現代版・徒然草【71】(第122段前半・才能論①)

時代が変わっても必要とされる能力は、やはり身につけるに越したことはない。

単に勉強ができるから賢いとかいうものではなく、世の中で生きていくには必要なことだという視点で考えてみることが大切である。

では、原文を読んでみよう。

①人の才能は、文(ふみ)明らかにして、聖(ひじり)の教(おしえ)を知れるを第一とす。
②次には、手書く事、むねとする事はなくとも、これを習ふべし。
③学問に便(たより)あらんためなり。
④次に、医術を習ふべし。
⑤身を養ひ、人を助け、忠孝の務も、医にあらずはあるべからず。
⑥次に、弓射(ゆみい)、馬に乗る事、六芸(りくげい)に出だせり。
⑦必ずこれをうかゞふべし。
⑧文・武・医の道、まことに、欠けてはあるべからず。
⑨これを学ばんをば、いたづらなる人といふべからず。
⑩次に、食は、人の天なり。
⑪よく味はひを調(ととの)へ知れる人、大きなる徳とすべし。
⑫次に細工、万(よろづ)に要多し。

前半は、以上である。後半は、引き続き明日、紹介する。

①②③をまとめると、中国の古典(例えば『論語』)を読んで、先人(孔子など)の教えを学ぶことが第一だということ、専門とせずとも書道を習うべきだということ、書の知識は学問の助けになるということを言っている。

これは、現代の学校教育においても引き継がれていることである。

④⑤は、医術についてである。大げさに思うかもしれないが、無医村に住んだ経験のある人なら、いかに自分の健康づくりの大切さ、親や同じ村人が倒れたときに介抱のすべを知っていないとダメであるかを痛感しているはずである。

現代の私たちも、最低限の知識として、AEDの扱いぐらいは知っておくべきであるのと同じだろう。

⑥⑦⑧に書かれてあるとおり、弓術も馬術も当時の人々には重要であった。

現代のように、電車やバスでスーパーに行って肉や魚を買うのではない。

遠く離れた山や海へ馬に乗って狩りに出かける必要があった時代であり、男ならそれができて当たり前の時代だった。

だから、⑨で強調されているように、「いたずらなる」(=ムダな)ことでは決してなかったのである。

最後に、⑩⑪⑫をまとめると、料理や小細工もできたほうがよい。食べることは、人が生きる上で一番大切なこと(=人の天)だが、手に入れた肉や魚を調理して食べられる状態にできる人は、生きる上で「得している人」である。

また、現代に合わせて解釈するならば、最後の⑫は、家電などの修理も自分でできたほうがよい(=修理代がかからない)ということなのである。




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