佐藤シュンスケ

コミュニティプロデューサー / 株式会社フーテン(Futen & Co.) 代…

佐藤シュンスケ

コミュニティプロデューサー / 株式会社フーテン(Futen & Co.) 代表取締役 / 一般社団法人ことば 代表理事 /「僕らの夏休みProject」創設者(@bokunatsu_pj)

最近の記事

「僕らの夏休みProject」に夢を見た話

2011年、東日本大震災。 当時大学卒業を待つ春休み、当時23歳。 最低でも10年は続ける、と心に決め謳い続けた活動だった。 当時の10年後といったら33歳。 一体どんな人生を歩んでいるのかなんて見当もつかなかった。 そんな僕も今年で37歳。 描いていた人生とは少し違ったけれど、なかなかに楽しんでいる。 振り返ってみると社会も様々な変化があった。 自然災害で言えば東日本大震災以降も至る所で豪雨や震災が起きた。 また、コロナが蔓延し、戦争が起き、総理が殺された。 学生だ

    • 2024年僕らの夏休みProject開催概要

      今年は活動がスタートした岩手県宮古市1ヶ所での開催となりました! BBQやボート遊びを通じて子どもたちとふれあいながら、三陸の特産品なども食べながら宮古を知れるスケジュールになっています! ▼ 開催場所 岩手県宮古市(集合解散:宮古駅) ▼ 開催日程 2024年8月3日(土)10:00集合〜4日(日)18:00解散 ▼ 参加費 12,000円程度 ※現地集合、現地解散。新幹線、バス、自家用車など移動手段は問いません。 ※ほぼ実費になります。(宿泊費、移動費、BBQ代、保

      • 父親になるということ

        僕には生まれた時から父親がいない。 母親は僕のことを女手ひとつで育て上げてくれた。 飲食店を経営しながら何不自由無い暮らしをさせてもらい、幼稚園、小学校、中学校、高校、そして大学は学費の高い美術大学と全て私立に入れてくれた。 夜中まで仕事をして、少しの睡眠時間でお弁当と朝食の支度。 僕は給食を食べたことがない。 大きくなるにつれ親や実家暮らしから逃れたいという気持ちが徐々に強くなり、まるで親の背中を見るかのように同じ27歳で闇雲にそれまでいた会社を飛び出した。 父親がい

        • 「わたしのつくること、生きること」

          小さな頃の夢は大工さんだった。 幼少期からものづくりが好きで、工作はいつも成績がよく、レゴブロックで遊ぶ日々。 建築探訪のテレビにかじりつき、母親に連れられ新築マンションの内見に行くのが楽しみでしょうがなかった。 次第に建築家という職業を知り、スポーツばかりで美術とは全く無縁だったにも関わらず高校生からデッサンの勉強をはじめ、気づけはムサビの建築学科に入学していた。 ただ、建築が好きだったからといって、これまで深く学んだことがなかったため、建築好きが集まる同期の中では圧倒

        「僕らの夏休みProject」に夢を見た話

          所作について

          所作(しょさ):しわざ。ふるまい。身のこなし。 基本的に、人は自分を良く見せたい生き物だと思う。 人それぞれだが体型、装い、肌、髪など外見に気を遣う人は少なく無い。 うちの72歳になる母親も、最近になってネイルをし始めた。 もう亡くなった祖母は生前、ボケたのか突然ドモホルンリンクルの無料お試しセットを取り寄せ顔に塗りたくっていた。 また、外見以外でも、知的な話し方をしたい、高学歴なことに気づいて欲しい、お金を持っているアピールをしたいなど、いろいろな自分の見せ方というもの

          価値観の話

          結婚して早1年半以上になる。 結婚してからも初めは別々で部屋を借りていたので同棲期間としては1年ほど。文化の違う二人が突然一緒に暮らし始めるのだから理解できないこともあれば、諦めることもある。 そんな生活の中で感じる価値観について振り返ってみたい。 僕は周りに比べ実家を出たのが遅かった。 大学生の頃は片道2時間かかる学校だったが、家賃より交通費の方が安いという理由で親に一人暮らしを許してもらえなかった。 当時、商売も不景気で女手一人で僕と祖母の面倒を見ていた母。 そんな中

          評価とは何か

          昔、とあるキャバクラで女の子を場内指名した。 その子は愛想が良くその後も何度か通うことになり、アフターで飲んでいたときのこと。 朝まで付き合わせてしまい、タクシー代と言って少し多めのお金を渡そうとした時だ。 「私はいらないから次お店で使って!」と笑顔で言い放ち、早朝の電車で帰っていった。 その後も似たようなシチュエーションがあったがいつでも同じだった。 本来ならばそもそもアフターなんてお金にならないしあまり行きたくない、ましてや朝まで付き合うなんてしんどい、それなら少しでも

          セルフブランディングについて

          先日仕事でバスを手配するために担当者とメールのやり取りをしていると、バスの先頭に書き入れる名前の話になり、「ホームページも拝見いたしましたがお名前はカタカナにこだわられている様なのでカタカナ表記にしておきます。」と言われた。 そう、僕は浅草で商売を始めてから自分の名前の表記は「佐藤シュンスケ」としているからだ。 そんなことからセルフブランディングについて考えてみたいと思う。 10代の頃、スクールカーストの最頂点を渡り歩いていたものの、やんちゃをすることもなく、部活動に励

          セルフブランディングについて

          一歩先の自分になるために

          今日は会社の展望とスピード感、施策とモチベーションについて少しだけ話したい。 もうすでに数回に分けて以上のことについては少しづつ触れてきたが、まず会社の展望としては「お前じゃなきゃダメなんだ」をかかげ、目の前の人を大切にし、その固有性を尊重していきながら飲食店をあと5年で6店舗ほど増やすのが目標だ。 単純計算すると今年の9月で4店舗目のDochakuが完成するが、今回で資金的体力がかなりすり減らされた為、コロナも落ち着いてきたこれからは会社として4店舗一致団結ししっかり利

          一歩先の自分になるために

          プレイングマネージャーとは

          新会社設立、店舗拡大に伴い、さまざまなジャンルのスタッフが集まってきた。去年の社員旅行が4人だったのに対し、今年は8人。そこからさらに増えようとしている。 今までは"小さな飲み屋"のプレイヤーとして店を切り盛りしていればよかったが今後は適正な評価基準、マニュアルなどの管理基準などのルールをベースに組織として動いていかなくてはならなくなった。 大学卒業後、まともに就職もせずここまできた。 組織に所属することが嫌だったのに、組織を作らなくてはいけなくなったという大きな矛盾のなか

          プレイングマネージャーとは

          「仲良くなる」が最大の武器

          それぞれの店の店長に就任して一定の期間が経った。元々僕が立っていた店舗は僕無しでの営業となり、他の店も、その店の顔になっていた店長が別店舗へ移動し新しい顔として現在奮闘している真っ最中であろう。 うちの強みはカウンター商売であり常連客を作るところだ。 常連客としてリピートしてもらうには理由が必要だ。 料理、お酒、内装、客層、、、だがなんといってもスタッフの人柄が重要だと考えている。 ただ「人柄」と言うと先天的なものであるような気がしたり、努力で簡単にどうにかなる代物ではない

          「仲良くなる」が最大の武器

          ここで独立できるスキルは身についた。やりたいコトを応援してくれる会社フーテン

          2021年に設立された「株式会社フーテン(以下フーテン)」。企業理念に「お前じゃなきゃダメなんだ!」を掲げ、現在は浅草に3店舗を構えている。カフェ、スナック、バーとそれぞれの業態は違うものの、一貫しているのは人と場所がつくり上げる「コミュニティの強さ」だ。そこで今回は、フーテン設立以前から社長の佐藤さんと共に仕事をしてきた、スタッフの松橋諄奈(まつはしともな)さんに入社の経緯から現在の働き方、そしてこれからの展望について聞いてみた。 ●私の居場所はここにあった ――はじめ

          ここで独立できるスキルは身についた。やりたいコトを応援してくれる会社フーテン

          新店舗における狙いと想い

          浅草に来て6年、ほしやの立ち上げから始まり振り返ると色々なことがあった。以前も書いたが組織編成のため、個人事業主として2店舗出し、新会社を設立し今に至る。 今回はなぜこのタイミングで新店舗出店に踏み切ったのかということを掘り下げてみたいと思う。 そもそもの狙いはこうだ。 コロナの影響で思い通りに営業ができない分、協力金がもらえ、うちみたいな小さな店舗は当然日々の売上も少ないのでとても助かった。 しかし、それは税務上雑収入に分類され課税対象となる。 なのでもらったお金をとっ

          新店舗における狙いと想い

          成功体験が自信になった。これからは自分を支えてくれたコミュニティを形成したい

          2021年に設立された「株式会社フーテン(以下フーテン)」。企業理念に「お前じゃなきゃダメなんだ!」を掲げ、現在は浅草に3店舗を構えている。カフェ、スナック、バーとそれぞれの業態は違うものの、一貫しているのは人と場所がつくり上げる「コミュニティの強さ」だ。そこで今回は、スタッフである斉藤舜太郎(さいとうしゅんたろう)さんに入社の経緯から現在の働き方、そしてこれからの展望について聞いてみた。 ●趣味に没頭していた青春時代 ――はじめに、これまでの経歴を教えてください。 斉

          成功体験が自信になった。これからは自分を支えてくれたコミュニティを形成したい

          会社がすべきこと

          いよいよ新店舗が決まった。 先日物件を契約し、古い建物なので図面はなく、本日現調にて白図を作成する。GW明けの5月9日に鍵の受け取り、そこから工事に入る。 今回のお店は今までとはわけが違う。 一番初めにスタートした「ほしや」は確かにスケルトンで料理も出し、広さもそこそこあるお店だが、店作りにはたくさんの協力者がおり、内装デザインの旗振りはパートナーが行い、細かな設備や道具、装飾などは現在までの6年かけて少しづつ出来上がっていった。料理に関しても営業しながら長い時間をかけてブ

          会社がすべきこと

          私もいつかエンターテイナーに。先輩の背中に見た、自分の未来

          2021年に設立された「株式会社フーテン(以下フーテン)」。企業理念に「お前じゃなきゃダメなんだ!」を掲げ、現在は浅草に3店舗を構えている。カフェ、スナック、バーとそれぞれの業態は違うものの、一貫しているのは人と場所がつくり上げる「コミュニティの強さ」だ。そこで今回は、2022年1月にスタッフとしてジョインしたばかりの村井毬乃(むらいまりの)さんに入社の経緯から現在の働き方、そしてこれからの展望について聞いてみた。 ●夢を描けなかった上京前 ――はじめに、これまでの経歴に

          私もいつかエンターテイナーに。先輩の背中に見た、自分の未来