手が届かないという安心

①子どもの手の届くところにあってはいけないものがある。

子どもがそれを手にすることで、危ない目に遭う可能性があるからだ。

②欲しいものがあっても、値札を見たら、とてもじゃないが手が届かない。

クレジットカードで支払いができたとしても、分割払いの手数料がよけいにかかるし、だいぶ後になってどこかで急なお金が必要になったとき、ガマンできずに買ってしまった自分に後悔する。

③あこがれの有名人に、プライベートで会えることにワクワクする。

同級生だったわけでもないのなら、手の届かない存在のままで、ステージ上の有名人に手を振れる幸せだけにとどめたほうがよい。

タダよりコワイものはない。

④その人と同じくらいの体力があり、練習量も忍耐力も相当あるのならよいが、そこまでのレベルではない人が、無理に体力をつけたり自分を追い込むような練習をすると、たいていはケガをして終わる。

誰かを目標にすることは素晴らしいことだが、目標にする相手を間違えている。

自分の強みが何かを理解して、自分の手が届く分野で、努力を積み重ねることが大切である。

①から④までは、結局のところ、手が届く範囲で行動すれば、なんの問題もないことである。

①の場合、手が届かないのを無理に手にした結果(あるいは、おとなのウッカリ忘れによって手が届いてしまった結果)、事故が起こる。

②は、いわゆるカードキャッシング地獄である。

③は、いろいろと今、話題になっているハラスメント報道にも関連するが、立場が異なる者同士がトラブったとき、同じ土俵上(=同じ組織内にいる場合)であれば、まだ解決の余地がある。

同じ土俵上に立っていなければ、あらゆるリスクを想定して、相手に付け入られる隙を与えない準備をふだんからしておく必要がある。

④は、運動やスポーツに言えるのだが、その人に追いつくことが目標だとして、「自分は、それでメシを食っていく覚悟なのか?」「仮に満足できたとして、その先に何がある?」ということを自問自答しないと、待っているのは思わぬ失敗をしたときの大きな挫折感しかない。

だったら、まだケガのリスクの心配をしなくてよい勉強のほうが、よっぽど有益である。

勉強は、「知」の武装のためにも、何歳になっても絶えずやっておいたほうが良い。

世の中には、裁判で戦って勝つために、いろいろと勉強する人もいると思うが、

一番良いのは、「戦わずして勝つ」である。

相手と同じ土俵に引き上げられたとき、対等に勝負できると思い込むのは間違いであり、

実は引き上げられた時点で「負け」なのである。

「コイツと戦うだけムダだ」と思わせるような「知」の武装が、特に、上述したような③の問題では重要なのである。



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