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No.21 10年後の君へ 成人式/ゴミの分別について/ハワイ/握手/教習/就職/バットマン ビギンズ/ダークナイト/ダークナイト ライジング/呪術廻戦0/コンスタンティン/シャッターアイランド

*雑念日記(大学生の)
ー 成人式/ゴミの分別について/ハワイ/握手/教習/就職
*今週の読書
ー おやすみ
*今週の映画
ー バットマン ビギンズ/ダークナイト/ダークナイト ライジング/呪術廻戦0/コンスタンティン/シャッターアイランド
*その他、、、
では、どうぞ ( ´ ▽ ` )ノ


雑念日記(大学生の)


♦成人式に行った。当初は行くつもりが本気で無かった。しかし、誘われたので渋々(と言いながら)、少しだけワクワクした面持ちで迎えた。

高校の時、成人式の話題を一緒に共有した唯一の女性がいたんだけど、成人式が終わった今心残りなのはその人と会えなかったこと。うん。正確に言うとその人らしき人はチラッと通りすがりに見たんだけど、戻って声を掛けようというワンステップを踏み出さなかった。出せなかった。割と仲良くしてたはずなのに、今になってみると距離感があるように思う。僕が変わったからか、彼女が変わっていることを受け入れたくないのか。

その時、そのチャンスを掴もうとしなかったことを悔やんでも仕方ないから、あんまり気にしないようにするしかないんだが。気にしないでおこうとすればするほど、頭の片隅で考えてしまっている。恋愛感情かどうかは自分でもわからないが、少し違う感じはある。

とか非モテコミットを発動させてしまった一面を持っていながら、他人には「今しかないんだから、行けよ!!」と励ます自分がいるという矛盾。

♦久しぶりにlineの通知が2桁いっているんだけど、2桁を超えてくると急に返信をするのに気が進まなくなるな。これは不思議。返しても返しても、2桁から減らないこの感じ。別に、メッセージのやり取りをするのが嫌という訳じゃないんだけど、、lineを開くこと自体に抵抗を抱いている。


♦ゴミの分別について

食べ物のごみを見ていると、「俺が買ったものなんだから、別に食べかけで捨てようが俺の勝手だろう」っていう傲慢(ごうまん)さみたいなものを感じるんですね。結局、いまは「顔の見えない社会」が作られているんだろうなって思うようになりました。
お金持ちにも「上中下」があると思いますけど、「上の上」はすごいですよ。本当に住んでいるのかっていうくらい少ない。普通の地域ではよく出る発泡酒やチューハイの缶は少なくて、木の箱に入ったようなワインのビンがちょっと出るみたいな。自分の認めたもの以外は買わないような感じを受けました。そこで決めたんです。お金持ちのごみをまねてめちゃくちゃ少なくしてやろう。そうすれば自分もお金持ちになれるんじゃないかってね。


♦「世界はほしいモノにあふれている」 新春ハワイ編!🌺

やっぱりいいね。うん。世界各地の現地に根差した映像を見れる貴重な番組。

ハワイはもとより、海外に一度も行ったことが無いけど映像だけでも堪能したいなぁという気持ちでいつも見てる。人間の尊厳を保ちながら自然と調和しながら動物を尊重しながら生きている感。これ大切。こんな暮らしをしたい。プロジェクター付きの家で。


めっちゃまとめてくれてるサイト見つけた。

https://honeylemonspice.com/hoshi-hawaii-3/


♦握手について色々調べていた。


握手の様子を観察してみると、2者がどのような関係性にあるかが伺える。握手をする際にその手を自分の体の方向にスライドさせたとすると、そのスライドさせた方がより権力を持っていることを暗示する。こういうちょっとしたボディランゲージをトランプは意識してなのか、頻繁に行っていたんだな。

握手はその他にも、力加減や手の差し出し方、上からか下からか、長さ、握手中の動作など色々な仕掛けができそうな、それでいて簡単なファーストボディタッチの要素であるから、研究しがいがありそう。

握手してない方の手で軽く相手の肘にタッチする人がいるんだけど、何の意味があるんだろうか?

♦ポリグラフ検査を受けてみたが、その信頼性に驚かされた。

♦自動車教習開始。MT制覇を目指す。しかし、まぁミッションを選んだは良いものの、クラッチだっけ?アクセルとブレーキ以外に3番目の刺客が足元に存在することによってめちゃくちゃ混乱した。初回だから尚更。マリオカート気分で行こうと思ってたもん。マリオカートもアクセルとブレーキしかないもん。クラッチってなんやねん!ってとこから始まった。

クラッチ操作がややこしすぎて、運転の方にあんまり意識が回らなかった。運転の方に難しさは感じなかったものの、初回ながらクラッチ操作で挫折しかけているのである。。車に乗ってる人、ミッションを操作してる人凄いなぁ。

YouTubeをサクッと調べてみたらかなり有効な情報が盛りだくさんなので、恵まれてるなぁと思った🤣 がんばろ。


♦夢分析
初めて夢が眠りを助長するものということを体験した。目覚まし時計がずっとなっていた。そして夢の中でも同じ音が流れていた。
夢の中で僕は何かの出し物を見ていた。登場人物は高校生の友人たち。そして、僕は自分の出番を待ちながら手に時計?のようなものを持っていた。
本来なら押したら音が鳴りやむはずのボタンを押してもなぜか音は止まらない。焦り始め、時計を解体し始める。中の構造を見て、音に繋がっているであろう配線を切ろうとする
しかし、切ろうとしたら電気がビリビリと手に流れてきた。しかたなく、諦めた。そんな時に、目覚めた。


♦なぜ就職してはいけないのか教えてやるよ

おかしいよね。何も考えずに、気づいたら高校・大学・社会人と進んでいく人生。何で何も考えなくて良いのか?それは支配者層がそうさせてるからで、その軌道上に乗れば安全。みんながやってるから安全という架空のルールが設定されているからだよな。

これからどのように働いていくのか。しっかりと考えないといけないな。


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唐突な可愛い画像っ!!😳
集中力高めるには良いらしいっすよ~


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今週の読書

おやすみ


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今週の映画

♦呪術廻戦 0

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アニメで追ってた勢。アニメで出てきた脇役キャラクター達の戦闘シーンが盛り込まれていたり、乙骨くんのキャラクターがしっかりと立っていたり、呪術廻戦の世界観が好きな僕からすると面白かった!「愛ほど歪んだ呪いはないよ」というセリフをそのまま体現したかのような里香ちゃんの呪いのルックス。気味の悪さ。それをいなすイケメン乙骨。


通常、エンドロールが流れ始めたら帰り始める客がポツポツと現れるんだけど、本作ではエンドロールが流れても誰も帰ろうとせず曲に酔いしれていた。スクリーンには制作に関わった方々の名前が流れている状態。凄いなぁと思った。しかも、エンドロールで2曲流れていたのに。

多くの人が思い返す場所、学校や病院には怨霊が溜まりやすく、溜まっていった怨霊が呪いとなって人々に危害を加えるという設定が印象的だった。引き出しの中にめっちゃ呪いが溜まっているシーンとか。なんで引き出しの中にいるんだろうとか考えた。その他にもいろんな色形の呪いが出てきて、この呪いはどんな感情が転じて生まれたものなんだろう。。とか思ったり。愛から生まれる呪いはめちゃくちゃ厄介で、恋から生まれる呪いはめちゃくちゃ弱そう。

「弱い奴ほど群れる。」という真希さんのセリフ。「それは人間にも当てはまる」という付け足し。執拗に呪術師以外の人間のことを「サル」呼ばわりする夏油。

この映画を観る大勢の一般人。観ていて気持ちが良いものでは無いだろうな。そんなことわかってるけど、どうしようもないでしょ、という諦念の感情が生じてしまう。それでも大衆の側に寄り添ってくれる乙骨くんの活躍を観てなんとか自己肯定感を取り戻すことが映画鑑賞後に可能となる。

乙骨くんの制服が白色だったのは「問題児なのでパッとどこにいるか分かるように」ということらしい。こういうちょっとしたユーモアがあるのは好きな要素。


♦シャッターアイランド

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ディカプリオ演じる主人公テディが、シャッターアイランド内で起こる珍事件を解決していくシャーロックホームズ的なストーリーなのかと思っていたところ、観終わってみると全然違う風合いで混乱した。

ミステリーものって、その世界内だけで話が完結して現実に連れ出すことは出来ないから、本作もこれは現実世界においてどのような意味合いを与えてるんだろうかとか考えずに、素直にミステリーを楽しめば良いんじゃないかと思った。

それだけ、自分にとっては映画外の事を考える余裕が無かったとも言える。テディ視点で映画を探検してたから、彼が見るものは正しいという前提を持ってたんだけど、後半で「あれ?もしかして本当のミステリーはテディ自身?」と思い始めたときには、映画でもハッキリとテディはおかしいという流れになっていき、そこからは自分で濃いで船を進めるんじゃなくて波に飲まれるようにラストまで行ってしまった。

[難解映画『シャッターアイランド』を考察してみた|ネタバレあらすじ結末まで解説!](


映画内で論争の的となるロボトミー手術について。これが実際に行われてたこと自体は怖いんだけど、このおかげで脳科学が急速に進歩しただろうし、一概に悪しきことと決めつけるのはできない。また、医療がそれほど進歩してなかった昔において、戦後にPTSDを患った大量の患者を処置せよというのはあまりにも酷であり、仕組みが解明されていない者の、一時的に患者をおとなしくできるロボトミー手術は有効な1つの手立てであっただろう。

[【ゆっくり解説】脳を切断し感情を消す手術-ロボトミー手術-


♦バットマン ビギンズ

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アベンジャーズシリーズやxmenシリーズが好きな僕にとっては、刺さるものがあった本作。バットマン、、かっこいいです😭 バットマンが正義であり、街にはびこる悪を倒していくという至ってシンプルな構図。正義は大変だと思いながら、悪も生まれたいから生まれたのではなく、どこかにある鬱憤が溜まった結果生まれる日常的なものであると感じる。社会の浄化作用を使命とする影の同盟(league of shadow)もマトリックスの機械的な立場で、一概に批判ができない。。**光が強ければ強いほど、影は濃くなる**

結局、悪に傾くのは簡単だけど、いかにして私たちは善人として生きる努力をするかが大切になるんだよと説いてるのが本作。Bat Man が Bad Man にならない事を望む限りである。しかしまぁ、ブルースがしているのは出てきた悪を潰していくことであるが、それと同時に悪が生まれない環境を整備してあげることも大事でしょ。あんなゴッサムシティの中のスラム街を放置してたら、終わらない戦いをしてるようなもん。他方では全焼しても全然平気な面して「また建て直せばいいさ!」と気楽に考えてる人もいる。そりゃ、階級間で恨みや妬みも生まれるよ。価値観があまりにも違いすぎる。暮らしぶりも。そんなスラム街の連中が、「バッドマンは正義の味方!」と喜んで支持する姿がもしあるとするならば、虚しくて仕方ない。無いことを祈る。

**「人の本性は行動で決まる」**


「メメント」や「インセンプション」など謎解き系の映画の印象が強かったクリストファー・ノーラン監督の本作「バットマン ビギンズ」。バットマンに感情移入できるだけブルースの過去がくっきりと描かれ、特に背負っているトラウマを描くことで、「あぁバッドマンにも弱みがあるんだな」と親近感を抱かされる。それによって、観客はバットマンが勝つことを望み、悪が根だやされることを望む。

個人的には影の同盟たちの言っていることは理解できる。人間を放っておくと暴走してしまうため、古代ローマの崩壊やペストの大流行、ロンドン大火などは彼らが意図的に起こしたモノであり、堕落しきった社会をリセットするとのこと。均衡を保とうとする存在である。彼らはのことはもはや人間として理解しようとしてはいけないだろう。理性的であり、冷酷であるからだ。いや、我々のことを思っているとするならば温厚と捉えることもできるが。同意できないのは、最初から壊す方向にしか考えていない事。多分100%助けれる方法があるならそれを実行してるだろうが、80%や1%など100に満たない確率の場合は、破壊なしに助ける方法は捨て去り、破壊しようという思考回路なんだろう。機械的である。バッドマンが登場しなかったら、彼らの作戦が成功していただろうし、その後社会は更地になり、新たな制度が誕生するだろう。

彼らの行為は少なくとも正しくないと言い切れる。なぜなら、彼らが社会をローマ崩壊やペスト流行などの例にあるように破壊したところで、再生した社会はその後も同じ過ちを犯してしまい、再び一掃する必要が出てくるからだ。正しいならば、二度とそのようなことをする必要はなくなるに違いない。そして、彼らのやり方は暴力的である。それはお金が暴力に変わっただけで、支配がお金から暴力に変わっただけで、本質的には何も変わってはいない。

一方で、影の同盟たちのおかげでブルースが過去のトラウマから立ち直れたのも見過ごしてはいけない。彼らがブルースに施したのは過去と向き合うことである。幻覚剤の登場という伏線を用いながら。まさか、修行の時に何気なくブルースが吸わされた煙が後に大惨事を起こす原因となるとはこの時思わなかったが。しかし、一定量の服用ならば、適度なトラウマのフラッシュバックを呼び起こし、強制的に過去に向き合わざるを得なくなる。**トラウマから逃げるのではなく向き合うのは克服のための大切なアプローチであり、それをしっかりと通過し、トラウマを自らの一部としてコウモリのスーツとして共存関係に持っていくプロセスは、非常に興味深い**。

**資本主義を牛耳る立場のブルースが、自らがトップに位置するその資本主義内で生まれた悪を駆逐していく、**という何とも皮肉に満ちた構図なんだけど。「善人には失うものが多すぎる」というセリフがあるんだが、恋人や家族を作るなんて正義のヒーローからすると決定的な弱点を作るのと同様で、ヒーローは悟りを開かなければいけない使命なのか。大体、敵に狙われるのはヒーローの弱点で、恋人とか家族とか。けどヒーローが存在してるのは社会の善を守るためで合って、守らなければいけない対象が個人的なものとヒーロー的なものと2つ存在してはいけないと思うんだよな。だから、3部作である本作が進むに従って、そのような決断を迫られるときが来るのかどうか注目ではある。ブルース、がっつり恋人候補的な人いるやん。危険やん。。

**それを含めてバッドマンには人間臭さが充満してるんよな**。

バットマンのコスチュームや装備品がカッコよい。黒基調はピリッとした雰囲気を醸し出して、大人なヒーローって感じ。コウモリだから夜に活動するスタンスだけど、昼間に一大事が起こったときどうするんだろうと良からぬことを考えてしまった。その時はスパイダーマンやアイアンマンが駆けつけてくれるか!

やっぱりヒーローというのは顔を出してはいけないんだな。顔が無いからこそ、シンボルになれる。人々は人間としてではなく、一段階上の存在として扱える。支持できる。

> ジョンロールズ:自らが授かった能力(gift)はそれを他者に生かす形で利用した方が良い。西洋にあり、日本に希薄
リバタリアン:自らが授かった能力は自分が好きに使ってよい。
>

> 日本:正義は悪を根だやすためにある。悪に対して善を行うためにある
西洋:力があるから、それを社会に還元するため。リバタリアンにならないように。力(富・能力)があるものはそれを社会に使わないと悪になる。
>

これを頭に入れとくとヒーローの行動がより意義深くなってくる。

[「ダークナイト」はここが凄い!バットマンとジョーカーの相思相愛が世界を破壊する。


♦ダークナイト

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視聴後、様々なことが脳裏をよぎり考えるのに必死で過去の色々な記憶や知識を総動員しながら本作について考察していた。この映画はアベンジャーズのような単純なヒーローものと言っていいのだろうか?それにしては悪役が人間臭すぎるし、弱いし、ヒーローも支持されないし。資本主義が旺盛を迎え、9.11テロから数年が経ち、リーマンショックを迎えようとする当時、この映画はどのようなイメージを観る人に植え付けたのだろうか。高所得者とそれ以外の格差が広がっていくこれから、どのように映画の受け取られ方は変遷していくのだろうか。

 **「You complete me」**

留置所でジョーカーがバットマンに言うセリフ。この一言が両者の関係性を最もシンプルに言い表しているだろう。バットマンがいることによってジョーカーは存在することができ、互いに殺すことは出来ず、ある種の溺愛カップルの様な2人。バットマンとジョーカー、どちらを支持し正義と呼ぶかは観る人の生い立ちや現在の環境によって残念ながら別れてしまうだろう。本来のヒーローものならば、悪役と正義役は受け手にもハッキリと区別がつく。しかし、バットマンとジョーカーはあまりにも似ている。似すぎている。だからこそ2人で1つ。片割れなのである。

そうは言うものの私たちは映画を見る時バットマンを応援する。考えられる理由は、バットマンのブルースとしての顔を私たちは見ることができるからだ。1人の大富豪としての顔、傷だらけの肉体、弱音を吐くところ。これらの側面を見させられるからこそバットマンを応援しているのであり、それこそ『JOKER』という映画を見ると今度はジョーカーを応援したくなる。ジョーカーの仮面の下が映し出されているからだ。

**私たち観客は、結局のところスクリーンの前では無力だ**。ただ目の前にある光景を受け取ることしかできない。それは監督によって意図された光景であり、考える余地はない。命運を決めるのは主人公でも敵でもなく監督なのだ。この当たり前の事実を見過ごしてはいけない。なぜなら、私たちは『ダークナイト』を見ればバッドマンを応援し、『JOKER』を見ればジョーカーを応援してしまうからだ。同じ一人の人間でありながら。

つまり、**世の中において私たちが応援をする対象は、応援をしたくなるところだけを切り取って見ているからで、私たちが選択した結果そうなっているのではない**。1人1人に緻密なドラマが必ず存在しているが、そんなものはすべて確認していない。確認したところで選択ができるわけではない。『ダークナイト』と『JOKER』、どちらも見た後、どちらが正しいなど断定できるだろうか?ジョーカーを生み出したのはブルースウェインのような大富豪が人々からお金を吸い上げて過剰なほどに富を集中させているからであり、それも含めた心の余裕の無さから虐待を受け、トラウマを抱え社会に見放され今の姿になっている。そんなジョーカーを一概に悪者だと決めつけ、大金持ちのブルースを正義の味方だと言えるのだろうか?

私たちはこのような選択を忌避する。選択を運や他人に外注しようとする。選択の結果がすぐ目の前に現れるのではなく、幾分か迂回をすることでやっと見れるようにする。自分はこの選択をしていないと誤魔化そうとする。そうすることで責任を取らなくて済む。悪者にならなくて済む。選択を間違えたとしても本作のバットマンのように喪失感を抱かなくて済む。デントは臆病に見えるが、私たちと同じである。コインの裏表に自分の運命を任せる。

この残酷な世界で唯一のモラルは運だ。運は公平で偏見も無くフェアだ。

とデントは言う。民主主義の顔として光の騎士として脚光を浴びていたデントがこのような事を言うなんて。唯一のモラルは法では無く運であるなんて。確かに運は公平で偏見もない。だが、本当に運に任せておいてそれによって決められた運命に私たちは素直に納得できるだろうか?結局、運という名の他人に責任を押し付けているだけではないか、デントも。一方、ジョーカーやバットマンは運を信じないだろう。彼らには幼少期の強烈なトラウマがある。現実は厳しい者であると理解している。運に頼ることはないだろう。

ジョーカーは言う。

混沌の本質が何か分かるか?公平だ。 支配しようとすることがいかにバカげているか

公平であることは混沌を呼ぶのか?デント曰く公平である**運が支配してしまう社会は混沌と言えるのだろうか**?確かに、誰にも管理されていない公平な状態は自分の思うがままに各人が行動できるため事態の収拾はつかず、混沌とした状態に陥るだろう。だが、そんな中でも人間には混沌を抜け出せる活路があるということをセットで提示してくれる。囚人たちが乗った船と一般人が乗った船、24時になるまでに爆発ボタンを押せばもう一方の船は爆発するものの自分たちは助かるという賭けのシーン。ジョーカーが望んでいたのは、どちらの爆発か。混乱自体を望んでいたのか。このシーンにおいて一般人が乗る船内では民主主義に基づき多数決の投票が行われる。囚人が乗る船では投票は行われず、1人のいかつい男性、独裁者によってリモコンは船外に捨てられる。

古代ローマでは民主主義より1人の男に国を託した。"英雄"ではなく"公僕"として。最終的にシーザーがその座につき独裁者となった。

と映画の冒頭らへんでデントがブルースに語ったセリフ。それを最も表していたのが上記の囚人たちの船内での様子であろう。そして、一般人の船内でも多数決が行われボタンを押すことが可決されたものの、最終的にボタンを押さないでおこうという決断をしたのは1人の男性であった。これだけ社会が複雑化している今、意思決定に携わる人は増え1人だけでは大きな決断をすることは至難の業になっている。ある意味公平と言えるだろう。だが、それゆえ混乱が生じる。ジョーカーの言うとおりである。**誰でも首を突っ込めるからこそ、誰も決断をしない**。物事は未解決のまま放置され、曖昧な事が増える。誰でも投票権を持っていること・公平なことは良いことなのだろうか?全ての人の意志決定を考慮する必要性は本当にあるのか?そんな公平性がのさばっているから、賄賂や利権が入り込む余地が生まれるのではないか?

フォックスやブルースの様な人になら独裁政権を任しても大丈夫なのか?しかし、ヒトラーは民主主義によって選ばれたのである。こうなってくると右も左も苦悩ばかりである。全ての人の意見を汲み取ろうとすれば混沌が生じ、独裁政権にすれば種々の危険が伴い反乱が起こる。

[小学生でもわかる古代ローマの歴史【西洋史第2弾】]


世間のモラルや倫理なんてものは善人のたわ言だ(It’s a bad joke)。足元が脅かされればポイ。たちまちエゴむきだしになる。・・・お前はルールだらけだ(You have all these rules, and you think they’ll save you.)

ジョーカーがバットマンに放ったセリフ。ジョーカーとバットマン、双方ともに留置所の尋問室という屋内に閉じ込められた状態で。物語後半、バットマンがやっとのことジョーカーを捕まえることに成功し宙づりにする。しかし、そのシーンでジョーカーは紐に吊られながらも自由に画面内を動く。バットマンの画面内には鉄筋コンクリートが映り込み、彼が枠の中に囚われていることを暗示する。バットマンは本作を通じて遂にルールを破ることはできなかったのだ。そのような制約がありながら闘い、ジョーカーを捕らえたのである。その努力も最終シーンで崩れ去ってしまうのだが。

結局、私たちは『ダークナイト』を通してジョーカーの正体を知ることは無い。本名や顔ですら。ただ、ジョーカーのマスクをつけた人物はオリジナル以外にも複数登場する。それはバットマンも同様に。映画の冒頭シーンはジョーカーとバットマンが鏡像関係にあり、彼らの存在は複数のコピーを否応なしに作成し、本来の意図とは異なる方向へと舵を切ってしまう。

僕は本作のバットマンが最近日本で流行っている漫画のキャラクター「竈門炭治郎」や「緑谷出久」の姿に似ていると考える。どちらも途方もない敵と闘っていく中、自分がやっていることは正しいのか、相手も元々は善良な市民だったのではないか?と自問自答していく。JUMP漫画は昔、ドラゴンボールやジョジョなど完全なる悪役が存在しており、ヒーローは彼ら彼女らを倒すことをいとわなかった。そこには単純な悪と正義の二項対立があった。

最近は、悪役の背景も忠実に描き、ヒーローのみならず悪役にまで感情移入してしまう。悪役が倒されるとき一種のカタルシスを経験する。この、捉え方の移ろいはダークナイトで提起されていた「正義とは悪とは?」という問いに追随するものがあるだろう。

そして、ツーフェイスのような曖昧な存在に対して嫌悪感を抱いてしまう。一番、観客に近い人物だろうに。なぜか。ツーフェイスは正義の心を持っていた。光の騎士として支持を集めていた。なのに、ジョーカーの策略によっていとも簡単に悪に染まってしまった。彼は絶望を経験していなかった。ジョーカーやバットマンのように揺るぎない信念、いざとなったときに頼れる人がいなかった。

トラウマを経験していなければ、やはりいくら確固たる意志を持とうとも”狂気”には勝てなかった。自身が狂気を目の当たりにしてこなかったからこそなのか。。**とはいえ大多数がツーフェイスのように狂気とは無縁な生活を送っているであろう。だからこそ、恐ろしいのである。ジョーカーやバットマンの気持ちを真に理解できず、理解しようとせず、ヒーローや悪のカリスマなどマスコットの存在に持ち上げて、彼らは普通と違うから凄い!と安直な考えをしてしまう危険がある**。その狂気は一歩手前まで迫っているかもしれないのに


思想はちょっと古くなると、道徳に祭り上げられる習性がある
ヒーロー(英雄)として死ぬか生き延びて悪に染まるか、私が彼の罪を被る

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> **バットマンの強すぎる使命感はバットマンをジョーカーと隔てる唯一のもの**。バットマンは正義と悪の狭間で生きる者、「ダークナイト」です。この使命感に妥協した瞬間に、危ういバランスは崩れ、”トゥーフェイス”の二の舞になる。この使命感はすべてゴッサム・シティを狂気と混沌から守るため。レイチェルと結婚するために妥協することはあり得ないし、レイチェルもそのことをよく分かっていました。
>
> ブルースにこれからも”バットマン”でいてもらうため、アルフレッドは手紙を燃やすという選択をしたのです。
>

まじか、そういうことか。なぜアルフレッドが『ダークナイト ライジング』で後悔している素振りを見せていたのか合点がついた。

「真実だけでは満足しない、幻想も満たさねば」

> 「幻想」が現実化する希望があるうちは「幻想」は希望の対象となるでしょう。しかし、「幻想」が幻想であることが分かれば、どうなるでしょうか。
>

これは例えば、「~を勉強すれば良い大学に受かれる!」「~の資格を取れば良い就職活動ができる!」「=な会社にいれば人生は安泰だ!」などの類にも言えるだろう。インフルエンサーが近年行っているサロン経営もしかり。人々を混乱させた状態で、目の前に毒りんごをあたかも美味しいりんごかのようにチラつかせる。周囲の人も似たような状況であるため、引こうにも引けないチキンレースが開幕している。

> 戦争とバットマンのもたらす結果は同じ。バットマンと同じく、戦争は相手を消滅させるだけ。そこから平和を作り出すことはできません。バットマンだけではゴッサム・シティに平和をもたらすことはできないように、アメリカの戦争だけではイラクやアフガニスタンに明日への力をもたらすことはできません
>

当然、本作は9.11テロに対する示唆も含んでいるだろう。


> ブルースの連れ、ナターシャが”もしハーヴィ・デントがバットマンだったとしたら面白いわね”と明らかにバットマンとハーヴィーを重ねる発言をするだけでなく、レストランのメニューをマスクに見立ててハーヴィの顔を隠します。・・・この時、メニューが白い事がハーヴィがダークナイトと対照的な”ホワイト”ナイトである事を表している事に注目。つまり映画の前半で、ハーヴィーとブルースの相反する関係性が確立されます。が、矛盾の様に思えますが、ハーヴィーとブルースは同一の存在という関係でもあるのです
>
> 共存できないハーヴィーとブルースの関係性。その二面性とは対照的に、共存しなければ意味がないバットマンとジョーカー。・・・カメラワークは原則、人間の直感に即した方法論に基づいています。例えば、”正義の味方”や映画の主人公格のキャラクターは通常、”画面左から右へ動く”様に撮影されます。文章を読む時を想像すると分り易いですが、人間は”左から右”に視線を移動させる事を”自然”と感じます。違和感がないのです。
>

この映画は、ブルース(バットマン)・ジョーカー・ハーヴィの三角関係が存在する。お互いにお互いを保管し合い、1人では存在できない。

[『ダークナイト』の解説と考察、ノーラン監督が仕掛けた様々なテーマとアイディアの数々]


> 『ジョーカー』でも、このような無差別殺人同様、社会に不満を持った一般市民がテロリスト化してしまうという問題が投影されているように感じられる。『ダークナイト』が、イラク戦争にまつわるアメリカの正義が問われるという時事性を持っていたように、時代によってバットマンやジョーカー、そして正義と悪の描かれ方は変化しているのだ。
>

[『ダークナイト』ジョーカーの純粋さが問う善悪と正義の危うさ | CINRA]



♦ダークナイト ライジング

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これが映画か。。3部作の締めの役割を十二分に果たしながら、エンタメ性も兼ね備え、人間味も兼ね備え、問題提起も兼ね備え、もう大満足です。逆にダークソウル部作を約2日で一気見したから消化不良。内容を咀嚼しきれていない。それくらい濃密だった。ノーラン監督がどうやらリアルにこだわったらしく、映像も全然CG!していない。肉感・肌触りがしっかりある。ただし、、フィクションに頼って強引な辻褄合わせをしている感は否めない。

[映画『ダークナイト ライジング』TVスペシャル映像]


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映画のラスト、バットマンが核兵器をBatと呼ばれる飛行機械で海まで運ぶシーン。爆発寸前、地平線と大海原とそれに反射する太陽の光という自然の光景がパッと映る。その刹那私は、「この演出をここでするなんて、、」と息をのんだ。自分の中で『ダークナイト ライジング』の素晴らしさが揺るぎないものとなった瞬間でもあった。

前作のジョーカーとの戦いから、8年が過ぎた世界が舞台。冒頭はバットマンでもブルースウェインでもなく、誰かわからない一般人が飛行機の中でひと悶着してるシーンから始まる。その時点で「あ、この映画はバットマンやジョーカーの様な悪者が主人公では無く、マジョリティの普通の人々が主人公となるんだな」という予想を持つ。**普通がテーマになってくる**のではないかと。

物語が進むにつれてブルースの富という絶対的なアイコンが剝がされていく。それによりブルースはただ大きな屋敷を持った無一文の存在になる。普通になるのである。また、普通の人である街の住民たち・policeがたくさん画面上に現れる。ベインによって街の秩序が事実上看板だけのものになってしまった最中、警察というラベルも剥がされ富裕層も貧乏人もその境界がなくなり、サラダボウルではなくミキサーにかけたような世界へと変貌してしまう。普通ーラベルが無い状態に人々は晒される。

最終的にバットマンのおかげで万事休したが、バットマンは引退し普通の生活を営んでいる描写がある。本作の敵役であるベイン。彼も超人的な肉体を持ってはいるものの恋心に扇動されていた人間であることが判明する。普通の人間だ。とするとバットマンも普通側に近い。恋に盲目になっていたから。普通じゃなかったのはジョーカーのみか。

このように普通の人間が大量にスクリーンに映されるのだが、そこからは考えられないほど映画を観た後に眼が満たされる。普通の人間たちのいざこざがなぜ、そのように映るのか?やはり、演出が普通じゃなかったからだろう。空を飛ぶ車、警官VS悪党の日本のヤンキー映画さながらの戦闘シーン、アメフトスタジアムの爆破シーン、日常を忘れるようなあり得ない光景を目の当たりにすることで私たちの感覚は麻痺してしまう。その原因を最終的に映画が持つ凄さに帰結する。逆に前作のダークナイトはより現実味のある演出がなされていたが、ジョーカーという明らかに異常な人物がスクリーン上にいることで均衡が保たれていた。

本作の敵は精神的に弱すぎた。狂うほどまで精神を至高の領域まで磨き上げていなかった。だから、無意味な行動を繰り返し、それでいて甘さを残す。子供がやりたい事を禁止されたことに反抗して暴れているようだった。バットマンは父親的役割としてそれをなだめる。やはり敵としてのカリスマ性はジョーカーに分がある。

超人たちの鍛え合いからこの3部作は始まり、異常な人物との対峙を通じて、普通の匿名の人間へと移ろいで行くブルース。市民は自由を謳歌していく。果たしてこの社会は存続するのか、それを確かめるのは今を生きている私たちが現在進行形でやらなければならないことだろう。

「世界の調和のためには投資が必要よ」

とミランダは言う。本作では前作までに無かった投資の場面が映される。ブルースにしろ他の金持ちにしろ。それでもなお、ベインの様な存在が生まれてしまうのかと無力感を感じてしまうが、そもそもそこまで格差が広がっていること自体が異常であり、反乱も納得できる。

「希望があるからこそ真の絶望がある。」

その通りやな。

「君もいずれわかる、枠に縛られて法が武器ではなく枷となり悪人どもに手出しできない辛さが」

ゴードンが言った言葉。だからこそバットマンに過度な期待をする。バットマンは法外なことをしていると認めながら、羨ましく思っている。

核が爆発するシーンがあるんだけど、いくら海上で爆発させたとはいえ、あの距離だとゴッサムシティに甚大な被害が出るでしょ。海の汚染とかも含めて。そこらへんを濁したあたり、アメリカの悪いとこだなと思った。都合が良すぎる解釈。核の恐ろしさを理解していないのか。

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> ところで本年度のアメリカ映画は、スパイダーマンをはじめ、ヒーローにすべて頼る市民というのは流行らない。仏様のお情けに乗っかる大乗仏教ではなく、自らが修行する小乗仏教の世界である。「ダークナイト ライジング」もその流行に沿ったもので、名もなき市井の人々の活躍を丁寧に描いている。ヒーローは固有名詞ではなく、だれでもなりうる。そんな、大災害時代の主張がさりげなくうかがえる。
>

[超映画批評「ダークナイト ライジング」65点(100点満点中)]


> 市民の決断が重要視されているのに、市民の行動や感情の動きがあまり描写されていないのも大きな問題だ。これについては、複雑な事情があるのではないかとも思う。制作陣は、記者会見において、「この暴動の描写は、N.Y.の**ウォール街占拠デモ(Ocuppy Wall Street)**に関係はあるのか」という質問に対し、「関係は無い」と明言している。
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> ベイン一味の復讐の理由は、バットマンの行動によるものなのは言うまでも無いが、ブルース・ウェインが孤児院などへの社会福祉への奉仕を止めてしまったこと、そして戦闘車両「タンブラー」などの軍備が奪われたことが、ベイン軍の増強につながり、今回の核爆弾に作り変えられてしまう核物質も、ウェインのエネルギー事業への投資が原因であった。実際のアメリカ社会も同じように、過剰防衛や報復行動が新たな死者を生み、企業の社会貢献はその利益に比べ明らかに微々たるものに過ぎず、103もの原子力発電所と冷戦時の作戦用に造られたという放射能施設は、実際にテロリストの攻撃目標として狙われているのだ。これらが意味するのは、「アメリカ自身が全ての災厄の元凶であり、巡り巡って自身がその報いを受けている」ということである。
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> さて、ノーラン版「バットマン」の着地点は、果たして最良のものだっただろうか。私は、まだ問題をはらんだ『ダークナイト』のラストの方が、「バットマン」作品としてはしっくり馴染み、考えさせるようなものになり得ていたのではないかと思う。実際の社会は依然として暗く、戦争・紛争も、国内問題も道筋が立たない。これを、作品の中で無理に解決してやる必要はない。どのような作り方をしたとしても、それは絵空事に近いようなものに見えてしまう。
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[『ダークナイト ライジング』を徹底検証]


♦コンスタンティン

画像7


吸い込まれるような魅力が終始あったんだけど、いざ振り返ってみると内容自体は薄く何を見たんだろうかという虚無感と怖いもの見たさに好奇心を駆り出した結果、後ろめたさのような感情を抱いた不思議な映画。ロンギヌスの槍について詳しく調べるきかっけとなった。

[聖槍 - Wikipedia]

キリストの伝説をベースとして天使や悪魔・処世術などをSFチックに表現している本作。ある程度キリストに関する知識が備わったうえで観た方が良いかもしれない。ガブリエルによる聖母マリアの受胎告知、ロンギヌスの槍など。それを踏まえたうえで、伝説とされている天使や悪魔が実体化した時どのようなビジュアルなのかという好奇心をある程度満たしてくれるだろう。

物語への理解が曖昧ならば以下のリンク先を読むと良いかも。


コンスタンティンは昔自殺を図ったため、いくら悪魔祓いをしたとしても天国に受け入れられることは無く、その代わりに映画のラストシーンにも見られるように、天国と地獄の双方を行き来するハーフブリードとしての役割を与えられたのか?現実を生きている自分としては信じがたい設定の数々なんだが、なぜか本作の内容は非現実的なものとして突き放すことができない。やはり私も伝説に踊らされているのだろうか。

というか、昔していた某パズルゲームでガブリエルとかルシファーとかそういう神様の名前がたくさん使われていて、それによるサブリミナル効果もあるかもしれない。

コンスタンティンとルシファーの会話シーンが印象的だった。ルシファーのビジュアルは言うまでも無く、かなりのクローズアップ、コンスタンティンを引きで撮る際には椅子の枠内に収める。これだけでルシファーに自らの力では逆らうことができないという絶対的な2者関係が読み取れる。あとは、人物の表情を映すときは基本クローズアップなんだけど、人物を引きで撮る時は極端な引きが多くて環境に呑み込まれる人間の弱さを強調してるようなショットが多かったという印象を受けた。

最後にコンスタンティンがキスをしなかったのは、キスをすると自分が生き返るきっかけとなった自己犠牲を台無しにしてしまうからかな。欲を表面に出してしまうと、生き返ったのは他人のためでは無く自分のためという側面も生まれてしまうから。その文脈で行くと、これから欲のない節操な暮らしぶりをしていくことになるコンスタンティンをつい思い浮かべてしまう。。

[西洋絵画鑑賞に"はじめの半歩"を踏み出そう!キリスト教の基礎知識や聖書の有名エピソードを名画で解説 | [楽活]rakukatsu - 日々楽シイ生活ヲ]


> 自分は善人だ。と自分の努力。自分の成果、自分の行いを誇り、だからキリスト教徒であり、キリストから善いものとして愛されているという論法を、口では言わずとも、顔に書いてあるように見えることが多いからだ。心の奥底で神ではなく自分を信じている方が多いのかも知れない。聖書では、自分を誇るものは、おごるものとして糾弾される。自分で裁くものも糾弾される。自分は常に悪人(罪人)で、たとえ、キリスト教徒だったとしても、義人ではなく、死と裁きをまつ死刑囚なのだ。
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[【映画】コンスタンティン - ★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★]


> 善人には「天国」への導きがもたらされ、悪人には「永遠の滅び」が待ち受けている。ジョジョの死生観や、善悪は非常にキリスト教的ですよね!
>

ジョジョを見返そうかな。。ジョジョが世界的に人気を博しているのは根底にキリスト教のテーマが含まれているからなのかもしれないなぁ~~

[ジョジョとキリスト]


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