唱歌の架け橋(第9回)

今週は、『夕焼小焼』『七つの子』『シャボン玉』と紹介してきたが、これらの歌は、唱歌というよりも童謡のジャンルに入る。

先月の『春の小川』『朧月夜』『ふじの山』『花』と比べると、子ども目線の口語調が歌詞に表れていることが分かるだろう。

これには理由があって、1918年(=大正7年)から児童文学作品が雑誌の刊行に伴って世の中に広がっていったからである。

よく知られているのが、鈴木三重吉の『赤い鳥』という児童雑誌だが、実は、野口雨情は同じ頃に刊行された児童雑誌『金の船』の初代編集長だった。

『金の船』という雑誌名は4年後に『金の星』に改題されたのだが、それが、現代の私たちが絵本や児童書を手に取ったときに目にする「金の星社」という出版社の始まりなのである。

1918年を境に子ども向けの歌が増えたということを分かっていただいた上で、今日は1916年(=大正5年)に発表された唱歌を紹介しよう。

知る人ぞ知る『浜辺の歌』である。

私は、これを祖母に聞かせられて教わった。作詞は林古渓(はやし・こけい)、作曲は成田為三(なりた・ためぞう)である。

文語調の歌詞なので、子ども向けではないが、日本語の美しさが実感できる歌である。

【1番】
あした浜辺を    さまよえば
昔のことぞ    しのばるる
風の音よ    雲のさまよ
寄する波も    貝の色も

【2番】
ゆうべ浜辺を    もとおれば
昔の人ぞ    しのばるる
寄する波よ    返す波よ
月の色も    星のかげも

【3番】
はやち(=疾風)たちまち    波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞ    ぬれひじし
病みし我は    すでに癒えて
浜の真砂(まさご)    まなごいまは

以上である。

この歌こそ、日本人であるならば、言葉の意味を理解できていないと恥ずかしいと私は思う。

『源氏物語』や『枕草子』などの内容をいくら語れても、「あした」や「ゆうべ」を「明日」とか「昨夜」のことだと言っていてはダメである(「あした」は朝、「ゆうべ」は夕方)。

赤裳は女性の着物、真砂はサラサラとした砂、まなごは、愛する子どもの意味である。

「しのばるる」は「偲ばるる」であり、思い出されるという意味だが、これは、古典文法の知識としては定番となっている「係り結びの法則」で、助詞の「ぞ」を受けて自発の助動詞「る」の連体形で表記されている。

「廻る(もとおる)」は、うろうろすることで、1番の歌詞で登場する「彷徨う(=さまよう)」という言葉の類語として書かれたものである。

「ぬれひじし」が一番難しいと思うが、びしょ濡れになることである。着物の裾が寄せ波で濡れたということを言っているわけである。

今日は、曲の旋律についての解説は省略するが、成田為三は、東京音楽学校(=今の東京芸術大学)在学中に23才で作曲した。


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