「僕らの夏休みProject」に夢を見た話
2011年、東日本大震災。
当時大学卒業を待つ春休み、当時23歳。
最低でも10年は続ける、と心に決め謳い続けた活動だった。
当時の10年後といったら33歳。
一体どんな人生を歩んでいるのかなんて見当もつかなかった。
そんな僕も今年で37歳。
描いていた人生とは少し違ったけれど、なかなかに楽しんでいる。
振り返ってみると社会も様々な変化があった。
自然災害で言えば東日本大震災以降も至る所で豪雨や震災が起きた。
また、コロナが蔓延し、戦争が起き、総理が殺された。
学生だった当時と比べれば、当然ながら現在見えている世界は違う。
しかし、それ以上に大きく時代が変わったのだ。
未曾有の震災でSNSが発展し、コロナでリモートが当たり前になり、今ではAIと共に歩む時代なのだ。
家族を失った子どもたちがいるなら寄り添ってあげたい。
母一人子一人で育った身としては、当時、彼らの寂しさがわかる気がした。
「子どもたちの笑顔のために」
その一心で、活動の輪が拡がっていったが、コロナで足止めを食らった。
実際に会いに行けない期間もオンラインで何かできることはないかと模索し続けたものの、当然地元からは足を運ぶことを拒まれた。
いや、コロナだけが原因なのではない。時代も変化していたのだ。
当時は時間はあるけどお金はない学生たちが、子どもたちに何かしたいという想いだけで駆け抜けてきたが、もうみんな大人になってお金もある。
リモートで授業を受け、思春期の大切な時間を人とのふれあいから遠ざけられてしまった今の学生たちの強みはもうそこには無いのかもしれない。
13年以上の時が過ぎ、復興への勢いは穏やかになりつつある。
それにもう、あの震災を経験した小学生は誰もいない。
僕が活動当初から言い続けたことがもう一つある。
それは、「この活動は震災ボランティアではない」ということ。
目の前に寂しそうな子どもたちがいたから駆けつけた。
東北以外にも日本以外にもそんな子どもたちはいるかもしれないと。
今こそこれを忘れてはならない。
理念をぶらさず、時代に適応し、理想を実現していかなければいけない。
僕たちはこれから先、変化を恐れずに進もうと思う。
僕は最近会社名義で田んぼを借りた。
コロナ禍からお世話になっている千葉県の契約農家さんからの紹介だった。
先日近くの竹林の清掃にお邪魔した際言っていた。
「この子たちは何も無くても楽しそうに遊ぶ。危ないからと大人が手出しする必要なんてない。この子たちは自ら学んでいく。」と。
僕には恩師と呼べる先生が1人だけいる。
小学校の時に担任を持ってもらった先生だ。
校長まで務めたが、定年間近で引退の道を選んだ。
その理由は、耳が悪くなり、子どもたちの声を聞いてやれないから。
引退後は生まれ育った鹿児島に移住し、山を切り開いて子どもたちのプレイパークを作っている。
過去にこの活動に参加した学生たちは今、社会に羽ばたき、それぞれの道で活躍している。学校の先生になる子が多くはあるが、地元に戻り仕事をする子もいれば、知らない土地に入り込み、地域おこし協力隊として地域を盛り上げている子も意外と多い。
そのような中で見えてくる課題は地方の関係人口の増加と若者たちの異世代間交流なのではないだろうか。
今年の「僕らの夏休みProject」は1年目にスタートした岩手県宮古市のみの開催に決まった。これからは大学生だけでなく高校生から社会人まで幅広い層が参加できるようにしていきたい。
幼い頃、近所のおじさんやおにいちゃんに遊んでもらったように。時には怒られたり話を聞いてもらったりしたように。そんな先生でも親でも実の兄弟でもない僕らのような存在を求めている子どもたちはまだ数多く存在する。
いや、それどころか、そのような多様な価値観を持った身近な存在がこれからの子どもたちにとってとても大切になる未来がもうすぐそこまでやってきているのだ。
そんな僕らの夏休みProjectにこれからも夢を見ていたいと思う。