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不運な病気の経験も自分次第で幸運に変えられる



私は2年前、適応障害にかかった。

職場の新規店舗オープン
同性のパートナーが適応障害を発症
家族のうつ病再発
自分の婦人科系疾患の再発
コロナで2年会えていなかった祖母の突然の病死


こんだけ重なれば、
人は倒れるものである。


自分の周りにケアを必要な人がたくさん居て
自分のケアを後回しにしてしまった。


要因はそこにある。


十数年前、家族がうつになった時、
自分は不幸だと思いたくなかった。

当時中学生だった私にとっては、
大切な家族が精神を病んだことは
会社に潰されたと思ったからだ。

周りからは大変だね、
頑張って支えてあげてねと言われた。

不幸だなんて思っている暇は無かったし、
そう思っていたら自分の人生も進路も、
家族の幸せも何もかも諦めていただろう。


私は何も諦めたくなかった。
【もう一度家族みんなで一緒に笑う】
それが私の目標であった。


あれから十数年経ち、
今改めて思うのは、
私はやっぱり不幸ではなかったが、
不運だったことは間違いない。


なぜなら、周りには、
家族にうつ病を抱えた人が居ない家庭はたくさんあるからだ。
(どんな家族にも、色んな事情があるけれども)

闘病生活の間、
うつ状態にある家族と健全なコミュニケーションが取れたかと言われると
そんなことはない。

自分の気持ちは押し殺して生きてきたし

表面では良い子でも、裏では少々危ないことに足を突っ込んだ時期もあった。


断っておくが、不幸だったと嘆いたり
恨み言をいうつもりで
このnoteを書いているわけではなく。


私が今思うのは

自分が成人になり
適応障害という家族と同じ
精神疾患にかかったことは

廻りゆく運の循環の中で起きた、
1つの出来事なのだろうということ。

不運であったかもしれないが、
自分が同じ病気になったお陰で、
ずっと知りたい、わかりたいと思っていた当時の家族の気持ちやマインドを聞くことができた。

同じ側に行ったからこそ、
理解するピースを得ることが出来た。


良いことだらけである。

更に言えば、そのお陰で、
今🇦🇺に来れている。


自分が適応障害になった時、
自分が職場を恨み、不幸だと仮に思い、
自分の人生を諦めていたら

🇦🇺に来るまで回復することは出来なかっただろう。


少しずつ、
じっくりゆっくり自分を癒やし、
自ら🇦🇺に来るエネルギーを生成した。



だからこそ、どんな人生の局面でも

たくさん泣いて、周りも、自分のことも嫌いになって、憎んで、恨んで、嫌悪して、傷付けて、傷付けられてもいい。

だってそれらは生きてる証拠だから。
うちひしがれてもいい。どんな感情もあなたの自己表現だから。


でもそこから、どうか自分の人生にまた戻って来てほしい。
自分の人生という道を歩くことを、
どうか諦めないでほしい。
自分の人生を手放さないでほしい。


幸せという曖昧な概念を私はひたすら追った訳では無い。
幸せになりたいって願ったわけでもない。

私はただ、明日を諦めなかった。
今日がしんどいと思うのであれば
どうしたらそのしんどさを減らせるか、
どうしたら平穏な明日を過ごせるか

それだけを考えて生きてきた。

私が伝えられることは
華々しい映えな情報でもなんでもない。

泥臭く、自分から逃げず、
ひたすら逃げず向き合った日々である。

であるからこそ、私は相手の可能性をどこまでも信じている人間である。
なぜなら、死ぬまで人は成長出来るからだ。


柔和質実ということわざ。

あらゆる物事を、
在りのままのあなたのこころで
素直に受け入れていく姿勢。

カウンセリングをしていた時、
その姿勢を忘れたことはなかった。
今も日々、その姿勢で居られるように模索している。


不運な人生の先にも、必ず道は続いていることを🇦🇺で知った。

今日、人生を諦めそうになっている人が居たら、まずは目の前の明日を一緒に目指す人で私は在り続ける。


たとえ、あなたが諦めそうになってても、
今を生きることが必ず出来ると私は言う。

あなたの代わりに。


だから、絶対大丈夫。





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