スポーツの練習をする。
もっと自由に歌ったり楽器を演奏したりしたくて、その練習をする。
数え始めたら、人類の自由への挑戦はキリがない。

自由であることは、美しいと思う。

空を自由に移動するために作られた飛行機の、青空によく映える白い機体も。
白い波を立てて海を進む船の勇ましさも。
限界まで鍛え上げられたスポーツ選手の一つ一つの挙動も。
大好きな歌手の歌声や、丁寧に作りあげられた音色も。

その全てが美しいと思う。

好きなものや、憧れているものに対する自由や理想への強い意志と努力が、作られたものや彼ら自身の動きや声や音色から滲み出ている。
とても美しくて羨ましいと思う。

その一つ一つの美しさに触れるたびに、僕は僕自身の不自由を実感する。
僕が美しいと感じるものを見つけた時、それらはそれぞれに別の美しさを湛えていて、それぞれの形の感動を僕に与えてくれたのに、「美しい」以上の言葉が見当たらない。

「美しい」「綺麗だ」それだけの言葉では足りない気がする。でもそれ以上の言葉が見当たらない。言葉にしようとするのがもどかしい。
彼らの美しさを、彼らが与えてくれた感動を、一瞬で言い表す言葉の自由と美しさが僕は欲しい。

自由であることが持つ美しさや与えてくれる感動を言い表すための言葉が不自由だ。
もっと自由に表現したい。少しでも正確に感じたことを言葉にしたい。

僕の表現も挑戦を積み重ねることで、彼らのような自由と美しさを得ることができるだろうか。少しでも近づけたらいいと思う。

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