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地理旅#4「インド編③~死を想え」

街を泳ぐ

ヴァラナシに到着するや否や、広がる光景に笑うしかなかった。8月のインド北部はモンスーンの影響で雨季とは言え、何事もないかのように生活している人々に、かえって拍子抜けする。トゥクトゥクのドライバーは、この街ではしょっちゅう起こることだよ、と笑ってみせた。

旧市街に着くと、石畳の細い路地が迷路のように広がっている。ただでさえ狭い道で牛は幅を利かせ、猿は電線や窓の格子を伝い、角を曲がった瞬間に野犬が吠えてくる。

すると、10代後半ぐらいの青年が「トモダチ〜トモダチ〜」と日本語で話しかけてきた。何やら、日本に親族が住んでいるとかで、日本語がちょっとできるからガイドしてくれるのだという。

この街に着くまでにも、何度となく彼らの商売気質は堪能したので断ろうかと思ったが、いかんせん野犬が怖すぎるのと、ドブ水と牛の糞で溢れ返る街を歩くことに疲れていたので、着いていくことにした。とはいえ、ガイド代をハッキリさせないと後々メンドくさいので、予め値段交渉することに。

僕と、一緒に旅している友達とを交互に指さしながら、「フレンド!トンティー!トンティー!」と言っている。

・・・トンティーって何だ・・・。

しばらくして、「Twenty(20ルピー、約30円)」と言っていることが判明した。おお、友情価格。ハロー、マイフレンド!君の堂々っぷりを見ていると、僕は英語にする恥じらいがなくなったよ!

「この洪水、ひどいねぇ・・・」

僕がつぶやくと、マイフレンド君は、人々がゴミを家から外に投げ捨てることが原因だと説明してくれた。そして、ゴミを捨てるのは「カースト」のせいでもあると、表情を変えずに言った。

ヴァラナシは、8月の降水量こそ東京と大差ないが、上下水道のインフラが十分に整っていないことに加え、なんと洪水にはカーストが関係しているという。インド人に対してカーストの話はご法度と心得ていたので、まさかマイフレンド君の口からその言葉が出てくると思わずに、返す言葉が見当たらなかった。

カースト制度(ヴァルナ)(「世界の歴史マップ」より引用)

ヒンドゥー教にはバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラのカースト(ヴァルナ)、そしてその外側にアチュート(不可触民)がいることはよく知られている。しかし、その階層構造はさらに複雑で、2000を超えるジャーティと呼ばれる職業集団に細分化されて、異なるジャーティとの婚姻は原則的に禁じられ、職業は代々世襲されてきた。

カーストは、身分差別として今から半世紀以上前から憲法で禁止されてきた。しかし、人々の慣習には未だに色濃く残り、多様なジャーティ集団による「分業」によって、インド社会は維持されてきた側面もある。

「不浄」とされる清掃業の人たちの仕事を奪ってはいけないからと考える人も未だに一定数いるようで、それでポイ捨てが正当化されているとか。一方、洪水が起きると真っ先に被害を受けるのは身分が低い人たちで、負の構造が連鎖しているようにも見えた。

聖なるカオス

ガンガー(ガンジス河)の水はこの世でもっとも清らかで、
あらゆる罪が洗い流される。

ガンガーには、歯磨きをしている人、洗濯している人、用を足している人、そして涙を流しながら沐浴する人々・・・インド人にとっての「清らか」の定義を聴いてみたい。

輪廻転生を信じるヒンドゥー教徒は、聖なる河・ガンガーの岸辺で火葬されたあと、遺灰を川に流してもらうことが無上の喜びだと言う。つまり、インド人口の8割を占めるヒンドゥー教徒、約10億人が憧れる「死」の聖地でもあるのだ。

なお、費用が払えない貧困者や、赤ちゃん、妊婦などは、火葬されないまま遺体を流している。また、付近の工場から有害物質も流れ込んでおり、まさにカオス(混沌)以外の何物でもなかった。

僕らも早速ガートに行き、身を清めることした。近くにいるオッサンたちが、身振り手振りで「作法」を教えてくれる。

階段を降りるたび、底に溜まった「グニャッとした何か」に足を取られそうになる。ああ、これが聖なる河。水温は案外ちょうどよく、じっとりした気候の中で気持ち良い世界。教えてもらった作法を済ませてから、意を決して頭の先まで浸かると、今までの人生が走馬灯に蘇る・・・ような余裕はなく、ホテルでシャワーを浴びに浴びまくって、身を清めた。

ちなみに、ヴァラナシで会った日本人にはお腹を下した人や入院した人もいたので、決してオススメはしない。

オッサンたちは、声を上げてゲラゲラ笑っていた。


死を想え

死を待つ人の家

僕らは、マイフレンド君に連れられ、ガンガーの畔(ほとり)に立つ「死を待つ人の家」へやってきた。そこでは、白い粉を全身に塗った「サドゥー」と呼ばれる裸同然のヒンドゥー修行僧や、死を待つ老婆たちが横たわっていた。マイフレンド君は、「この神聖なる老婆に祈ってもらえ!」と、強制的に僕らを座らせた。老婆は、静かに僕の頭を撫でまわし、何かを唱えている。

ひと段落してお礼を言うと、マイフレンド君はお布施をするようにすごい剣幕で迫ってきた。いくらだ?と聞くと、2,000ルピー(約3,000円)と抜かしてきた。いやいや、そんなん聞いてない!というか、頼んでないし!お互い拙すぎる英語ボクシング、泥仕合いを始めて20分は経っただろうか。まったく折れない強靭なメンタルのマイフレンド君に根負けして、僕は2,000ルピーを支払うことにした。

こういうシステムなのね。サンキュー、マイフレンド。君の堂々っぷりに、僕は英語で議論することに勇気をもらったよ!

気を取り直して、マイフレンド君に案内され、心の準備が追いつく前に火葬場に到着した。あたりには、何本もの煙が上がっている。

死を弔う人々に混じり、どれくらいの時間が経っただろうか。その場に立ち尽くしていると、屍がゆっくりと遺灰と化していく様子が見て取れた。イヤな臭いがするのかと思ったが、それよりも熱くて熱くて、全身ヤケドするのではないかと思った。それでも、僕はその場から一歩たりとも動くことができなかった。体中に管を通されて延命されることよりも、よっぽど生命の尊厳を感じ、自然な姿に思えた。

メメント・モリ。死を想え。

生まれて初めて「死」を目の前にして、恐怖ではなく、落ち着き払った穏やかな気持ちになった。モノに恵まれ、安全を脅かされない日本で生活していると、わざわざ生きることを想い起こすことはない。でも、本当は誰にとっても死は避けては通れないこと。「死」を想うことで、「生」を感じたのであった。僕は、もっと生きなければいけない。

どれだけ世界が変わろうとも、ガンガーは数千年もの間、今も変わらず人々の聖地で在り続けている。



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