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No.6 人生に意味を見出していくのが、人生。 バイト日記、音楽について、「氷点」「ショーシャンクの空に」「イエスタデイ」

*雑念日記(大学生の)
ーバイト日記/ ニーチェの哲学/アパレル業界/私たちはいつから、音楽を聴くのではなく消費するようになったのか
*今週の読書
ー 氷点 下
*今週の映画
ー ショーシャンクの空に/イエスタデイ
*的をかすめる人生相談
ー 今回はナシ!
*その他、、、
では、どうぞ ( ´ ▽ ` )ノ


雑念日記(大学生の)

♦いかにして、しんどい事を率先して先に済ませておくかによって、閉店業務(バイトの)にかかる時間が全く違う。ついこないだ、メンバー数は同じだったんだけど、終わった時間が30分も早かった時があった。

今まで、絶対に決められた終業時間を5~15分くらいオーバーしていたことからすると、とても革命的な出来事。もちろん、客足がいつもより少なかったという事もあるけれど、それを踏まえたとしても素晴らしい速さ😆

徐々にバイトというものにも慣れてきて、その分色んなことを考える余裕も生まれてきている。僕が主にしているのはキッチン業務なので、当然洗い物をする機会もあるんだけど、もし自分が客の立場だった時に、どういう食べ方をした方が洗う人が楽になるのか?という事を時々考える。

まず、一番幻滅するのは茶碗にご飯粒がめっちゃついてるもの。下記のイラスト参照。

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そもそも、普段ご飯を食べる時にご飯粒を残すことは無いんだけど、洗う側になってより一層、ご飯粒は最後の一粒までしっかり食べきろうと思う。ご飯だけじゃなくて色んなおかずにしろ、汁物にしろ、多少なりとも残っていると、イチイチ生ごみとしてわける過程を踏まないといけなくて、ひと手間がかかるんよね。


頼んだ料理は残さない。逆に、食べきれない量の料理は頼まない。


当たり前っちゃ当たり前だけど、改めてこの言葉の大切さを、洗い物をするという立場からも考えることができた。


♦先日、約2週間コミットしていた英語のラジオショー作りのアクティビティが完結しました。オンライン上で、海外の大学に通う学生と企画を練っていく中で、色々な苦難や学びがありました。

まず、時差です。時差の関係でプログラムは日本時間の早朝に行われました。朝があまり得意ではない僕からすると、起きるだけでも一苦労😓   まぁ、これは2・3日経つと慣れたので、あまり問題にはならなかった。人間の慣れの凄さを実感しましたね~!

グループのメンバーはかなりユニークでしたっ!

1人は、同じ大学に通うドラゴンボールが超好きな人。あんまり積極的にぐいぐい意見を出すタイプの人じゃなかったので、僕の方から具体的な質問をしたりして意見を色々引き出していきました。で、結構的を突いた意見をくれるので、awesome でした!
1人は、カナダの大学に通う人。めっちゃフレンドリーな方だけど、赤髪と黒髪のハーフアンドハーフみたいな髪型で、初顔合わせの時はCoolやなぁと思ってたけど、心はめっちゃWarmでした。

私たちがしたラジオショーのテーマはアニメという事もあって、簡単に意気投合。アニメの国境を超える凄さをしみじみと感じる。

オンラインでのコミュニケーション・英語でのコミュニケーションとダブルでコミュニケーションがしづらい条件の中でのグループワークでしたが、去年からの慣れもあってか、意外とスムーズにいきました~


♦【ニーチェの哲学】
つまるところ、ただひたすら現状に文句だけを言って、安心しているようでは何も変わらないし、無駄な営み。なんか文句あるなら努力して力をつけて、自分なりの道徳を貫けるように頑張れや!ってこと。そういう人らを超人と言うらしい。超人になるには、周りの価値基準というステレオタイプに惑わされないように孤独を怖がってはいけない、か。。


♦アパレル業界ってまじで、資本主義が生み出してしまった悪しきものの象徴でもあるよな。オーダーメイドで作るよりも、たくさん作って、たくさん売って、たくさん売れ残って、たくさん廃棄したほうが結局は企業の利益、つまるところ資本主義という物差しにおいては成功とされてしまう。そろそろ変えないといけないようなこの風潮は。

仮に2か月前から服を作り出すとして、冬が暖かくなってコートが売れなくなる可能性もあるし、冬が予想以上に寒くなってコートがバカ売れする可能性もある。この振れ幅を予測することは困難で会って生産者にも消費者にとっても良い結論として、予め大量に作っても費用が押さえれる制度が優遇されてしまう。



私たちはいつから、音楽を聴くのではなく消費するようになったのか

という事を、時たま考える。音楽をジャンクフードのように、それ自体がメインでは無くてあくまで、欲求を満たすための二次的なものとして味わっているように感じる昨今の流れ。確かに街に出てみると、イヤホンを両耳につけながら歩いている人や電車に乗っている人、勉強をしている人など多くの場面で音楽を楽しんでいるであろう人を見かける。

一体、私たちは音楽のみを楽しんでいるのだろうか?それとも、音楽はあくまで副菜的な役割で、何か他の行動のお供として楽しんでいるのだろうか?

昔は音楽を聴くということはCDやラジカセをよっこいせッと持ってきて、何回も何回も同じ音楽をスルメのように味わい尽くすような体験だったのではないだろうか?現在は、非常に多種多様な多くの、いや多すぎるほどの音楽が存在し、音楽配信サービスも充実し、以前よりもより身近に音楽を堪能できる環境がある。それによってなのか、一曲一曲に対する思い入れ、アーティストへのこだわりのようなものが薄れてしまっているのではないだろうか?

音楽を聴くのではなく、消費するようになってしまった。ふと、音楽を音楽のみとして味わっている際に寂しくなってしまった。


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唐突な可愛い画像っ!!😳
集中力高めるには良いらしいっすよ~

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今週の読書

♦氷点 下

「原罪」をテーマにして、とある家族を描いていく長編小説。

それぞれが原罪・法的に罪には問われないけれども、倫理的には良くないことを犯す。そのズレによってお互いがお互いを信用しなくなり、表面的には良い家族を演じていても心の中では探り合っている。最初は小さなズレだと思っていても時が経つにつれて、取り返しのつかないこととなり、何の罪もない潔白な1人の少女を追い詰めてしまう。

物語の中で、ちょくちょく出てくる「赦し」という言葉。やはり人は過ちを犯してしまった場合、それを正直に他者に打ち明けることはなく、最終的に神という超越した存在に赦しを乞うのだろうか?そもそも、人に言えないほどの過ちを犯すこと自体、罪を背負うのに値するが、今こうやって生きている僕でさえも、そのような過ちを今後一切犯すことは無いとは言い切れない。

仮に、離島で1人暮らしているとすると、罪を犯すことは皆無なのかもしれないが、社会という人と人とが集まってできている異様な空間においては、一体全体何が起こるのか、誰にもわかり得ない。ちょっとした言葉が、人々を動かすほどの多大な影響力を持ってしまったり、自分が意図したように受け取ってもらえずに、距離を置いてしまったり、、人というのは考えることが許されている分、余計なことまで考えてしまって素直に生きることが難しい生き物である

アリというのは非常によくできた生き物だと思う。遺伝子的に決められた行動に従っていれば、争いが起きることはそうそうなく、全員が全体の利益の為にあくせくと働く。誰か一人が独占することは無く、欲というものもあまり感じられない。その分、技術の進歩などは決してなく、変化のないモノトーンの生活を営んでいる。

人間というのは考えることができるため、映画や本、美術、音楽などの時間を豊かにしてくれるものを生み出すことができ、それぞれがそれぞれにあった人生を過ごす余裕が存在する。

どちらが良いのか?という事に結論は出ないだろう。僕は人間しか経験していないから。

どうして人間は素直になれないのか?いやむしろ、素直になることは良い事なのか?と思わされる作品でした。


~~  以下、気になった文をピックアップ  ~~

(上)
夏枝はやはり夫の啓造が一番頼りであった。それは啓造に対する愛というよりは、むしろ利己的なものであった。しかし夏枝はそれを愛だと信じていた。
(下)
・大人の中には意地の悪い人もあるのではないかと思います。でもわたくしたちは、その意地悪に負けてはならないと思います。どんな意地悪をされても困らないぞという意気込みが大切だと思うのです。泣かせようとする人の前で泣いては負けになります。
・このごろ、鏡をのぞきこむ度に意識するのは、陽子の若さと美しさであった。十五歳の陽子に、四十二歳の自分を較べる滑稽さに夏枝は気づかない。
・社会が複雑になればなるほど、個人の人格も価値も無視される。その人間でなければならない分野はせばめられて行くだけなのだ。
・神はこの世を愛して下さったと書いてあったが、ほんとうに神は人々を愛しているのだろうか
・原罪
・信頼し合ったことさえ、悲劇になることもある。

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今週の映画

♦ショーシャンクの空に

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僕個人的にすごく面白くて良い映画でした!今後生きていくうえで、絶対記憶に残りつづけるほどです。

1994年に公開のアメリカ映画。不倫をした妻を殺害したとして終身刑として逮捕される主人公で元敏腕銀行員のドゥフレーン。無実を訴えるも最終的に刑務所に投獄されてしまう。そこで、同じく殺人の罪で投獄されているレッドと出会う。彼の仲間たちとともに、刑務所内で長い年月をかけて作り上げていく人間関係やかけがえのない日々。刑務官や刑務所長の不正な行いや他の投獄者たちの暴力に耐えながら、希望の光を見失わずにどこか遠くを見据えるドゥフレーン。

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刑務所内の重罪を犯した人たちであるということは置いといて、、男同士の純粋で温かみのある絆や支え合いは、見ていてとても爽やかでした。例えば、刑期50年になる友人の1人が仮釈放として出所することになった際、彼はシャバに出ることを恐れて、その苛立ちを仲間に向けてしまう。がしかし、彼の仲間たちはそれについて、ただその行動を評価するのではなく、どうして彼がそんな行動を取ったのか?50年も塀に囲まれて生活をしていたら、恐れるのは当然なのではないか?としっかり寄り添ってあげる描写がなされていて、良いなぁ~~と思いました😊


映画を見て、主人公や登場人物に自分自身を投影することはめったにないけれど、本作においては主人公のドゥフレーンに自己を投影していた。。

この映画を見終わった後に残ったしこりとして、主人公のドゥフレーンは本当に妻を殺害したのか、それとも冤罪だったのかが明確になっていないこと。もちろん、ドゥフレーン自身はしていないと否認し続けているんだけど、実際のところどうなのかは明らかにされていない。ただ、プロポーズをした場所をシャバに出た後の親友のレッドと待ち合わせをする場所として、使っていたところから見ると、彼は無実だったと思うんだよね。

「夜と霧」という小説を読んで感じたことと同じことを本作においても感じました。「なぜ生きるかを知っている者はどんなことにも耐えうる」ということです。


本作の主人公みたいに、確固たる自我を持ちながら、生きる渋い男性になりたいんだよなぁ、まじで


♦イエスタデイ

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ある日、世界中で停電が起きるという珍事が発生。その停電の影響からか、少数の人たちを除いて全世界の人が「ビートルズ」というアーティストの存在を忘れ、当然彼らの曲も忘れる。

そんな中、売れないシンガーソングミュージシャンのジャックは、その事実に気づいて、何とかして世界中の人にビートルズの曲を届けたい、自分も活躍したいという思いでビートルズの名曲をレコーディングし始める。しかし、その音楽は完コピでは無くやはりビートルズしか作れない素晴らしいものには及ばないが、曲自体の魅力からか、ジャックはどんどん有名になっていく。

有名になっていくことで、富や名声といったものは手に入るが、一方で最愛の彼女やジャック自信が求めていた幸せは程遠いものになっていってしまう

僕自身この葛藤に悩むことが時々ある。

「幸せになる秘訣を知りたいか。愛する女に愛を伝え、ウソをつかずに生きることだ」 ジョンレノン

という一節が映画中に登場する。結果的にこの助言によって主人公は有名なアーティストになって富と名声を手に入れるのではなくて、最愛の妻と一緒に生活することを選択するのだけど、それはそうとして「ウソをつかずに生きることだ」というのはなるほど、難しい。


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的をかすめる人生相談


僕はまだ、人生経験も豊富で無く考えも未熟なところ大アリだけど、また神様でもなく学者でもないけれど、、ほんの少しでも読者の方に楽な気持ちになってもらえればということで、質問コーナーをやります。僕の回答はもちろんの事、質問を考える上で今抱えている悩みをまとめるという作業自体に、とても意義があると思います!できるだけ、回答していくつもりなので、気軽に下記のリンクからお申し付けを(´▽`)


今週はお休みです😴


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おわりに

的をかすめる人生相談のコーナーでは、相談以外でも、感想、要望、何でも受け付けております。特に期限は設けていないので、数週間前の投稿に言及することもあります!できるだけまんべんなくお答えしていくつもりですが、他の読者が読んで不快に感じるような内容については回答を控えさせていただくことがあります。下記のリンクからお申し付けを(´▽`)😊

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ではでは~また来週に😊

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