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「わたしのつくること、生きること」

小さな頃の夢は大工さんだった。
幼少期からものづくりが好きで、工作はいつも成績がよく、レゴブロックで遊ぶ日々。
建築探訪のテレビにかじりつき、母親に連れられ新築マンションの内見に行くのが楽しみでしょうがなかった。

次第に建築家という職業を知り、スポーツばかりで美術とは全く無縁だったにも関わらず高校生からデッサンの勉強をはじめ、気づけはムサビの建築学科に入学していた。

ただ、建築が好きだったからといって、これまで深く学んだことがなかったため、建築好きが集まる同期の中では圧倒的な知識不足に自信を無くしたこともしばしば。また当時流行の建築手法は形態的な面白さや素材の斬新な使い方、コンセプチュアルな構成、などどれも造形的なアイディア勝負のように映ってしまい、少しづつ自分の中に思い描いた理想と現実の乖離がおきていた。

卒業後は建築業界には進まず、イベントプロデューサーの元で5年間修行した後、エンジニア、デザイナーの仲間と共に独立。浅草を拠点に構え飲食店の経営を始めた。
その土地を愛する地域住民やツーリストなどが交錯する下町という土地で、コミュニティの拠点となりうる実験的な場づくりでもあった。元々倉庫だったスケルトンの物件を掃除するところからはじめ、自分達で内装を整えた。

一番大切にしたのは来てくれるお客さんや地域住民、また近隣店舗や町会との関わり方だ。東京浅草といえど村社会である。よそ者の僕たちがどのように地域に入り込むかが肝である。
そこで僕は積極的に街に関わることを決めた。地域の飲食店には足繁く通い、三社祭では神輿を担ぎ、浅草のことを深く勉強した。関わる人とはなるべく密な時間を過ごし、自己開示をし、他者理解に努めた。さらには自分が媒介役となり、個人的な一対一の関係から、カウンターの横の繋がりへと昇華させることで次第に店単位のコミュニティが形成されていった。

そして我々が次に仕掛けるのはイベントだ。普段の営業よりもさらに門戸を広げ、そのコミュニティの住人がさらに他所から人を連れ込み巻き込んでいく。お花見でもBBQでもなんでもいい。さまざまな角度から人々が交流できるきっかけさえ作れればよい。そしてさらに店舗を増やし、同じことを繰り返していく。それぞれ別の点だったものが線になって繋がれていく。店舗が増えれば面になり、街に対して一つの文化を形成し始める。僕はこれまで飲食店というツールを使いこのようなコミュニティ形成を行ってきた。

現在では株式会社フーテンという会社で浅草に飲食店4店舗を構える。
フーテンとは「フーテンの寅さん」のフーテンである。地域に根付き、どれだけコミュニティに人を巻き込めるか、影響を与えられるかがこの会社の挑戦であり、僕にとってはこれが「ケンチク」なのだ。

今後は違う土地にも目を向けるだろう。その先にはきっと「人づくり」が待っている。
料理も内装もデザインもAIに取って代わられる未来はもう見えている。そんな時代でも変わらぬ人間力を養えるような場を将来築いていきたい。

武蔵野美術大学校友会会報「msb!magazine」 寄稿エッセイ