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マンガで知るデジタルな学び3

何を学ぶかではなくどのように学ぶか
自ら課題を見つけ、自ら学び、考え、判断して行動し、豊かな未来を共に創っていける人を育てるため。これは社会が変化しても変わらない。

日頃の授業の隣の人と話し合うとき、どんな対話が起こってる?か

問題は理想と現実の隔たりで起こっている
まずは理想の状態を明らかにする。
次に隔たりを見つめ、問題を発見する。
そして、問題を解決するための具体的に取り組むことを課題という。
さらに見通しを持つ。こうすればできそうだは人を動かす原動力になりそう。

例えばクラス全体の子どもたちが思ったことを発言できるようにしたいという理想があったとする。
しかし現状はペアトークまではそれぞれが自分の考えをいうことが9割程度できているが、挙手し、全体で発表するとなると答えが明確なものは9割、明確では無い説明を要するものだと4割程度と低下する。
問題点は、答えが明確ではなく、説明を要すると極端に発言の意欲が低下することだ。
課題は、説明を要する際に誰でも発言できるようにするにはどうしたらいいのだろうかとなるとしよう。
解決するための見通しとしては、発言する順番を決めておく。もしくはグループの中で全体で説明する時と同じ状況を作れば、練習ということでその後伝えられるという自信を持ってもらうよな環境を作る。そうすることで、授業中に自分の考えを説明する時間が増え、対話的な活動が広がるだろう。
これに関しては今まで個人の考えがなければ話し合いに移れないというジレンマがあったが、気づける子供は気づくのであって、気づかない子供は気づかないのである。
しかし、この時のめあて(子どもの共通理解を得ているその時間の達成目標)はきっと〜を説明しようとなっているはずだ。少なくとも私はそうしてしまっている。
そうなると、気づくことに価値があるのではなく、友だちの意見や教科書を見てもう一度、自分の言葉で語れるようになることが大切なのである。
つまり、どのタイミングでも子ども同士は対話していいのである。今まではペア、グループ、全体と学習形態を拡げていく形にしていたが、説明を目標とするならば、このような順番が理にかなっているかもしれない。
まず、自分で問題解決の方法を見つけられないか考える。
次に、問題解決の方法が見つかっていようがいまいが、席を立ち、いろいろな友だちと話し合ってくる。もちろんその時気づいたことをグループで共有することは子どもに説明しておく。
そして、グループで解決の糸口、解決方法を共有し、どのように説明するかを考えていく。
最後にグループで考えた説明をペアで真似しながら言ってみる。
こうすることで、説明という子供にとっての難題に対しての手立てを打つことができるのではないかと思った。
また、その子どもの理解度、目標達成度は自分の言葉で言えるかを振り返り、説明動画等で教師は評価したり、みとったりできる。
果たして有効かやってみる

ここからは最近に実践と絡めて私が最近考えていることを綴っていく。
多少の論理の飛躍があったりそんなの当たり前と思ったりするぶぶんがあるかもしれないが、自分の言葉でアウトプットするというのが目的なので、ご容赦いただきたい。

提出物について期限まで計画を立ててやる人と期限ギリギリで一気にやる人それぞれだが、これはあくまでやるべきことに対してどう取り組むのが1番適しているのかを知る練習。
定着とは別の話。定着に関しては今まで大人の目線で丁寧にやれば、計画を立ててやれば身につく等言ってきたが、これもテストを通して子ども自身が考える必要があるだろう。
一度で定着するならばそれでいいし、何度もする必要があると感じたならば計画を立ててやる必要があるだろう。
どのように取り組むかは子供が決めること。自分で決め、自分に適した方法を見つけることが学び続ける学習者に近づくのではないかと思う。
しかし、教師はこれに気づかせる言葉かけを子どもにしていかなければならない。やってみてうまくいかないところをどう子どもと共通了解を見出し実践していくかである。
学習が面白い、楽しいから学び続けるという意見、学び自体への有用感を持っていれば、学び続ける学習者の一人になるに違いない。これは最も理想に近い形だろう。
しかし、世の中を見ているとそうではないことが多いのではないか。学び続ける理由にはもっと切実なものがある。家庭がお金がなく、国公立の学校にしか進めないから勉強をする、将来やりたい仕事があるから勉強する、今の苦しい環境から抜け出したいから勉強するなどの課題を少しでも解決するために、勉強し、学歴や技術を手に入れる場合が多いのではないか。
また、社会の中に大きな課題があってそれを解決するために勉強すると言った社会貢献的な理由もある。
さらには単純に自分の好奇心、探究心を満たすために勉強をするかもしれない。
どのパターンでも当てはまるのは、目の前に自分が解決したい課題があるということだ。
課題を解決するためにどのような方法が自分に合っているのか模索する時間が必要だと思う。それを試すのが義務教育であり、失敗し立ち上がる権利が与えられているところだと思う。
だからこそ任せられ、教師はそれを支える必要がある。
こうやって考えてみると自分の教育の理想が見えてくる。社会において明示的な知識については教え、子どもと共通の課題(お互いの納得が得られた)を設定し、それを実際に子供と解決してみる。その過程で失敗や気づきがあった方がいい場合には立ち止まれるような声かけをする大人がいる。
これをさらに具体的に子どもの姿に戻して考えていく。

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